【ロー・ポジション】杜野凛世の話。
◇「知らぬ顔」
おそらく学校帰りの凛世とその友達が、寄り道しているところにプロデューサーが出くわす話です。プロデューサーによればそこは学校に近い場所であるとのこと。背景はどこかのフードコートのようだけれども、さながら「マックの女子校生」のようですね。
凛世たちが話しているのは、いわゆる「おじさん構文」的なメールの文面のことで、自分たちの親の絵文字の使い方についていろいろと話しています。特に取り上げられているのが赤いビックリマークで、これはまさに「おじさん構文」で多用されているもの。
興味深いのはその内容だけでなく、ここで凛世がビックリマークのその赤色に注目しているところです。凛世といえば、【われにかへれ】ではっきり描かれているように、過去からずっと赤色と青色の対比がモチーフとして現れてきています。私の読みでは、青色が確信や永遠性を表しており、赤色が疑いや瞬間性、想いの熱さのようなものを表しています。凛世は「赤いびっくりマーク」に「恋しく思うこと」を読み取っており、この色モチーフはここにも表れているように読めます。
会話の中で友達にナゲットを口に放り込まれ、ケチャップが手に付いてしまったらしく、凛世はそれを洗いに行きます。その道すがら、居合わせたプロデューサーの存在に気づく凛世。ここで選択肢になるのだけれども、そのうち2つは凛世にケチャップが付いていることが語られます(片方は凛世に言わないまま)。ケチャップは赤いもの。それが凛世に付いている、というわけです。
◇「芽ぐむ頃」
いきなり瓶ビールの注ぎ方を講習するおじさん(おそらく)のセリフからコミュが始まります。直前のコミュが「おじさん構文」を扱ったものであったところから、突然マナーを説くおじさんの話に移るというところが面白いですね。
プロデューサーが取引を行っている場面なのかと思いきや、そこには凛世も同席していることが分かります。瓶ビールの注ぎ方を説くおじさんは取引先の部長で、酔っぱらっていますが、部長の部下はそんな部長をどうにか制止しようとしています。
コミュが始まった当初の印象では、酒の席に凛世を連れて来るなという風に感じていました。凛世をというか、未成年の高校生を連れて来るな、という感じですね…… 取引先の部長は瓶ビールの注ぎ方を凛世にも教えようとして、自分にお酌させようとします。若い女の子にお酌させようとするおじさんは実際多いし、はっきりいってセクハラです。そこでプロデューサーが止めに入ります。
酔っぱらった部長の態度は最悪でしたが、それを制止しようとした部長の部下の存在と、止めに入ったプロデューサーのおかげで、この部長の態度が良くないものとしてコミュ内で演出されていることが読者に伝わってひとまず安心しました。取引先との席が終わった後、店を移動してプロデューサーがもっと堅い席だと思ったと謝罪しているところからも、この部長の演出に対するフォローが感じられます。
取引先の部長が凛世にお酌させようとしたのをプロデューサーが制止したとき「修養が必要な身」とプロデューサーは言っていましたが、凛世はその言葉を気に病んでいる様子でした。そもそもプロデューサーがそう言って制止したのは、取引先の部長のメンツを立てつつお酌を断るためで、それは方便のようなものです。お酌の要求ははっきり言ってセクハラですが、それを指摘すると相手のメンツをつぶしてしまうことになります。相手の方が明らかに悪いのに、悪いことしてる人のメンツを立てなければならずその悪さを指摘できないというのが、歯がゆいところです。「取引」の場であるということに加え、相手が部長であることからかなり権限がある人物であることが想像され、プロデューサーとしてはそういう立ち回りをするしかなかっただろうことが推察されるますが、気持ちのいいことではありません……
「俺もなんだ……」の選択肢の先でプロデューサーが「大人の人たちの社会」言っているのは、こういう歯がゆさも含むものであるのかもしれません。ところでここで大人になるということが話題になりますが、この話題は【夜明けの晩に】を想起させるものです。【夜明けの晩に】との連なりは、次のコミュ「春雪」においてもそうなのではないかという気がするのですが、どう考えればよいのかはアイデアはまだありません……
「そういうことじゃないんだ」の選択肢では、アイドルである凛世は取引でお酒を注ぐのではなく、ステージに心を注いでほしいとプロデューサーが言います。それに応答して凛世は、「凛世の……心は……」(グラスの氷のSE)「こぼれてしまいそうで……ございます……」と答えます。「心は」と言われると、【ふらここのうた】Trueを思い出さずにはいられません。
興味深いのはここの2人の会話とSEによって「心」に液体の比喩が与えられていることで、その比喩によって「知らぬ顔」のケチャップ、「春雪」の味噌汁、「濡れて参ろう」の血と雨が、「心」を表すものとして連鎖しているように見えてきます。そのような連鎖をふまえると、「知らぬ顔」で凛世に付いたままだったケチャップは、凛世の血であり凛世の「こぼれ」た心である、という風にも考えたくなります。
◇「春雪」
星が出ている空の背景から始まります。夜の話かと思っていたら、読み進めると早朝であることが分かってきます。寮の食堂の場面が挿入され、これが味噌汁か何かを作っている凛世のアニメーションのコミュであることに気づきます。凛世を迎えに行くらしき車にプロデューサーは「こんなんじゃ寒いよな」と暖房を強くしていて、そこで凛世の味噌汁もまたプロデューサーの暖房に相当するものだということが分かります。2人が互いに気遣いをし合っている。
