黄金のレガシーメインストーリー感想
メインストーリーに対する私の感想と、批判される理由の個人的考察(高評価ながらも酷評)
ついでに前回書ききれなかった各章……と言うか細々とした問題点に関して
ネタバレあり、やっぱ長い
勘違いされると困るので始めに断っておくが、私は今回のストーリー(全体構成)はかなり良かったと思っている
個人的な感想で言えば漆黒の次に面白く、暁月よりも評価が高いくらいだ
また、漆黒の次に、と言っても決して漆黒に劣っているわけではなく、むしろ漆黒が良すぎただけで黄金のレガシー単体でも十二分に面白く、期待値以上の完成度であったことは明記しておく
例えば前半の継承戦が前振りとなることで後半のスフェーンへの感情移入をスムーズに済ませる構成や、それ故にお互いの譲れないものが明確に伝わる展開は非常に良くできている
前半でウクラマトの成長と共に描かれた民との触れ合いは、そのままウクラマトに似ているスフェーンの掘り下げにもなっており、彼女にとっての民と言う存在がどれだけ重いかを如実に描く構成は見事としか言いようがない
このおかげで後半ぽっと出だったにも関わらず、スフェーンという人物像が十分に掘り下げられて感情移入ができるようになっていた
(好みの差はあると思うが)
そして、それ故に破綻したシステムながらも永久人を見捨てることができないスフェーンの苦悩と葛藤が色濃く描かれた、切なく残酷なストーリーでもあった
それはかつて冒険者とエメトセルクがそうだったように、お互いの譲れないものを守るための戦いでもあり、実際それを彷彿とさせるような描写もあった
もしこれが別作品のRPGだったなら。或いは、買い切りのRPGであったなら。両者が助かるための方法を模索し、見つけ、二人の王が手を取り合う未来もあったのかもしれない
しかし、これはFF14であり、これから先も世界が続いていくMMORPGなのだ。そうはならなかったし、そうは出来なかった
デュナミスと言うご都合主義の権化とも言うべき力を持ってしても、どうにもならないことがありありと伝わる残酷すぎる現実がそこには描かれていた
これからも世界が続いていくMMORPGにおいて、永久人と言う破綻した存在を残し続けることは不可能に近く、スフェーンの願いはここで断ち切らねばならなかった
それがどんなに悲劇的な結末に至ったとしてもだ
三流の喜劇より一流の悲劇を描き切ると言う書き手の覚悟が伝わるような、切なさと熱量を感じさせるストーリーだった
せめてもの救いは永遠を生きる孤独な女王であったスフェーンが、最期の最期でウクラマトと言う友を得て、お互いの想いをぶつけ合うことが出来たことだろうか
スフェーンと言う一個人は消滅してしまっても、最期に見せた彼女の想いが、きっとウクラマトの中で生き続けることになるのだろう
全ての要素がスフェーンの想いをウクラマトが受け継ぐと言う点に収束し、それ故にビターエンドとも言うべき終わり方ながらも強い納得感とどこか晴れやかな気持ちを受け手に与える美しいエンディングだった
永遠の命と受け継ぐ想い。人の死とは何か。何を持って死と定義するのか。人はいつ死ぬのか
これまであらゆる作家が手掛けてきた命と死に対する一つの考えが、FF14という舞台の上で壮大に描かれた見事なストーリーだった
私はこの全体構成を美しいと思っているし、好みの差こそあれど見事としか称するより他ないとも思っている
そして、だからこそ許せないのだ。節々に見られる構成の甘さが
全体的なストーリーや設定の作り込みは完璧と言っても差し支えないほどに美しく、黄金のレガシーの名に相応しいまばゆい輝きを放つ幹になっている
