Finding ParadiseのエンディングやColinの願いについて、プロデューサーのKan Gaoさんが語る動画を翻訳しました。 https://www.youtube.com/watch?v=dY2y-nKwuc8 まちがってたらごめんなさいします。
https://www.youtube.com/watch?v=dY2y-nKwuc8
こんにちは、Kanです。
今日はFinding Paradiseの1stアニバーサリーですね。
そこで、ゲームのエンディングやコリンの願いといったネタバレを含むショートビデオを作ってみることにしました。
コリンの願いはフェイにもう一度会うことだったという意見を多く耳にします。
しかしそれは、正確には願いそのものというよりも、願いを暗示するようなものでした。
フェイの性格を考えると、もしコリンがフェイに本当に会いたいと思えば、フェイを呼び出すことはできたんです。
ですが、二人の最期の会話や、「人生の終わりにもう一度会える」と言っていた会話でフェイは、コリンが幸せで満ち足りた人生を歩むことを確信していました。
しかしその時が来て、コリンにはそのようには感じられず、フェイに合わせる顔がないと思いました。
だから、ただ幸せになりたい、満ち足りた人生を送りたいというのは、彼の心からの願いでした。
そこに現れたシグムンド社が、問題を解決するだけでなく、新たな問題を作り出してしまったのです。
幸福と年齢の相関を描いたグラフのU字は、人生の両端が最も幸せであることをよく表した現象です。
しかしその背景には、たくさんの説があります。
中でも興味深い説として、人の心理現象といかに一致するか、というものがあります。
やり直しができる決断(より具体的に言うと、自身の選択を変更することの容易さ)は、選択したことに対する満足感を減少させます。
人生が始まると、自分の未来や過去の感覚にとらわれることなく、ほぼ目先の現在を生きるだけです。
しかし成長すると共に、自らの人生を決める数々の決断に直面することになり、それがベストな選択かどうかはっきりとしたフィードバックはありません。
そして幸福度が最も低下する地点は、人生の軌道を大きく修正する最後のチャンスであるかのように感じることになります。
その地点を最終的に通過し、選択の結果を受け入れて満足することしかできなくなります。
関連性のある例として、これは学校で試験を受けるマインドセットに似ています。
ここは試験の数カ月前、試験の前日、試験当日、そして試験の後。
人は、例えどのような選択をしたとしても、引き返せなくなるポイントを過ぎて自らの運命が確定すると、平穏を得る傾向があります。
しかしその平穏は、シグムンド社のCMを目にするまでのものです。人生と折り合いをつける自然なプロセスを巻き戻し、人々を精神的な葛藤の中に引き戻そうとするのです。
作中の最後に流れるコリンの記憶の映像はシグムンドの機械によって創られたものではありません。
「もしもあの時…」に囚われていたコリンが考えもしなかった、彼の人生で実際に起きたことでした。
ただ唯一変更されたのは、コリンが自らの人生について考えるきっかけとなったシグムンド社を削除した点でした。
To the Moonのジョニーをはじめとする特殊な状況の人々にとってシグムンド社のサービスは、閉塞感と、ユニークな状況下における平穏をもたらしてくれます。例えそれが刹那的なものであっても。
しかしその他の人々、特に若い頃に自己流の"シグムンド社"を願ったコリンにとっては、一つの単純な概念に帰結します。
物事を変えることができないなら、いま持っているものに幸せを感じることの方が簡単です。なぜなら、それが唯一の手段だから。
もし物事をなにもかも変えることができたなら、充足を得ることは無限に難しくなります。
最近、コリンの後悔がジョニーと比べて取るに足らず些細なものであるという、物語に対する不満をいくつか目にしました。
それこそがポイントです。
人は人生の中で、その時々に大切だと感じたことに囚われてしまいます。そして人生の終わりに振り返ってみて、それがどれほど愚かなことだったか気付くだけです。
この概念をどう理解すればいいのか、ちょっと残酷なジョークのようですね。
私たちがそこに至るまで、そのことを理解するのは不可能なんですから。
それではここまで聞いてくれて、そしてこのゲームを支えてくれてありがとう。
またいつの日か。