おそ松さん二期一話について、オタク的な考察。
中高生から若い女性(特に腐女子)は読まないで欲しい感じのやつ。読んでも良いけど。
すっっっっごい長文です。
※ネタバレがたくさんあるので気をつけて
おそ松さんについて、若い女性を中心に一大ムーブメントが巻き起こったとき、私は「おそ松さんが好きだ」と周りに言えずにいた。私と近い年代の知人も同様に、ブームにひいていた。
私は30代中頃のおばさんである。
若い女子たちを中心としたブームは、本来のギャグアニメとしての消費よりは、キャラクター萌え、中の人萌え、腐などの目線で捉えていた人が多い印象だった(勿論ギャグアニメを前提としてのこととは思うが)。
おそ松さんをただのギャグアニメとして捉えているおばさんが「おそ松さんが好きだ」と素直に言い出せる雰囲気ではなかったのだ。
それを受けてのおそ松さん二期である。
先に述べた、ギャグアニメとしてではない消費のされ方を中心としたブームに対して、「見事なまでのカウンターパンチを打ってきた」と言うのが第一印象である。
ブームを逆手に取り、徹底的に玩具にする。
作中では、ブームによって富と名声を得て、デブ・不細工化(それ以外もあるが)したおそ松兄弟と、金の亡者と化した両親や周辺キャラクターが徹底的に若い女性たちからお金を搾り取る光景が繰り広げられていた。この描写を見て、揶揄されている側の女性たちはどう感じたのだろうか?
松クラスタの方によると、彼女たちは喜んで殴られていたそうである。
松クラスタが強いのか、制作側が上手くやったのか、私には判断できないが、彼女らが喜んでいるならそれでいい。
制作側が徹底的にブームに対するカウンターパンチを放ったことにより、ブームを引いた目で見ていた私は安堵した。
今日から私は「おそ松さんが好きだ」と堂々と言って良い、そう公式から認められたような気がした。いや、認められるとか認められないとか勝手に余計なことを考えてる方がおかしいんだけどね?
そして、作中でブームにのって結局ダメになったおそ松たちは考えを改める。
「ちゃんとしよう」と。
そこからの展開は徹底的なパロディの連発である。パロディをやり過ぎて封印された一期一話を払拭するかのごとく、直接的な描写を避け、ぼんやりと、しかし確実に察することができるパロディの波状攻撃である。
まさに"ちゃんとしている"と言えよう。
そして、オタクとしてはそのこだわりと予算のかけ方に思いを馳せざるを得なかった。
"ちゃんとした"3DCG、"ちゃんとした"メカ、これらはどうやら専門的なスタッフが招集され、"ちゃんと"制作されたようである。お金がかかっている。メカはOPでも使われていたが、今後も出番はあるのだろうか。
もし使い回しをせず、この一回のためだけのものだとしたら正気の沙汰ではない。え、使い回すよね?ロボの方はテーマソングまであるし、また使うよね?と勝手に心配してしまう。
さらに番組の構成についてだが、CMを挟まず一気に話をすすめ、そのままOPに突入という荒技である。
やっと入ったCMもおそ松さん絡み(BSにて視聴)ばかり。そしてCM後にEDと次回予告。
なんだこれは。プロデューサーや偉い人たちはこの構成を許可したのか?
こんなやり方初めて見たぞ?(追記※どうやら一期一話もそうだったらしい。ニコニコ配信版で見たので気づかなかった)でも大正解だ。大正解だと思う。なんだこれ。
とにもかくにも、してやられた感がある。
2話目からは、一期と同じニートたちのギャグアニメが続くのだろう。同じ…?いや違う。一期もパターン化されたニートの日常アニメではなかった。6つ子たちのキャラクター設定がぶれることは少ないが、パターンに縛られない変化球の回がたくさんあった。チキチキマシンのパロディ、北斗の拳のパロディ、実松さん…挙げればきりがない。
おそ松さんが戻ってきた。
この戻り方以上の正解はないと思う。なんでこんなこと考えつくんだ?そしてそのとんでもないアイディアを実行に移せたのは、他でもない、カウンターパンチを喰らった女性たちから巻き上げたお金のおかげである。
書いていて頭が痛くなってきた。誰だ、誰が戦犯だ?藤田陽一監督か?脚本の松原秀氏か?スタッフ全員?プロデューサー?
我々は彼らの手の平の上で踊らされ続けることが確定した。そんな一話だった。