にも関わらず、その幹から生える枝葉は稚拙と言うより他ないほどに構成が甘く、全体の世界観を掘り下げるどころか足を引っ張ってさえいる有様だ
書き手のやりたいことややらなければならないことをチェックポイントのように用意し、そのために必要な前振りや掘り下げ、背景描写や動機付けはおざなりに、回収だけはしっかりしたような粗末さだった
その結果、どこまで行ってもプレイヤーのやりたいことは小脇に置かれ、書き手のやりたい事ややるべきことばかりが提示され続けるのだ
そしてなぜそれが必要なのかをキャラクターの口を通してうだうだと言い訳がましく説明されて、うんざりしながらそのタスクをこなし、ようやくノルマを達成すると、また長いカットインの末に次の退屈なタスクが言い訳とともに提示される
一時が万事、こんな調子だ
おかげでその雑な描写を見せられたプレイヤーは、ひどく退屈なやらされ感あふれる道中を歩む羽目になっている
(荒野編が特に顕著だろう)
これだけ全体構成の美しい物語を描ける人物が、前振りとなるはずの各章の話をここまで乱雑に、蔑ろにしてしまうのか?と疑問を抱きたくなるほどには酷かった
だからこそ私は、メインストーリー(全体構成や各種設定)を考えた人物と、各章のストーリーを書いた人物は別人じゃないかと考えている
そして、だからこそ私はこれだけ美しい作りになっていた幹に生やすべき、必要な枝葉の形すら理解せず、ただ書き手の書きたいもの、書かなければならないものだけを前面に押し出してきたような各章のストーリーに怒りを覚えたのだ
今回は紅蓮に似たストーリーだと言う評があったが、紅蓮の場合は用意された題材を面白く見せようとする努力が垣間見えた
だからこそ私も紅蓮のストーリーに関して表立って批判するような真似はしなかったし、今回のような怒りも覚えなかった
しかし、黄金のレガシーはそうではない
面白い物語を書く上での基礎知識をほんの少しでも書き手が学び、それを実践し、見せ方を変えてくれさえいれば、もっと面白くなるだけのポテンシャルが十二分にあったのだ
今のご時世、2000円も出せばハリウッドで使われているような脚本術を勉強できる時代だ
私も趣味でそう言った本を何冊か手元に置いているが、どの本でも語られていることは大体同じである
これは、面白い作品に必要な要素が大体同じだと言うことの証拠でもあるだろう
だと言うのに、黄金のレガシーではそんな基礎の部分すら守られていない
と言うかむしろ、誰もがこれだけは絶対にやるなと言っているタブーをいくつもやらかしている。やらかしまくっている
勘違いしないで欲しいのは、タブーを犯すなと言っているわけではないということだ
新しい面白さは得てしてそう言う邪道から生まれるものだ
だが、タブーを犯した以上は相応の結果を見せろと言いたいのだ
直近100年の人類史において、面白い物語とは何かという点が様々な人によって分解され、考察され、体系化し、起承転結や三幕構成と言うような技法が生まれて来た
それらをあえて無視してタブーを犯すのは、これまでの歴史に戦いを挑む行為に等しい
ならば勝て。せめて善戦しろ。そして何かを掴め。それすら出来ないならまずは基礎を守れ
しかし黄金のレガシーは無謀とも言うべき戦いにその身を投じ、案の定惨敗してしまった
私が言いたいのは、この分かりきっていた惨敗をなぜ避けられなかったのかということだ
この失敗で何かを学べたならまだしも、基礎中の基礎で躓いている以上、何かを掴んだとも到底思えない
単純な好みの問題ならいくらでも納得した。だが今回の惨敗は明らかに基礎の欠陥が原因だ
