アジェンダ283について。環境問題とアイドル像。
イベントシナリオ「アジェンダ283」は河原のゴミ拾いをするというエピソードで、ごみと河原をテーマに過去や未来、立場の違う人の視点の違いと一致などを描くシナリオだった。ユニットを移動しながら断片的なエピソードを描きつつ、輪のようにまわり繋がる関係をうまく描き出している。
このコミュの最大の特徴は、SDGsの言葉も登場させて環境問題について取り上げているところだろうと思う。ここについてはアイドルたちのみならず、読者それぞれでいろいろと思うところがあるはずだ。そしてそこにシナリオを作った人たちも加えなければならない。私は少し気がかりである。
環境問題、そして環境問題を論じる人たちは果たしていまどういう風に思われているだろうか。「環境問題」がどんなイメージを持たれているか。あるいは「エコロジスト」がどんなイメージを持たれているか。「フェミニスト」「ヴィーガン」「動物愛護」などと並んでいるのではないだろうか。おそらくだが、世間的にこれらのものは鼻持ちならない理想主義者とか、過激なカルト集団とか、そういうネガティブななイメージを持たれていないだろうか。夏葉がSDGsに共感しているように描かれているのを、どう読者は見ているだろうか。
放クラのパートの後にストレイライトのパートがあり、SDGsは海外セレブが環境問題について考えてますよってアピールするための言葉だと冬優子によって説明されている。むしろ読者はこの冬優子の視点の方こそに同調して読んでいるのではないか。
経験と憶測でここまで書いた。そうじゃないよ、と思う人もいると思う。
私はといえば、環境問題は無視できない問題だと思っている。プラスチックごみを減らさなければならないという考えに同調している。ついでに言えばフェミニズムもヴィーガンの考えも、動物の権利の問題も、どれも重要な問題だと思っている。正面から向き合わなければならない問題であると思っている。
だから冬優子の話については、冬優子らしいなと思いつつ、それなりにガッカリした。夏葉と冬優子とで相対化が行われていて、バランスを取っているということなのかもしれないが、無視できない問題についてこんな風なバランスを取る必要があったのかどうかは疑問に思う。だからここには、シナリオを作った人たちが環境問題をどう考えているかがちょっと透けて見えるような気がした。
しかしただそんな風にシナリオを作った人たちのことを責めたいわけではない(責めたい気持ちがないわけでもない)。環境問題はかなり大きな問題であるので、今回ストレイや放クラのパートで描かれたように、彼女たちの考えそれ自体は確かにリアルな人格を感じるものでもあるなと感じたのである。
放クラが休憩中に真乃と話をするところで、プラスチックごみをどうすればいいのかということが問題になる。使えば環境にとって重大な問題となる。できれば使いたくない。けれどプラスチックを今の生活の中でゼロにすることはできない。プラスチック製品を作ってる人の仕事も生活もある。……と。
私は環境問題に関しては完全に素人なのだけど、ヴィーガンの考えや動物の権利の問題などの話の中で、「畜産業の人たちから仕事を奪うのか?」みたいな反論がなされることをここで思い出した。銃規制などの話のときにも「銃を作って生活してる人もいる」なんて話を聞いたこともある。ヴィーガンや動物の権利の問題の話の中で出てくる「畜産業の人たちから仕事を奪うのか?」みたいな反論は、経験上、ヴィーガンや動物の権利の問題についてほとんど理解していない人たちによる言いがかり的な反論(攻撃)であることが少なくない。
だからもっと環境問題のことについてちゃんと考えてほしいなと思ってしまうのだが、ふと立ち止まって考えれば、彼女たちはほとんど10代でせいぜい20歳前後なのである。そのくらいの年齢で環境問題のことについて初めて考え始めて、倫理学的に十分に思考するなんてことはほとんどありえないことだろうと思う。そのことに気がついたとき、放クラメンバーの考えも、冬優子の考えも、それなりのリアリティがあるように思えた。
それから。放クラと真乃の話は倫理学的な見地からすれば拙い話であると思う。けれども少なくとも彼女たちは問題について真剣であったことは確かだ。「未来について考えることは過去について考えることだ」ということも鋭いと思った。
環境問題について冬優子のようにシニカルに捉えている人は多いと思う。冬優子以上に、先に挙げたように鼻持ちならない理想主義とか過激なカルトとかそんな風に考えている人も。その上で環境問題を取り上げて、その問題について真剣になる人たちの姿を描いたことは良かったと思う。
こういう取り上げにくい問題を取り上げる傾向がシャニマスにはあると思うけれど、どうか上手くやってほしいと思う。