シンエヴァの感想とりあえず初見の印象残ってるうちに酒パワーで書いておく。さらば……(追記部ネタバレ全開)
最初に全体の感想と自分が読み取ったテーマみたいなものを書いておくと、個人的にはまぎれもない名作で、素晴らしい完結作だったと思う。
おおよそテーマとしては「世界ごとみんな消えてしまえ死んでしまえと願ってもそうはならないし、凄まじい規模の破壊が起こったとしても、人間も世界も案外しぶとく生き残ってしまう。それで生き残った先で営まれる生活そのものは辛くて大変なものなんだけど、だからと言って世界の破壊とか一発逆転とか言っていてもしょうがないんだから、地道に一歩ずつ身近な所からどうにかしていこう」……みたいな話だったなと感じた。
個人的にそのメッセージ自体はすごく響くし受け入れられるものだったけど、この主張を容れられるかどうかによって大きく感想と評価が変わってくる話だとも思う。
今回シンエヴァを見ている間は何度も「シンゴジラ」の事が頭に浮かんできて、シンエヴァは間違いなくあの作品を流れを継いだ作品だったなと思っている(無人軍艦爆弾とかそういう話ではなく)(あのシーン自体は豪勢なセルフパロディだと思ってちょっと笑いそうになった)。
シンゴジラを見た当時、庵野監督は東日本大震災に本当に強い衝撃を受けたんだなあと伝わってきたのがすごく印象に残っている。シンゴジラはまさにあの震災とそれに向き合う人々を描いた作品だったけど、シンエヴァ(そして今にして思えばQも)「大変な災害が起こってしまった後の人々の話」であったなと。
どちらの作品も「起こってしまった出来事と現実の理不尽を真っ向から直視するのは大変だけど、どこまで行っても事象そのものは現実に存在しているものだから、しんどくても向き合うしかない」というスタンスは一貫していて、それ自体は個人的には厳しいながら共感できる姿勢と思う。自分がこの二作を気に入った理由として間違いなくここへの共感は大きいものとして挙げられる。
ただし、シン・ゴジラは「人智を超えた自然災害」に対して、それが現実に起こってしまうことを受け入れた上でロジカルに冷静に最善を尽くそうという人々の話だったけど、エヴァに関しては作中の災害のうちかなりの割合が主要人物起因の人災みたいなものなわけで、ここはゴジラとは明確に異なる。
この結果、シンエヴァの側は、話としては「起こってしまったことにどう向き合うか」と同時に「やらかしてしまった本人が自分のやったことにどう向き合うか」、つまり作中何度も出てきた「大人の責任」という部分に強くフォーカスした話になっていたと思う。
もちろん「ちゃんと現実見ろ」という主張自体は別にシンゴジから始まった話ではなく、というかそれこそTV~旧劇エヴァが(トゲトゲした感じで)ずっと言い続けてきた事ではあるんだろうけど、今回についてはすごく柔らかくしみじみとした切り口でそれを描写してきた印象があって、何がこの差を生み出したのだろう、どのタイミングでこういう切り口に決まったんだろう……とは色々考えてしまう。
「柔らかくしみじみとした切り口」という意味では、なんと言っても前半でシンジくんが鬱々している間に「そっくりさん」が村の生活で人生のステップを進んでいくあたりの描写はすごく衝撃的だった。一連の流れは間違いなくこれまでのエヴァにおいては(少なからず意図的に)切り落とされてきたタイプのシーンだと思うし、異質で地味ながら、間違いなくシンエヴァ最大の見せ場だったと思う。地に足のついた生活の重み。
あの状況でシンジくんが鬱々してしまうのは100%同情するし仕方ない事だとは思うんだけど、そういう「自分」の事情に関わりなく時間は進んでしまうし、その間に周囲の人も世界も変わっていってしまうし、その中で世を去っていく人も現れてしまう。それは抗いようがない現実にほかならなくて、嫌でも何でも飲み込んでやっていくしかない。
自分がエヴァを知って劇場公開をリアルタイムで見たのは確か「破」の頃からなので、そこからの10年近い間曲がりなりにも人生をやってきたことが、このあたりの重みを実感できるようにしてくれたんだな……という感慨がある。
そういう意味ではTV版からの歴戦のファンはさらに倍以上の年月をエヴァの衝撃とともに過ごしてきているわけなので、このあたりの描写は更に重い効き方をしているんだろうなあと想像がつく。
