ミッドサマーがアセクシャルに向かないという話に対して
少なくともなんらかの精神的なマイノリティーの方があの村を「地獄」だと認識できる可能性は上がるかもしれないとは思った
なぜならホルガという村は成立するために個を排しているから
当然ネタバレ考察です⚠️
色んな感想や考察に書かれてるけど、ホルガって「感情を周囲の人間と共有する」という伝統に則って運営されてますよね
他の人間と自分の間にある、感情や感性の境界というハードルをああしてぐっと引き下げることによって互いに強い共感を得て、仲間意識を増幅していくのがあの村の維持のやり方だったはず
で思ったんですけど、感情は共有され、感性は均されるあの環境では、「あなたはそう思ったのだろうけど私はそう思わない」ということはもしかしたら「起こり得ない」のではないか
「あなたは白が好きだろうけど、私は青の方が好き」
「あなたは男性を好きになるのだろうけど、私は誰のことも好きにならない」
「あなたはこの村を理想郷だと思うだろうけど、私は地獄だと思う」
ということはあり得ない、「ないこととされている」のがホルガという村ではないかな
あなたがそう思ったなら私も必ずそう思うし、あなたが悲しければ私も悲しいし、あなたが気持ちよければ私も気持ちいいし、あなたが異性愛者なら私も必ず異性愛者なんですよ あの村では
極端な意見かもしれんけど冗談抜きにあの村では「性別」「年齢」「名前」以上の個人認識が存在しないのでは?と思う あとは近親交配を避けるために血筋というか家系図みたいなものは記録されてると思うけど
例外があるとしたらそれはルビー・ラダーを書く障害者の彼だけで、それ以外の人間には「個」とか存在しない(ことになっている)のではないかと思います
完全な共同体で、全員が全員の感情を共有し、仕事を共有し、維持のために一体になって協力するあの村ではそれ以上の個性は必要ないので、個性は均され、削られ、隠される
意見は対立しないし、誰かが疑問を持っても疑問を持たない人々によって「共感」で押し流される村なんだろうなと思います
孤立に怯える「ごく普通」の人間にとって、ほっとけば周りに順応できる(周りが順応させてくれる)この環境が理想郷に見えるのはそれはそれで当然だろって気もするからそういう意見もすごく良く分かるのだが…
だけど、「この環境は地獄なんだよ」というメッセージを監督が出してないかというとそれは違うと思われる
だってラスト、燃える建物の中で、志願者の村人は泣き叫んでいるから
あの風習はまやかしで嘘にまみれているし、完全な救いにあふれた理想郷なんかではないとあそこで示されているのではないかと思います
「痛みを感じない」「恐れを感じない」というホルガの共同体から言い聞かされた「あるべき姿」の暗示は、死にゆく「個」に襲いかかる、その人にしか味わうことのできない死の痛みや恐怖をかき消すことができなかった
ホルガの村人の「個」が持っている感受性はヤスリにかけられて削り取られ消えたのではなく、一人一人が「ない」と錯覚していたに過ぎなかった、それは伝統と洗脳によって無意識の中に隠されていただけだった……というのがあそこで村人が泣き叫んだ演出の意図だったのではないかな
序盤のアッテストゥパンで死に損なって苦痛の声を上げるお爺さんもこれだと思います
だから、本当はあの村にはアセクシャルや、それに限らない性的マイノリティーが当たり前に生まれていたかもしれないと思う 本人は死ぬまで、それか死んでもそれを自覚できなかったかもしれないけど 自覚したらしたで理由をつけて殺されそうな村なので
強烈で厳格な異性愛規範の洗脳下に性的マイノリティー当事者を置くことで当人をどれくらい「自分はシスジェンダーの異性愛者である」と思い込ませることができるか、などという実験はあまりに悍ましすぎるので今日び誰も実行しないと思いますが、少なくともホルガという村は「致命傷レベルの痛みを感じるまで死の恐怖を知覚しないでいられる」くらい強固な洗脳がかかってる村なので、性的少数者がそれを自覚せずに一生を終えてしまうことは普通にありそうだなと私は思っています
総括なんですが、他の人間とは違う個人として生きたい、個人として尊重されたいし自分と違う他者を他者として尊重したいと願う人間にとってはあの環境は地獄に映りやすいんじゃないかなと思いました
最初にアセクシャルに向かないと言った人の意見とはまた違うかもしれませんが……
ちょっと付け加えて関係ない話を↓
(「共感によって村が運営されてるなら、性的少数者だったり村に対して異端となる考えの人が生まれた時、その思想も瞬く間に伝播して村が崩壊してしまうのでは?」という疑問が生まれそうだったので追記すると、あの村は素で洗脳されてる村人が大多数な一方「この方向に向かって運営しよう」という作為を持って村を動かしている支配者層が一定数いるように見えたのでその恐れはないのだと思います。
映画一回しか見てないから具体的にここで…とは言えないんだけど、ドラッグを使って物事を進めてるシーンはおおよそそうなのではないかと思う
本当に村人全員が村の人間たちの共感力と信仰を信じているならドラッグなどに頼らなくても村は一丸となって理想郷として存続できるはずなので、クリスチャンがそうされたように、不都合な動きをする人間は村の偉い人がドラッグでうやむやにして「分かってもらえた」ことにしている可能性は高い
ペレなんかも多分ホルガの思想に心酔しているように見えて、実のところかなりホルガの伝統にある穴やデメリットを理解した上でそれを利用しているように見えました
「僕も両親をなくしているから君の気持ちがよくわかる」という語り口、よくよく見るとホルガの共感の手法とはずれる気がするんですよね
ホルガの人々が行う共感は「何が悲しくて泣いてるのかわからないけど理由には関係なくあなたが悲しいなら私も悲しみを共有してあげる!ウワァー!」という手法なので、「自分も近い環境にあるから共感できる」というのはペレがホルガの信仰と関係なく個人としてダニーに使用した共感のテクニックなんだと思います
ペレは全部分かった上でタイミングを計ってダニーに接触しているし、どう言えば全員を丸め込んで儀式に参加させられるか理解した上で村の伝統について解説している(「余計なことはあえて言わない」くらいの理性と打算がある)ので本当に狡猾な人間だと感じられますね
そもそもあの共感は行き過ぎると誰かが急に怒りの発露として自分の家に火をつけ始めた時とかに全員それに影響されて村を焼きかねないので、やっぱり誰か(赤い帽子の人とか)が行き過ぎないようにそれをコントロールしているのではないかと思う)