そしてこれは実際に失敗しなくとも、ほんの少しでも勉強する姿勢があれば気づくことが出来たはずで、そのための対策も打てたはずなのだ
このやらかし方はまるで、予習しておけば簡単に処理できるギミックを、一切予習していなかったがために失敗してワイプしたような徒労感に似ている
しなくても済んだはずの失敗で、一体何を学んだと言うのだろうか
勉強は大事、と言う誰でも知っているような基礎中の基礎が今になって身に沁みたとでも言うつもりなのだろうか
だからこそ私は怒っている。基礎を疎かにし、学ぶ姿勢すら見えなかった書き手の姿に
単純に不慣れなだけならいくらでも擁護できた。これから少しずつ学び、成長すればきっと良い書き手になるだろうと
しかし、この程度の基礎すら学んでいない姿勢が見えた以上、ここからの成長を望むのはあまりに絶望的だ
或いはあえてタブーに挑んだ、と言う可能性も捨て切れないが、それにしてはあまりに稚拙と言う他ない
私も今まであえてセオリーを捨てた作品をいくつか見て来たが、面白い面白くない以前にどの作品にも共通する点があったのだ
それは書き手の熱量を感じさせる描写や演出に溢れていることだ
「私はあえてこの方法を選んだ。これが私の考える面白さだ」
そう言いたげな細かい設定、巧みな描写、深い教養、美しい台詞回しなどから書き手の想いが伝わってくるのだ
そう言った熱量が書き手への信頼へ変わり、この人はわかった上であえてやっているのだな、と言う理解に繋がる
だからこそ結果的に面白くなかったとしても、果敢に戦いを挑んだその勇姿に称賛を送りたくなるのだ
しかし、黄金のレガシーの各章にはそんな熱量すらも感じられなかった
評価が高いのは歴史の掘り下げや種族の文化など、物語全体の基礎設計にあたる幹の部分ばかりだ
ではなぜそれほどまでに稚拙さを感じる作りになったのか
原因は様々で指摘しだすとキリがないが、特に顕著な部分が何箇所かあるため今回はその点をピックアップしたい
もしかするとそれらには私が汲み取れなかった深い意図や思いがあるのかもしれないが、それらも踏まえて私が酷評した理由の一端が伝わればと思っている
まず始めに、ここまで散々言ってきた面白い物語の基礎とは何かをいくつか提示する
物によるとは思うが、大体の脚本術に共通しているのは以下の点だろう
①物語の序盤では設定説明を入れない
②物語の序盤では誰が主人公でこれがどう言う話なのかをなるべく早く、明確に示す
③説明ではなく描写を行う
④受け手の予想を裏切る展開を作り、退屈させない
⑤ただし受け手の期待は裏切らない
序盤に対する言及が多いのは、それだけ物語の序盤が担う役割が多く、重要だからだ
小説の冒頭3000字、映画の冒頭30分、マンガやアニメの第一話、いわゆる掴みと呼ばれる部分はそれだけ重要で、ここさえ面白く描けていれば残りが多少退屈でも受け手は最後まで見てくれるとさえ言われるほどだ
だからこそ書き手は冒頭に力を入れるのである
いわゆるなろうテンプレ作品の冒頭が同じような展開になっているのも、そうして磨き上げられた形の一つだからなのだろう
そして逆に言えば物語の冒頭の出来が書き手の技量を如実に表している、とも言い換えられる
では、黄金のレガシーの冒頭はどうだったか
スタート〜トライヨラ到着までのいわゆるプロローグ部分は特筆する点はなく、むしろ評価点が多いと思う
嵐の際にやけに手慣れた障壁展開を見せる冒険者の姿などは旅慣れている描写にもなるし、ファンサービスとしてもよく出来ていた
何より④の受け手の予想を裏切るという点において、ここでこの知識が役立つのかとニヤリとできる演出は、これからの旅も嵐のような困難を冒険者がこれまでの経験を生かして乗り越えていくのだろうことを予期させる出来だった