「芽ぐむ頃」でも「濡れて参ろう」でも、プロデューサーが凛世を守ろうとしていると同時に、凛世もまたプロデューサーを気遣っていることが描かれていて、この両方向からの気遣いの噛み合いが今回の【ロー・ポジション】のひとつの結節点であるように思います。その結節点に置かれるのが、「春雪」の温かい味噌汁。その味噌汁は朝をつれて来ると言われます。正確には、「朝とプロデューサーさま」を。夜明けの朝という時間をどう捉えるかということに関しては、【夜明けの晩に】との繋がりを考えてみると良いように思われるのですが、私にはまだアイデアがありません。
これは考えすぎかもしれませんが、味噌汁を温めるガスコンロの火は、【杜野凛世の印象派】True「たちきれぬ」の線香の火、【十二月短篇】の花火を思わせます。味噌汁はもしかすると、凛世の色モチーフの赤いものの系譜に連なるものであるのかもしれません。味噌汁によって朝が来たと語られるとき、朝焼けのような赤い空の背景が挿入されるという点も見逃せないポイントです。
【われにかへれ】でも描かれたように、赤は青とは交わらないものでしたから、赤いものが冷えたプロデューサーの体を温める(凛世の赤がプロデューサーに伝達される)というのは、今まででは考えられないことでした。ここにG.R.A.D.と【われにかへれ】を経て生じた変化を読み取ることもできるかもしれません。
◇「濡れて参ろう」
図書館で雨宿りをしている2人です。凛世は「今月のイチオシ」コーナーに置かれていた本を手に取って読んでいます。私は全く知らなかったのですが、どうやら行友李風作の『月形半平太』という作品であるようです。コミュタイトルであり凛世も口にする「濡れて参ろう」はその有名な台詞とのこと。もともとは演劇で、オリジナルは小説ではないので、凛世が手に取ったのは何の本だろうかとちょっと思います。美しい装丁と言われているので、具体的にこの本というのがあるのかもしれません。
凛世が読んでいる『月形半平太』は、凛世が話している通り幕末維新を舞台にしたストーリーであるとのことです。作中の雨に降られる場面(おそらく有名な台詞の場面)が、雨宿りしている2人の現在に重ねられています。ただし作中は「討幕運動の最中」であり「血で血を洗う」ような状況です。プロデューサーはパソコンを置いてきてしまったのでそわそわしていますが、「パソコンなくても血は流れない」のであって、そこが作中とは異なるところです。
「うん、よかった」の選択肢では、そうした討幕運動の時代と現在を比較して、「こんな雨くらいで往生してるの、ちょっと恥ずかしい」とプロデューサーは言っています。この比較が入ることによって、討幕運動の中で血に濡れることと、雨の中で雨水に濡れることとが対比的に見えてきます。血と雨を対比すると、単純な発想ですが、血は赤いものだけれども雨は青いものだということになるかもしれません。あるいは雨は冷たいものであるが、血は生温かいものだということかもしれません。生温かいものであると考えると、そこに液体の比喩として味噌汁をまた連ねたくなります。
「……ふたりはどうなるんだ?」の選択肢の先で、凛世は『月形半平太』のセリフを引用して「春雨です…… 濡れて……まいりましょう……」と言います。もともとの『月形半平太』でのセリフの意味が分からないので、凛世がここでこの言葉を引用して何を伝えようとしているのかは私にはよく分かりません。ただ、液体の比喩が背景にあることを考えると、「濡れてまいりましょう」という言葉をもっと味わいたくなります。ここにはどういう意味が込められているのでしょうか。
また、ここで「春雨」という言葉が出てきているところから、3つ目のコミュの「春雪」というタイトルはここから来ているものではないかと思えてきます。「春雨」が「濡れてまいろう」であるならば、「春雪」は何になるでしょうか。
◇True「木に花咲き」
凛世と車で移動中、1つ目のコミュで凛世と一緒だった(と思われる)凛世の友達が歩いているのを見かけます。車の窓から凛世が友達に挨拶をします。友達はこれからクレープを食べに行くとのこと。凛世は今日はレッスン(だけ)です。
プロデューサーはそのことを謝罪します。凛世としては、プロデューサーと一緒にいられるのだから、嬉しいのかもしれません。ですがプロデューサーとしては、友達と一緒にいるところの凛世が楽しそうにしていたのが印象的であったようです。そしてアイドルではない凛世に向って、これからクレープを食べに寄り道をしようと誘います。これは本当に【われにかへれ】の時点では考えられなかったことで、本当に本当に良かったねと思いました。
ところで会話の中でアンティーカのイベントシナリオで登場した橋と高速道路が重なる場所の背景が挿入されていて、この挿入が非常に印象的でした。アンティーカのイベントでは、この背景に人と人が出会う場所という空間的なものを感じたのですが、ここではアイドルである面とアイドルではない面が1人の人物の中で重なり合う様子を視覚的に感じます。
人間は一面的な存在ではなく、様々な要素や側面を持っていて、それらが重なり合ったり交じり合ったりして複雑で多面的であるはずです。こういう重なり合いや交じり合いが、シャニマス4年目のCDタイトルにもなっている「layered」ということのひとつの意味なのかなという風に感じました。あの橋と高速道路が重なる場所の背景は、こうした4年目のテーマを視覚的に表現するものであるように思えてきます。そして【ロー・ポジション】もまた、4年目のシャニマスのテーマに連なるものであるのかもしれません。
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