仕事を辞めた記念に、仕事を辞めるきっかけになった話を書きました。特定できないように伏せていますが、だいたいこの通りだと思います。3000字ちょっとくらいです。
地方統一選挙もうすぐですね。
【仕事を辞めるきっかけの話】
昨日付で2年勤めた会社を辞めた。
辞めるまでの経緯や理由など細々したことはこのような形で書くに及ばないのだが、一つだけどうしても言いたいことがあるので、辞めることを決意したきっかけの出来事を書き残しておく。
去年の7月は大変な繁忙期で、私の部署は文字通りほぼ二十四時間体制で動いていると言って過言ではなかった。自分が関わっていたプロジェクトがようやくひと段落し、そのままの流れで課内の別のプロジェクトの仕事を手伝うことになり、その時期私は社外のフリーランスの方に仕事を発注する業務を、本来の担当者に代わってこなしていた。
7月の2週目、土曜も出勤して、家に帰ってからも残業をして、翌朝4時過ぎまで社外の方何人かと仕事のやりとりをして、やっと寝て、昼に起きた。その日は休みだったので、美容院で髪を切ってから、友達とご飯を食べる約束だった。
美容院で馴染みの美容師さんに髪を切ってもらいながら人心地ついた気分でいたら、職場用の携帯電話が鳴った。今朝とあるフリーランスの方に提出してもらった仕事が、全てやり直しであるという、職場の先輩からの連絡だった。こちらではなくフリーランスの方のミスで、どうしても今日中にその作業が完了しなければ、納期に間に合わないという。
その仕事は必ずしもその方にしかできない類のものではなかったのだけれど、何よりその日は日曜日で、その作業自体6時間から10時間はゆうにかかるだろうと思われ、そんな無理を押し通せる当ては私には他になかった。
取り急ぎそのフリーランスの方に連絡を取った。電話に出てくれたその人は電車のホームにいて、「今から投票に行くところなんですけど」と言った。
確かにその日は7月10日で、第26回参議院議員通常選挙の投票日だった。私は仕事が無茶苦茶なスケジュールで動くことがわかっていたので、前の週に時間を捻り出して期日前投票を終えていた。ああ今日が投票・開票日だった、とその時やっと意識に上がった(くらい、その時は日々の忙しさに朦朧としていた)。
話を聞くと、引っ越したばかりで住民票を移していなかったらしく、地元に帰る必要があるそうで、片道2時間はかかるとのことだった。投票後帰宅してからとなると、明日までに仕事を終えるのはおそらく不可能だと告げられ、私もそうだろうなと思った。
一旦電話を切って、その旨を伝えるために職場に折り返した。次の手を考えないといけないなと思っていたら、先輩は強い口調で言った。選挙だかなんだか知らないけど、こっちも切羽詰まってるから、プロジェクト長や課長がその仕事の完了を待機していることを伝えて、どうでもやってもらうしかないだろう。
シンプルに、めちゃくちゃ動揺した。
それはつまり、選挙に行くのをやめて仕事をしろと、私が、相手に言わなきゃいけないってことなのか? 選挙に? 行くのをやめて?
動揺しながら、それでもその人宛にこちらの状況を伝えるメール文面を打った。私は2年目のペーペーで、しかもそのプロジェクトの単なる手伝いの身分で、問題を解決するノウハウも、納期を延長する決定権もなかった。
すぐに折り返しの電話がきた。
「電車を降りました。選挙に行くのは諦めて、今から帰って仕事をします」と、その方は言った。
「私のミスですし、上の方をお待たせしているのも申し訳ないです。すぐに帰れば明日の朝までには終わると思います」
私はなんと言えばいいのかわからなくて、「それは助かりますが、本当に申し訳ないです」のような言葉を返したと思う。
「〇〇さん(※私のこと)は投票しました?」とその人に訊かれて、「期日前に行きました」と答えると、そのフリーランスの方は吹っ切れたような口調で言った。
「なら、いいです。インボイスを止めたかっただけなので。〇〇さんが私の分も投票したくれたってことにします」
今度こそ何を言うべきかわからなくなり、よろしくお願いしますとかなんとか言って電話を切った。このやりとりをしていた一時間ほど、散髪は全く進まず、美容師さんは私の席から距離をとって、静かに待ってくれていた。
帰りがけ、お仕事大変だね、という一言と共に、シールを手渡された。店のロゴが入った、透明な、なんてことはないシール。
「これね、」と、3歳の頃から世話になっている美容師さんが私の目を見て言った。
「貼るとお願いが叶うおまじないだよ」
受け取ってすぐにスマホに貼って、仕事が終わりますように!と声に出して言った。笑ってくれたが、内心笑えなかっただろうと思う。
友達と会うために駅に向かって歩きながら、とんでもないことをしてしまったという自覚が降りてきた。重みに耐えきれなくなって、友人と食事をしながら、昼間にあった出来事を話した。友人はしばらく絶句してから、「自分のせいだと思うだろうけど、あなたのせいじゃないし、絶対に仕事を辞めた方がいい」と注意深く言った。私はうん、と答えた。大学に戻れば、とも言われて、その場で大学院を検索したらギリギリ出願にも間に合いそうで、授業料免除制度とかもあるし、と説き伏せられ、そんな手があるのか、とも思った。
その子と別れて家路につき、暗くなった川辺の道を歩きながら、不意にボロボロと涙が出た。
最低の気分だった。私の周りの人間が、限りなく私に優しくしてくれたことも痛いほどわかった。あの場で「仕事はいいです、選挙に行ってください」とどうして一言言えなかったんだろう。気持ち上の整理はつけられても、投票できるのは一人につき一票なのだ。私の投票は、その人の代わりにはならないのだ。選挙権がどんな歴史のもとで今自分の手元にあるのか、中学生の時には習ったというのに。大学時代あんなに当たり前みたいに、友人と投票に行く重要性を分かち合っていたというのに。
忙しくて納期がギリギリで余裕がなかった、それだけで、自分が人生のほとんどの時間当然のこととして大切にしてきた信条をこうも手放せるものなのか。
その夜、選挙は自民党が過半数の議席を獲得して終わった。社外のフリーランスの方は、依頼した作業を明け方までかかって終わらせてくれた。
半年以上がすぎた今考えれば、私は私自身を責めすぎる必要がない出来事(構造的に要請された出来事)だったのだけれど、それでも私は今後「選挙に行こう!」というコピーを見るたびに「でもあの時、私はあの人を選挙に行かせなかったのだ」と思い出すことになるだろう。みんな必ず選挙に行こう!と一点の曇りなく言えるほど、自分の身を潔白だと思うことはできないだろう。
私はまだ社会的には若いとされる年齢で、この件に限らず、社会や世間のことをよく知らない。ナイーブすぎるとか、理想的すぎるとか、こんな程度のことはそこらじゅうに溢れているとか、そういう言葉を一種の励ましとしてかけられたこともある。それは本当に優しさから発された言葉だったとは思うが、慰められるのと同時に傷つく。自分が正しいと思う自分の在り方を自分自身が裏切った時のショックは、意識的にも無意識にも、ずっと後に引いて残る。
私が言えるのは、ただ「行ける人は投票に行ってください」というだけである。行ける人は投票に行ってください。お願いします。投票に行ってください。贖罪のような気持ちで、あれからずっとそう願っている。
どうか、行ける人は投票に行ってください。お願いします。