講演会クロストーク部分(主にいわせさんの話)まとめ
落合博満講演会2022/9/11
クロストーク(落合博満、森繁和、岩瀬仁紀)覚え書き
講演会部分、今回は監督時代のあらすじを語りつつ
随所に「まあこれは後で岩瀬に聞きましょう」を入れてくるほど
落合さんが岩瀬さんと話すことを念頭に前フリしてる所があった。
最終的に、岩瀬さんといえばの2007年の継投話はばっさりやらず
「岩瀬がいちばん辛かった2004と2008の話を聞こう」って
森さんも落合さんも完全に岩瀬さん喋らすモードで進行したため、
岩瀬さんの現役を知らない&知りたくて仕方ない新規にめちゃくちゃありがたい会でした。
遠征した甲斐があった。ありがとうございます。
以下備忘録です。
記憶で書いてるので全て私の耳と脳を通過した正確性は保証できない記述となります。
***
「とにかく俺の戦い方は9回には岩瀬がいる、そこまでの1〜8回をどう戦うかってものだから」と言う話題で講演会を締め、
クロストークの始まりも、岩瀬さんからの
「裏で落合さんの話聞いてましたけど、まあ「岩瀬が最後の砦」って言っていただいたのがプレッシャーでもあり、でも(どんなに成績が出なくても)2軍には落とさないぞ」って言われて覚悟が決まったところがあって…」
と言う話題でスタート。
【2004年について】
岩「3敗までは許してやる」って毎年言われてたので、逆にプレッシャーから解放されました」
落「実際3敗以上しなかったよな?」
岩「いや2004年はしました」
落「そりゃあ骨折してシーズン始まってるんだから仕方ないよ」
岩「開幕前に骨折して、こりゃやばいと思って、くっついたことにしてくれって頼み込んで」
落「いやくっついてないのは知ってたよ?」
岩「まあ案の定で(成績もダメでと言うニュアンス)」
そこから岩瀬さん、2004年序盤の成績について
谷繁さんに呼び出しをくらったと言う話をするんだけど
落合さんが「そんなの、故障抱えてんのに使ってる監督(自分)が悪いんだよ」と言うセリフ。
この全幅の信頼…
なんと言うか、ポジション的に岩瀬さんは落合さんの懐刀ではあるんだけど、
コミュニケーションによるものというよりは、一方的な信頼と一方的な応答による関係性でもあるんですよね
いろんな関連文章を読んで想像してたその特殊な一方的感を再確認できて
そのことにまず感無量でした。
正直、後追いでは落合さんが岩瀬さんを語る(orその逆)みたいなのは断片的に見れても
直接喋ってる場面を見ることはできてなかったから
なんかもう情報量がすごすぎてずっと小刻みに頷きながら見るしかなかった(オタク仕草)
【落合さんの質問ぜめコーナー】
落「阪神には強かったよな」
岩「球場が好きでした」
落「ヤクルトに弱かったよな」
岩「あそこはブルペンが外にあって…全然集中できなくて…」「客席から声がかかるともうダメで…」
落「1点差にも強かったよな!」
岩「ええ」
落「でも3点差は打たれるんだよな」
岩「猶予があると思っちゃうんでしょうね」
みたいな下りがあったんだけど、
この辺り落合さんがすごい楽しそうなのが印象的でした。
前回(川崎憲次郎さんゲスト)とは全然テンションが違う…笑
落「1000試合(1002試合登板)とセーブ数(407セーブ)、どっちが誇れる?」
岩「1000試合ですかね」
ここで落合さんが岩瀬さんに「500セーブしろ」と言ってた話を前提に
落「だってあそこで肘壊すとは思わなかったんだよ」
という話題へ
岩瀬さんは故障して出れない期間(落合さんがGM時代)に
「2,3回は引退したいって言いにいった」そうで、でも落合さんは
「投げれないままの引退はダメ、投げれるようになってからじゃないと」と言って
やめさせなかったという話。
ここで森さんが「そんで俺も一緒にやめようって言ったんだよな」と岩瀬さんにふり
自分が引退するまでもうちょいやろうよと伸ばしてもらった話をしていた。
この辺の流れは多分「証言」で読んでたけど、
改めて落合さんは選手の「記録」「辞め方」にも気を配る人なんだよなと思ったりした。
【2008年の話】
