思いつきのみで書くゲ謎の考察。因習村の成り立ちについて。不謹慎な表現モリモリかも。
ゲ謎、実は1回目から気になってたのは墓場のシーンなんだけど、
墓石に書いてある名前に見覚えあるのよね。穴山、秋山、由比、朝比奈…読めたのこれくらいだけど、これ、武田家家臣の名前じゃないかな。今川家臣もちょっと混じってるっぽい。で、妄想なんだけど、あそこ、元は信長の武田残党狩りを逃れた武田家臣らの落ち武者村じゃね?
ってことはあそこ信州なのよね。山の社に祀ってあるのミジャクジ神じゃね? って考察も見たし、wikiによればミジャクジ信仰の走りは諏訪地方ってことになっている。これにお墓の名前加えれば、哭倉村の場所=信州で多分FAだと思う。
哭倉村。恐らく最初は率直に「あなぐら村」だったんだと思ってる。親父さんが山の中に隠れ住んでたと言ってたように、あなぐら村には幽霊族が住んでたんじゃなかろうか。で、争いを好まぬ幽霊族は最初、気の毒な人間たちを迎え入れ、憐れみをかけて匿ってやったんじゃなかろうか。でもインフラ死んだ山中で人間が集落築くのって難しくて、例えば岐阜の白川郷なんかも落ち武者伝説あるんだけど、そこの住人は火薬の原料になる硝石を生産することで生計を立てていた。信長の追及を逃れた落ち武者たちは一緒に暮らしてるうちに気付いた幽霊族の血の特殊性を資源に生計立てることを思いついたんじゃなかろうか。
……恐らくやったな。騙し討ち。
山伏姿で山野を彷徨ってた裏鬼道と手を組んで、民俗学で言う六部殺しみたく、幽霊族の村長を酒宴に誘って恐らく恐らく宴もたけなわその場の人たちで押さえ込み、左目を突いて殺すか封じるかして血を抜いたな。親父さんが吸血桜湖の底で見た髑髏群はそれだと思うし、乙米さんの死に方(狂骨たちに押さえ込まれて左目からパイプで貫かれた)もその再現だと思う。
突いたのはまぁ、龍賀家の人だったんだろう。殺した幽霊族村長の地位を奪い、残りの幽霊族を狩ったのは術式方面で手を貸した長田家こと裏鬼道。情けをかけた人間たちに裏切られ、住処も命も血液も奪われ、さしもの幽霊族も恨み骨髄。その最初のひとりこそ“ナグラ様”だったんだろう。龍賀家の人たちは村の立役者であると同時に“左目持ってかれて死ぬ呪い”をも引き受けし形代だったわけだ。
バリバリ憑き物筋の家系じゃん。
近親婚繰り返してるのはあれだろ。村人たちもそんな呪われし一族と結婚したくなかったんだろ。村のために“ナグラ様”の呪いを鎮めつつ一族が滅びないようにするには近親婚しかなかった。最初の最初はそんなもんだったんだと思う。
そのあとはアレだね。水木さん乗せたタクシーの運ちゃんも言ってた付近の住人も近付かないってやつ。昔っから山から降りては人攫いしてたんだろ。あなぐら村改め哭倉村の人たちはもう、里の共同体を指す“ムラ”の“人間”じゃないんだよ。ふもとの人たちからすれば山から降りてくる“妖怪”の一種だったんだよ。幽霊族と人間を原料にした不死の妙薬を提供出来るというアドバンテージを手に入れ、富を得て、そうこうしているうちに信長も滅び乱世も終わり江戸時代になってもあの村の住人たちは士農工商の“外”扱いだったんだろうな。
文明開化と戦争でようやく表に出てきたって感じかな。昭和三十年代から逆算するとちょうど時貞当主に成り立ての頃くらいじゃね? 時貞、自分のこと「薬学の天才」って言ってたから、もしかしたらあいつだけは大学行けたのかもしれん。それこそ、時貞の父とかが龍賀を科学の力で因習や偏見から解き放とうとした当主だったのかもしれん。
でも、変化を好まない者もあるんだよなぁ!
そいつが唯一哭倉村公認で外に出た可能性のある時貞だったってか?! 皮肉だよなゲゲロー!!
そして水木と乙米さん、沙代さんのシーンで思ったこと言っていい?
言うな! 言わずに済めばもう少しで──彼女の狂骨が落ちたのに。(突然の京極堂)