またグラフィックアップデートの効果を見せるためか、この時のカットインも力の入ったものが多く、ストーリーだけではなく7.0の大型アップデートそのものを象徴するようなスタートだった
強いて言えば魔の三角海域など前振りがあった割に特に何もなかったことが気になったが、まぁそんなことは些細なものだ
ここでプレイヤーの期待と興奮は最高潮に達し、ついにトライヨラへと降り立つことになる
そう、何もかもが問題点だらけの第一章、トライヨラ編の始まりだ
トライヨラ編の大まかな流れは以下だ
到着→他部族国家であることやウクラマトが王女であることの再描写→観光しながら歴史の説明→タコスをバクージャジャに踏まれる→継承の儀の内容説明→凱旋→石碑と石板の見比べ→ペルペル族とハヌハヌ族に分岐
お気づきだろうか。最初に提示した5つの基礎のうち、既に①から④までが破られた
私は石像で歴史の説明が始まったあたりから「本当に大丈夫かこれ……」と不安になっていた
しかし今までの積み重ねとFF14への信頼があったため、きっとやむにやまれぬ理由があったのだろうと好意的に解釈し、ストーリーを進めていった
そしてそんな理由などなく、単に書き手の技量不足である可能性が浮上した時、私は愕然とした。今回のストーリーに暗雲が立ち込めた瞬間である
①の冒頭で設定を説明するな、は必ずと言って良いほど言われる絶対にやってはいけないタブーであり、同時に物語を描き始めたばかりの初心者が必ずやらかす間違いだ
重要なのは、受け手が見たいのは物語であって設定資料集ではないという点である
設定を説明したいのなら、まずはそれに関連する物語を提示しなければならないのだ
要求が満たされて初めてその他に興味が出るのであって、要求が満たされていないうちからその他の情報を提示されても「それはいいから○○を出してくれ」としかならないのである
今回で言えば物語は王位継承戦にあたる。継承戦のルールもわからないうちから設定説明はさすがに性急すぎるだろう
というかこのタイミングでプレイヤーがやりたいのはトライヨラを見て回ることであって、バカでかい門や石像を眺めながらの腰を据えた歴史のお勉強ではない
この時点で④の受け手を退屈させない、も破綻した
書き手のやりたいことを優先しすぎた結果の食い違いがここにも現れている
しかも継承戦のルールが判明した後、また石像のところまでやってくるシーンがあることに私は愕然とした
歴史の説明はこのタイミングじゃダメだったのか?
観光フェーズではトライヨラ建国の歴史が記されているんだ、くらいで流しておいて継承戦開始で7枚の石板を渡された際に改めて歴史の説明、ならプレイヤーも多少は聞く耳を持ったことだろう
少なくとも来たばかりのあちこち見て回りたいタイミングでやるべきことではなかったはずだ
そしてこれはソリューションナインでもそうだ。
あちこち見て回りたい時に始まる、長くシリアスなカットイン。
スフェーンによるゾラージャとの和解ができないかと言う説得。
それ、本当に今じゃないとダメか?
この時の私はカットインを省略したい衝動でうずうずしていて、正直ここの会話の内容がほとんど頭に残っていない
このあとスフェーンによる案内が始まったから良かったものの、もう一つでも余計カットインが入ればボロクソに文句を吐き捨てた上でこの先のストーリーを全部スキップしていた可能性すらある
或いはプレイヤーがどこまで我慢できるのかと言う耐久試験を行なっていたのであれば、今回の負荷が最上限だ
もう一度聞きたい。それ、本当に今じゃないとダメか?