自分語りはともかく、シンエヴァは概ね「やらかしてしまった」人たちが、その状況で諦めたり意固地になったりするのではなくて、現状をしっかり受け入れたうえで、少しでもマシな状況に近づけよう、とにかく話し合ってみよう、それで少しはマシになることもあるよ……という話だったと思う。他人に歩み寄る勇気、責任を取る勇気、自分を省みる勇気……みたいなものを奮い立たせて頑張ってみようという。
シンジくんは言うまでもなく、ミサトさんとゲンドウに関しては大人代表みたいな雰囲気を出しながら実のところ一番子供でワガママなんだよなと言われてきたキャラクターではあったので、この三人が最後にそれぞれのやり方で現実に向き合って責任を取ったのは本当に見事で、この部分を解決することこそが間違いなくエヴァが「完結」するための最大の条件だったんだなと思う。
この作品の立ち位置として、完全にして堂々たる「完結作」だった、ということは何より大切だと思う。
Qであれだけぐちゃぐちゃに展開された(ように感じていた)お話がこれだけ綺麗に納得感のある作品としてまとまってみせたのは本当に信じがたい偉業と言っていい。もちろん100%納得できたとは言い切れないところもあって、特に後半は大量のキーワードと演出の勢いで強引に押し切られたなという印象はあるものの、それでも全体としては間違いなくまとまっているし、締まっている。
単品の映画としてみても良い印象だったし、なにより「新劇場版」にとどまらずこれまでの様々なエヴァ作品を綺麗にまとめて終わらせよう、という試みとしても見事に成功してみせた。良くぞこの形でまとめ上げて公開してくれたなあと。
出てくる重要ワードとか映像で展開される事象そのものはとにかく情報量が多すぎて(少なくとも初見で視聴しながらのリアルタイムでは)理解不可能なレベルだったけど、そのシーンで何が言いたいか、何が大切かはしっかり伝わってくるものだったので、疑問符は浮かびつつもストレスはほとんど感じなかった。
加えて何より、作中のキャラがとにかく「状況を説明しようと試みてくれている」のが伝わってくるのがよかった。Qがそのあたりすごかっただけに尚更……。
このあたり、新劇場版の当初から「Qの次でしっかり説明をする解決編を作って完結としよう」という考えはあったのか、Qの世評が色々あった結果として「説明しないといけないな」となったのかは想像するしかないけれど、経緯がどうであれ今の形になってくれたのは本当に良かったと思う。
そして完結作という意味では、様々な世界設定の根幹部分を開示し、主要キャラの末路や救済の道筋を明確に示したこと……もさることながら、なんと言っても「ネオンジェネシス」とか「さらば全てのエヴァンゲリオン」みたいな(主にタイトルや宣伝面における)重要ワードが本編中で明確に回収されたのが印象的。ある種のタイトル回収というか、メタな要素も含めて全てを回収してみせる……という意味で、「今回で完璧に文句なく終わらせてやる」という気迫がひしひしと伝わってきた。
特にラストの戦闘あたりから、アニメ世界が「舞台」「セット」であることを見せつけた上で、エヴァも戦いもいらない、キャラクターたちも物語の舞台から退場してそれぞれの現実を生きていこう……というような展開は本当にすさまじかった。一歩間違えば大白けになりかねない危険な描写だったと思うけど、それを綺麗にハンドリングして文句なく終わらせてみせたのは本当に圧倒的と言うしかない。
個人的にあんまり作品と創作者の人生をゴリゴリに紐付けて読む手法は好まないので、エヴァに関しても監督の私生活の遍歴とかそういうのを絡め過ぎた感じの読み解き方(声優との関係がどうこうみたいなやつとか)はちょっとどうかしらと思っている方なんですけど、シンエヴァで繰り返し語られた「大人の責任」というものに限って言えば、エヴァの与えた影響と生み出したファンに対する責任、そして公開からの年月……という文脈をどうしても感じ取ってしまう。
そして、そういう文脈で見た場合にも間違いなく「責任」を果たした作品だったことは間違いない。改めてすごい作品の見事な「終わり」に立ち会えたなあ……という感慨に浸ってしまう映画だった。