そして岩瀬さんが辛かった2008年(北京オリンピック)の話へ
何が原因だったの?と聞かれ、
「やっぱりイニングをまたいで(投げて)からおかしくなった」という話。
5人抜かれて日本で待ってる側もしんどかったし、
帰ってきたら帰ってきたで川上憲伸さんも岩瀬さんもかなりやられていて
落合さん曰く「オリンピックについては岩瀬の使い方が悪かったと思いますよ、憲伸についても同じ」「帰ってきたらすぐ使えると思ってたら相当病んでて時間がかかった」とのこと。
岩瀬さんは「非国民みたいな言い方されてほんと辛かったけど、チームには居場所があったので、帯同させてくれと言って帰国してからはチーム帯同させてもらってた」と話していた。
この辺は確か落合英二さんのYouTubeとかでも岩瀬さん話してたけど
落合さんの口から「(2人とも)病んでた」としみじみ聞くと
当時リアタイで応援してたらめちゃくちゃしんどかっただろうなと思ってしまいました。
そして岩瀬さんが「ほんとつらい思いをしましたが、その時に救ってくれたのが…この…隣にいる…(落合監督)」と突然名前を呼ぶのが恥ずかしい感じを出してきて見てるこっちも照れました。
【息子さんの話】
…と空気が重くなったところで落合さんが
「そんで息子はどうなの?」と話題転換。
いやー自分は甲子園行けてないからもう自分を超えてしまいましたね的な応答
「ドラゴンズ入ったらどう」
「どうですかねえ」
「息子と一緒にユニフォーム着るのどう?」
「叩かれますよ、自分が…」
みたいにわいわいしていた。
私も今年の夏は愛工大名電を軸に見ていたので、この話題も嬉しかった。
【陸上競技場の話】
落合監督時代、陸上競技場での練習が特に辛かったという話題
競技場の芝の部分でランニングをするという話で、
そういや最近の陸上競技場は芝が青々としてるんだよね
ってことはつまり走ってないのでは?
という話題を森さんが出し、岩瀬さんが「メニュー変わったんですかね」
落合さんが「やっぱ(落合監督時代と比べると)練習してないんだろうな」みたいな流れで
でも今の子にかつてのような指導はできないですよもうという話になり
でもまあ故障のリスクを抱えた上で無理するのを良しとする、みたいなのは
今だとまあありえないだろうなとも思った
でも落合さんはあくまでも、勝つためには練習あるのみ、なんですよね
【岩瀬さんがユニフォームを着るときは】
会場との質疑応答は東京に引き続き、落合さんに悩み相談するパターン多めだったんですが、
(難しい球は森さんが拾う安定の構え)
そんな中「岩瀬さんが中日監督やるとしたら(落合さんにとっての森さんのように)参謀となるのは誰?」っていう、話を引き出すのがめちゃくちゃにうまい質問が最高でした。
岩瀬さんは「(昔もそういう話題がでて、そこで落合さんに)無理って言われてるんで…」と言ったところで、
落合さんが「岩瀬は優しいから、優しいやつはやっぱ勝負の世界となると厳しいですよ」と言う。「だからむしろ岩瀬が名参謀になるんじゃない?」と。
落「監督が憲伸でさ、憲伸がユニフォーム着るってんならお前も着るだろ?」
岩「まぁそうなるでしょうね」 という流れからの
落「2人だったら上手くいくんじゃない?お好きにどうぞ」とのお言葉。
森さんと、でもまあ2トップが2人ともピッチャーだと偏るか? みたいな話もあったけど
落合さんのこの評価はなんかちょっと新鮮でした。
岩瀬さんは「でも(憲伸さんは)自分がやるときは岩さんに全部責任取ってもらおう〜って言ってて」みたいな話も出しており憲伸さんの話題が出ると話がはずむなと思いました
何かのインタビューで岩瀬さんコーチ等をやる気はあんまない的なことを言ってた気がしてたので(これうろ覚え)
憲伸さんが着るときは着るでしょうねってあっさり言ったのはかなり心の中のメモ帳に下線を引きまくりなポイントでした。
最後に岩瀬さんが「まだまだ話したいことたくさんあるのでまた呼んでください」って言ってたので(!)
どうかまたの機会がありますように🙏
以上暫定まとめでした
(そのほか思い出したら追記するかも)