このように黄金のレガシーは提示される情報の順番がことごとくズレていて、全てが書き手都合であることも批判される理由の一つだと考えている
そして②の主人公とコンセプトの提示。ここもまずかった
今回の冒険にプレイヤーがどう言うスタンスで臨めば良いかは、冒頭でアリゼーが口にした
「世界を救う旅ってわけでもないんだし、楽しみましょう」
と言うセリフからしか推察することができず、このセリフからは冒険者とウクラマトのどちらが主人公なのかもわからない
もちろん継承戦なのだからウクラマトが主人公だ、と察することは出来ても、そもそも受け手が気を使って察してやらないといけない時点で描写としては失敗しているし、楽しみましょうって言われているのにやることが付き添い人なのか?と言う疑問も残る
荒野編の開幕が高評価なのは、この部分がようやく回収されたからだ
自分で手綱を握れない旅の一体何を楽しめと言うのか
ましてやPLLで吉Pが○○と言っていたからこの展開は予測できたはず、などと言うのはもはや論外だ
なぜならそれはストーリー上の話ですらない
これから先、5年後10年後に私と同じような感想を抱いた新規プレイヤーがいた場合、彼らにも同じことを言うつもりなのだろうか
「5年前、10年前のPLLで吉Pがこう言っていたんだから、理解できなかったのはプレイヤーの読解力不足だ」と
前回の感想で冒険者の立ち位置はウクラマトの師匠だったのでは?と記したが、出来ればトライヨラ到着後すぐの時点で師弟関係を示唆する描写が欲しかった
トライヨラを見て回りながら豊富な経験でこういう事かと瞬時に状況を理解する冒険者と、それを見て驚くウクラマト、のような描写が
そして③。これも酷い
説明ではなく描写しろ、とただ言っても違いは何かわかりづらいと思うので一例を挙げる
例えばトライヨラに来てすぐ、港にやってきて話しかけてきた民がこういった
「ウクラマト様は気さくに話しかけてくれるから、つい声をかけたくなる」
この、受け手にウクラマトの設定を開示するためだけに用意されたとしか思えない説明セリフをやめろ、という話をしている
民に慕われているというのであれば、街を歩いているだけで声をかけられるとか、差し入れを貰ってしまうとか、ウクラマトが店員と話し込んでしまい、冒険者が置いてけぼりになってしまうとか、そう言う演出を挟めと言っているのだ
王候補たちの凱旋でわざとらしく民が駆け寄り、申し訳程度に掘り下げをしていくくだりも最悪だ
そんなもの、観光フェーズでやっておけと言いたくなる
それに、民に慕われているはずのウクラマトの凱旋に、なぜ数人の民しか集まらないのかも甚だ疑問だ
書き手同士で設定の共有すら出来ていないのかと言いたくなる杜撰さだった
王女としては慕われているが連王としては期待されていないと言うのであれば、それこそ描写しろ。作中で描け。受け手に補完させるな
ここに限らずこう言う設定開示のための説明セリフが黄金のレガシーには随所に見られる
ストーリー中、何度も「だったらそれを見せろ!」と言ってしまうほどには
トライヨラが多部族国家だと言う説明もそうだ
だったらトライヨラに来たばかりの他部族の者たちが、他種族故の価値観の違いで起こした騒動の一つや二つくらいあってもよかったのではないか
そしてその騒動の中でウクラマトが率先して問題解決に奔走すれば、ウクラマトは民思いでついつい問題に首を突っ込んでしまうことや、だからこそ民に慕われている描写の裏付けにもなる
冒険者が豊富な知識でその問題解決の後押しをして、ウクラマトが驚く描写なんかあれば最高だ
なぜそれが出来なかったのか。この程度の描写を入れる尺がなかったようには到底思えないのだが
と言うか、今回の批判点にあげられている多すぎるカットインも、この描写不足が原因ではないか?と勘繰ってしまう
本来描くべき描写が足りていないせいで想定していたプレイ時間に内容が足りず、やむ無くカットインで水増しをしたとしか思えないほどにプレイ時間と描写の薄さが乖離しているのだ
