江澄の披風と藍湛の雲紋なしの衣装は2パターンずつ。ネタバレがありまくる感想なので、ドラマ初視聴中の方はご注意ください。
実は以前のふせったーの文章の中で『紫はもともと江氏の色であり、江澄は常にこの色を纏ってきたし、披風を纏うことも多い』と書いたのですが、披風を纏ったお衣装は2パターンだけでした。比較的長い期間ではあるのですが、2パターンだと『多い』とまではいかないかもですね。(肩がピーンとなっているお衣装が多いから、そういう印象になったのかも)
江澄が披風を纏っていた時期は、十六年前の百鳳山から魏無羨との訣別までの紫の衣装の時、そして、不夜天から魏無羨の崖落ちまでの衣装の時。特に二着めの衣装は里衣が紫ではなく、白地と黒に近い紺の色合わせが金丹を失っていた時期と非常に似ていて、ちょっと色々なことを考えさせられる衣装でもあります。
最初に江澄の披風の衣装を見たとき、百鳳山で宗主の席に座るので、江澄も宗主になったんだから威厳のあるところ見せるために披風なんだねーーと思っていました。ですが、崖落ちまで見て、あの披風が意味するのは『威厳』ではなくて『宗主の責任』であり『宗主の重圧』なのだと思い至ったのです。
披風を纏っている時、江澄は自分の心の思うままではなく、まず雲夢江氏を優先させなくてはなりません。披風を纏っている時、彼は家のため、最終的に大切な師兄に剣を向けて彼と決別する道を選びます。一度目は破門し、二度目は藍忘機によって繋ぎ止められている魏無羨を討とうとしました。どちらも自分の意思とは異なる『宗主ならそうしなくてはならない』行為だったと思います。
そう思い至ってから、一度だけ魏嬰が着た披風の姿を思い出すと、どうして体に合わない少し大きい披風の衣装だったのか、その意味が少し分かるような気がしました。江澄には『いつかは宗主にならなくてはならない』という覚悟と準備があったけど、魏嬰にはそんなものは微塵もなかったんだな、と。
陳情令は衣装や装飾に色々な暗喩が込められているドラマだとも思うのですが、そう考えると二着目の衣装が金丹を失っていた時期と似ている事にも意味があるのかなと思います。
ひとつは江澄が魏嬰から仙師の命ともいうべき金丹を渡される時の衣装であり、もうひとつは魏無羨を崖落ちさせる事によって雲夢江氏の地位が仙門百家の中で大きく躍進するきっかけを与えられる時の衣装だからです。
江澄にとっての魏無羨は、師兄であり、双傑を誓った兄弟であり、家族ですが、魏嬰にとっての江澄はそれよりもっと大きな意味を持っています。たった一人残された宗主の血族は、父が仕え、母が身を寄せ、自らを放浪から救ってくれた雲夢江氏そのものに等しいのです。魏無羨は、世家の体面や名利を保つために、金家を筆頭とする他の世家によって、江澄が意に反して自分への交渉や討伐に駆り出されていることを理解しています。江澄に必要なものは『夷陵老祖を討った』という事実であり、それがこれからの雲夢江氏を盤石なものにすることは、自明です。
加えて、江澄は、世界の美しいものの全てと等しいくらいに大事だった師姉が最期まで護った弟です。何を失っても守らねばないないとも思っていたでしょう。
師姉は亡くなる寸前、魏嬰に迫る剣から彼を守るために押しのけ、そのまま伏せることも避けることもなく剣を体で受け止めます。それは背後に江澄が居るからです。せめて伏せれば胸で剣を受けることはなく、命を落とすこともなかったかもしれません。江澄は魏嬰が金丹を失っていることを知らないので、魏無羨が避けたから師姉が刺されたと思っていたかもしれません。金丹がある魏無羨が師姉の細腕で押しのけられるはずがないからです。
16年後、金丹の真実を知った時、不夜天の魏無羨は既に金丹がなく、師姉の細腕で押しのけられるほどの弱い体になっていたことを知ることになります。
正直、試聴していた時『こんなの江澄が再起不能になっちゃうよ、脚本鬼だよ』ーーと思いました。ですが、最後の観音殿に江澄が全身紫の衣装で別れの象徴である傘をさしてやってきた時、『江澄、大人になった。三毒を磨いて手入れし続けた意味があった。人間の貪瞋痴を克服した』と思って、一視聴者ながら親が子供の独り立ちを見守るような気持ちになりました。
一番最後の江澄の衣装は、色は紫で、形は16年前に陰鉄を捜査する藍忘機を追って姿を消した魏嬰が心配で、こっそり追いかけて行った頃の衣装と似た形のものです。
観音殿では、怒って泣いて色々言っちゃったけど、やっぱり師兄と金凌が心配だから来ちゃったんだよね、と思いつつ、そんな中で藍忘機にべったり(というか藍忘機がべったり?)な魏嬰は、なんというか色々罪ですよね。
でも、魏嬰にとってみれば、常に自分が正道から外れたと揶揄されるたびに辛抱強く自分の隣に来て繋ぎ止めて、自分の『義』をけして否定せず、自分と同じ場所に立ち、そのために罰を受け、傷を負い、自分に背中を預けてくれ、自分も背中を預けることが出来たのは江澄ではなく藍忘機だったわけなので、それは仕方がないことです。
貧しく弱い人々の中に紛れて生きた時代がある魏嬰にとって、無辜の弱い民が虐げられ殺戮されることは絶対に許せないこと。でも、宗主の家に生まれて大事に育てられた江澄は、ひもじさも冬の寒さも知らないし、踏み躙られる悔しさも哀れさも、そんな気持ちは想像できない。名もない民より雲夢の名利や民の方がずっと大事。金丹のことを知らないから仕方ないけど、正直、なんで温氏に魏嬰がそこまで拘るのか理解が出来ない。一度出来た『自分には許せないことを、妥協して許せる』というその溝は永遠に埋まらないし、もう、同じ道ではないんです。
江澄は雲夢双傑に拘りますが、魏無羨が双傑に深い思いを抱いていたかというと、もともとそこまでじゃなかったのではないかなと私は思います。意地っ張りでプライドが高く、名利を追求する江澄が落ち込んだ時、慰めて自信とやる気を出させるために口にしていたのが双璧に並ぶ双傑という言葉だったのだと思います。魏無羨にとって『双傑』という言葉は、少年の頃の青臭くて懐かしい優しい約束の思い出でしかないけど、江澄にとっては師兄を繋ぎ止めることができる唯一の約束だったんだなぁと思うと、不器用な江澄が不憫です。(いつか倹約家で美人で家柄も良くて優しいお嫁さん来るといいね)
あと、お衣装で気になっていると言えば、雲紋のない藍忘機、2パターンでしょうか。
ひとつめは雲深不知処焼き討ち後の温氏受訓から洞窟で忘羨歌っちゃうまで、ふたつめは蓮花塢で金丹の真実を知るあたりから観音殿まで。
ひとつめは雲深不知処が落ちて、藍氏がこれからどうなるか分からなくなっている時期であることの暗示なのかなと思いますが、どちらも魏嬰への思いが溢れちゃう時には雲紋ないんだなぁと。家とか戒めとか、そんなことは傍に置いておいて、ただの藍忘機になって忘羨歌っちゃったんかなーーと思うと、なんというか、青春は甘酸っぱいなぁという気持ちになります。はい。