庭師未通過✖ 猩々班 HO2由紀茂だけの 小話
時系列は https://twitter.com/kusanabePF/status/1473314239624671233の次の日以降。
父から電話があったのは、喫茶店で過ごした次の日。
「由紀茂、会わせたい人がいるんだ。休日に、家に行って、いいかい?」
父の声が、緊張していた。
もしかしなくても父も、昨日初めて恋人から妊娠を聞いたのかもしれない。
由紀茂は自分が父に似ているところをよくわかっていた。
嬉しくて、怖くて、だけど、きっと父は自分の子供が生まれる事を否定しないだろう。
妹がこの世にいないと分かった後ならなおさら。
自分も、父がずっと1人で過ごすより、新たな伴侶に出会えている方が嬉しい。
嬉しいはずなのに、自分の奥が冷たい風にさらされている感じがする。
父の恋人に挨拶されるのは何も怖くないのに。
それに向き合わなければいけない事だけが怖かった。
休日の昼間。
自宅の居間に案内した父の恋人は名を京子と言った。
年齢は、自分と父のちょうど間くらいの歳だろうか。
一度、父の家で会ったことがあり、先日の喫茶店越しに父と見かけた女性だ。
京子さんは父より先に口を開こうとしていた。
が、自分の口は2人の言葉を待つことなく、さらに先に言葉が出てきた。
「ご懐妊、おめでとうございます。2人が望まれた結果であれば、何よりです」
2人の驚いた顔。
「偶然、店の窓越しに見かけまして」
京子さんが自分にすまなそうに謝罪した。
「ごめんなさい、この事を含めて交際についても伝えようと思った頃に、由紀茂さんが倒れたと聞いて、私が1人で決めたんです。由紀茂さんが結婚に反対しても、子供は産むんだって。だから、あなたのお父さんは、冬樹さんは何も悪くないの」
「……大丈夫、自分は2人の、生まれる子が幸せであればそれが一番いいと思ってるのは、間違いないですから……」
義母となる女性に謝りながら体がまるまっていく。
この姿勢の方がまだ呼吸ができる。
「だけど……独りぼっちは、嫌……」
意識せずにつづいて出てきた言葉に自分が驚いた。
いい年して、いったい何を言っているのだろう。
1人暮らしを始めてからもう何年もたっているというのに。
けれども自分の中にいる幼い子供は泣きじゃくり、置いて行かれる悲しさに大人の自分を当時の自分の中に引きずり込む。
「お父さんを……とらないで……」
幼い自分の言葉に 悲鳴をあげたくなった。
やめて、恥ずかしい。
そんな事、思わないで。
声に出さないでいいから。
頭の中で否定しても、過去の自分が今の自分に相反し、引きちぎろうとするかのように苦しくなっていく。
お母さんは妹を連れ去って僕を置いて行った。
僕は良い子じゃないから?
お父さんはそんなことないといったのに。
お父さんも、僕を置いていくの?
僕が、良い子じゃないから?
違う、違うのだと大人の自分がうつむきながら子供の自分の幼い思考を何度否定しても、おさまりようがない。
もう、ちゃんと分かっているのに。
置いて行かれたのは自分の良しあしではなく母の好みの問題だ。
自分は母の好みにそぐわなかっただけだ。
父は今、父の人生を歩きたいと、願っているだけだ。
父を置いて一人暮らしを始めようと父の傍を去ったのは自分であって、目の前にいる女性と縁結ばれるまで父が、独りだった。
違うのだと何度繰り返しても根源を揺さぶる悲しみと恐怖が襲ってくる。
これか。
カウンセリングを受けていても見付けられなかった自分の根っこにあるのはこれか。
だけど今更どうしたらいいのか。
妹と同じく母はすでにこの世にはいない。
自分がここで醜態を晒せば、京子という女性は父を見限ってくれるかもしれないしその可能性は絶対に開きたくない。
身体を丸まるだけで、話す事をやめた自分に、優しい声がした。
「由紀茂さん、あなたから、あなたのお父さんをとったりしないわ」
京子さんの声だ。
違う、違うんです。
「子供みたいなことを言って、ごめんなさい……父はとるとらないではなく自分の物じゃないのに」
「ちっともおかしくないわ。どんなに時が過ぎても由紀茂さん、あなたは、冬樹さんの子供ですもの」
その言葉を、もっともっとはやくに聞きたかった。
幼く、母に捨てられた自分に、聞かせてほしかった。
「由紀茂さん、あなたが駄目って言っても、私はお腹の子を産むわ。前の夫との間には子供がいなかったの。私も歳だし、この子を産まなかったらもう一生、出産って経験が出来ないかもしれないから」
だけどね、と声は優しく続いた。
「私をお母さんって呼んでほしいとかは言わないわ。それでも、あなたに挨拶をしたいと思ったのは、由紀茂さんと冬樹さん、2人の家族のなかに、私とお腹の子も入れてほしいなって思ったからなのよ」
その言葉を聞いて、やっと自分から声が出た。
「置いて、いかないですか……?」
「もちろん。それに、もしそう思ってしまうような事が起きたら必ず言って。冬樹さんが気がつかなかったら私がしょっぴいて立ち止まらせてみせるから」
義母となる人の笑顔がまぶしくて、思わず笑ってしまった。
元々、反対するつもりはなかった。
生まれてくる子から父親を奪いたくはなかったから。
だけど、そういってもらえた言葉が、とても心に染みた。
「ありがとう、ございます。こちらこそ、これから父を、自分を、よろしくお願いします」
家族が増える。
失った人はもう帰ってこないけども、人が人と新たに出会えることは、こんなに胸が暖かくなることなんだ。
嬉しい。
幼い自分が泣き止んだのも分かる。
そしてようやく自分は”彼”が、この人生の半分以上を泣いて過ごしていたのだと、今やっと気がついた。