各キャラクターの掘り下げや前振り、描写をしっかりと詰めれば今の1.5倍ほどのシナリオになったはずで、そこまでくるとさすがにどこかカットインを削除しようか、と言う話にもなったのではなかろうか
全ては私の勝手な邪推でしかないが
因みに、同人誌作家がオリジナル作品を書くと、キャラクター描写が弱くなる、と言う通説に今回の問題点は酷似していることも追記しておく
同人誌は原作となる作品からキャラクターだけを借りてきて新たな話を作るため、他の物語と違ってキャラクターの掘り下げが必要ないと言う特徴がある
そして、こうした同人誌作家がオリジナル作品を描くと、得てして今回のようなキャラクターの掘り下げ不足が頻発すると言われているのだ
同人誌であれば必要なかったキャラクターの描写が、オリジナル作品では当然ながら必要になってしまうからだ
書き手本人はこのキャラクターは○○という作品の○○というキャラクターがモデルだ、と言うだけで感情移入が完了してしまうが、受け手はそんなことを知らないのでただの知らないキャラクター、或いは○○に似たキャラクターと受け取ってしまう
ここで書き手と受け手に温度差が生まれ、書き手は既に感情移入が完了しているのでそのキャラを○○として扱い、ギア全開で話を書き進めてしまう
一方、受け手はそこまで感情移入が出来ていないので、よく知らないキャラクターを中心に物語が盛り上がりはじめ、置いてけぼりを喰らうことになるのだ
こうした書き手と受け手の温度差に対する配慮も黄金のレガシーでは随分雑に感じたことも、設定を作った人物と細かなストーリーの書き手が別人ではないかと思った理由の一つだ
提示されるキャラクター設定はどれも魅力的で掘り下げがいがあるものばかりであるにも関わらず、その見せ方はあまりに杜撰で情報の提示も説明的だ
まるでプロが作ったキャラクター設定でアマチュアが話を描く同人誌のように
ただ、バクージャジャに関してのみ、私は冒頭から非常に魅力を感じていた
バクージャジャの振る舞い、言動、行動からバクージャジャという人物像が次々掘り下げられていたからだ
バクージャジャのような描写が他のキャラクターで何故できなかったのか、非常に残念でならない
字数が足りないので⑤については一つだけ触れる
私が黄金のレガシー中で最低のシナリオだと思っているシュヴァラール族の料理対決についてだ
アルフィノを介した言い訳がましい動機付けや、バナナの葉を探している最中にコーナが突然「灰戦場に当時の和平会談の痕跡が残っているのでは?」と訳のわからないことを言い出す脈絡のなさ
その後に現れるめちゃくちゃ面白い過去の回想と噴飯レベルの葉っぱの入手法
歴史のくだり以外、何もかもが擁護に値しない凄惨とも言える酷さだが、私が特に最悪だと思ったのはアリゼーのこのセリフだ
「バクージャジャと組むことになったら複雑ね」
この時、いや更に言うと二人一組、と言う説明を受けた時、私の胸は高鳴った
「ここでバクージャジャと組むことになってバクージャジャの掘り下げが始まるのでは……!?」と
結果はご存知の通りである
そしてがっかりしながら進めると、前述の言い訳がましい説明や脈絡のないセリフ、そしてめちゃくそ面白い歴史と嫌がらせのように埋められた葉っぱを回収することになる
⑤の受け手の期待を裏切るな、に関してはこれだけで十分だろう
ある意味では④の受け手の予想を裏切る展開、は達成できているのだが……
因みに、ファン予想を裏切ろうとして予想と共に期待まで裏切った作品がスターウォーズEP8であることも記載しておく
この作品がどう言う評価を受けているのかは調べていただければわかると思う
強いて擁護するのであれば、期待を裏切らず、かつ予想を裏切るのは非常に難しいので、これが出来なくても仕方がない
ただ、今回に限って言えば明らかにそのための素材は揃っていたはずだ
料理は文化であり歴史を知る一つの手段である。おおいに結構、その通りだ。ただ、なぜそれを最初に説明した?
これは継承の儀を通じてグルージャジャが王候補たちに学んで欲しかったことであり、ウクラマトに気づかせなくてはいけないことの一つだったのでは?
なぜアルフィノに説明させた?
そしてなぜコーナと組ませた?
コーナがここでウクラマトと組んだ意味が、ウクラマトが歴史を掘り下げることで新しさだけではダメだと言うことに気づくと言う構図を作りたかっただけなら、もっと良い方法はいくらでもあっただろう
例えばウクラマトとバクージャジャが組み、コーナが敵対すればこれらの要素を回収しながらもっと面白い展開になったはずだ
プレイヤーの気持ちを代弁するようにバクージャジャがなんで料理なんか作らなくちゃならないんだとボイコットし、ウクラマトたちだけで料理を作る羽目になったのかもしれない
その道中ではコーナ&サンクレッド&ウリエンジェVSウクラマト&冒険者のマッチアップで、素材の争奪戦もあったかもしれない
そうしていくら探してもバナナの葉が見つからず、あちこち探し回り、とうとうマップ正反対の灰戦場まで足を運ぶ展開もあったかもしれない
そうなればきっと、そこで料理の歴史を聞き、調理法ひとつにも重要な意味があることをウクラマトは知っただろう
そうした中でバクージャジャは、良いからさっさと料理を作れとごねたに違いない
しかしお人好しで生真面目なウクラマトのことだ。きっとそんな歴史を知ったら調理法にも意味がある、大切な融和の証だ、ここは譲れないと言っていつまでもバナナの葉を探し続けたことだろう
そんな姿に思うところがあったのか、或いは自分たちの種を尊重してくれたことが嬉しかったのか
ふらっと姿を消したと思ったバクージャジャが次に現れた時にバナナの葉を手にしていたら最高だ
それをどこで!?と言う問いに対し、バクージャジャは地元だから当然だと言って、あの変な笑い声で笑って見せるのだ
そしてウクラマトはお前は嫌なやつだけど、けど助かった。ありがとうと礼を言って、バクージャジャはそれに驚いた顔をしたかもしれない
居た堪れなくなったバクージャジャは、憎まれ口を叩いて立ち去るが、立ち去り際に呟くのだ
「兄貴。俺、ありがとうなんて初めて言われたよ。変な気持ちだ」
「うるせぇ、お前が初めてなら俺だって初めてに決まってるだろ」
そんな愛嬌ある描写があればプレイヤーもバクージャジャに対して「アイツ、ただの嫌なやつってわけじゃないのでは……?」と興味が湧き、この次の双頭の歴史を語るフックにもなるし、そんなバクージャジャが卑怯な手を使ってまで連王になりたい理由を掘り下げる準備にもなる
そうして、ちゃんと歴史を学んで調理法を踏襲したウクラマトと、計算と化学で料理を作ったコーナの料理対決になれば、後の展開も予想がつくだろう
コーナの料理を食し、驚く審査員。その後ウクラマトの料理を食すると涙するのだ
そしてウクラマトが勝利し、コーナは歴史を知ることの重要さをここで学ぶ、と言う構図も作ることができる
そうすればこの後の幻影戦でコーナがウクラマトこそ連王に相応しいと確信するのも納得ができただろう
……まぁ、全ては私の妄想であり、実際は(私が思う中では)最悪のストーリーがお出しされたのだが
後半に関してもこの①〜⑤が悉く破られていて、基礎設計が面白いからこそストーリーとして成り立っているだけのガタガタぶりを披露してくれる
批判されている点の多くも、こうした基礎の欠陥が原因だ
だからこそ私は怒ったのだ。タブーを犯すならもっとちゃんと話を作れと
それでも私が黄金のレガシーを評価しているのは、そう言った杜撰な枝葉があってなお、輝く幹が美しいからだ
また各章の中にはペルペル族や双頭の話のように、とても面白い話も紛れている
細かいツッコミどころが無数にありながらも、それでも最後は面白かった!と胸を張って言えるような作品だからこそ、私は黄金のレガシーを高評価しているのだ
結局、物語は面白ければ許されるのである
そして、だからこそ枝葉がもっと面白ければと思わざるを得ず、今回は幹となる部分があったから良かったものの、次からは本当に大丈夫なのかと不安になるのだ
願わくば、二度と今回のように怒りを覚えるほどの杜撰なストーリーをFF14で目にせずに済めばと思っている