@tos 塞翁馬万事の過去と現在までの流れ
○過去(補足など)
小学生の時から自分は本の虫であった。(⇒愛書家)
人と話すより沢山の知識を有する本の方が面白かったし、友人と話すにも知識があれば話題の種が尽きなかったからだ。
だからあまり外で遊ぶのは得意ではなかったし、好きでもなかった。小学生の時は緩かったから、体育もなあなあでよかった。
しかし中学に入るとそうもいかず、しっかりと授業をこなさなければ評価が減点されるようになった。
仕方が無いので全力でスポーツに取り組んでみたら何だかそこそこの素質があったらしく、1度だけマグレで、バスケ部のエースのボールを奪ってシュートを決め、逆転勝利を収めた。チームの皆は喜び自分に駆けてきたが、1人だけゆっくりと近づいてきた人間がいた。かと思うと、「ふざけんなよ!」という言葉と共に、思いっきり頬を殴られた。どうやら彼はプライドが高く、普段は大人しい僕が注目を浴びた事に嫉妬したらしい。初めて自分の運動神経を恨んだ。
体制を崩し、鼻から血を流しながら体育館の床に這いつくばった僕の服には、なんとも言えない香りと共に赤黒い血がベッタリと付いていた。(⇒暗黒の祖先)
それを見たバスケ部のエースは言った。
「気持ち悪……こいつ、ビョーキじゃね?」
クラスカースト上位の影響力とはすごいもので、1週間も掛からずに僕はみんなの好奇の的となり、瞬く間にイジメの対象へと変貌した。そして皆は笑顔で口を揃え、自分を"病原菌"と呼ぶようになったのだ。そして自分に"人"ではなく"病原菌"としての自我を芽生えさせた。
中学2年生の秋、ついに学校に行くのをやめた。何故学校に行っていたのか分からなくなったからだ。
両親には相談しなかった。それを言えば、彼らは僕を生んだことを後悔し、そして僕に謝るだろう。
謝られたからと言って何かが解決するわけではない。これは僕と、僕を取り巻く周りの人間の問題だ。
暇だったので、本を読みながらいじめを行う人間は何故同じ人間を虐め、何が楽しくて笑っているのかを考えた。
ひとつは、尊大なプライドを守るための盾。ひとつは、他者より自分が優位だと周囲に知らしめる悦。ひとつは、生き残るために生存競争を繰り返していた生物としてのサガ。
人類史を捲りながら考察した。つまり、虐めを行う人間は心が弱く、理論的に物事を捉えられない獣であり、自我が形成されるまでに社会性というものを育めず、人間としての成長過程を踏み損ねてしまった、言わば猿だ。
何という事だろうか。僕は人間の皮を被った獣に殺されたのだ。
種族が違えば理解し合えないのは当然の事だった。だから当然、僕は彼らの笑いを理解できなかったのだ。
人と獣は同じ土俵に立つことは出来ない。僕の居場所はもうここには無い。それに耐えられないと思った。
思春期にこんな思いをした僕は、人生においての全てがどうでもよくなった。いじめの内容はさして辛くない。ただ、病原菌であるが為に友人を失い、居場所を失い、人権を失うような自分の人生に絶望した。
悲観ではない、諦観したのだ。
だから、次の日は学校に行って、久しぶりの登校に目を輝かせ皆が僕に寄って集る中、机の上に飾られた花瓶を割り破片を首に当てて思いっきりかっ捌いてやった。痛みは特に感じなかった。
周りに目線をやれば、引き吊った顔のまま固まるイジメの主犯格に、甲高い声で叫びながら友人に泣きつく女子グループのリーダー、血を全身に浴び嘔吐する主犯格のお付がいた。床には腐敗臭を放つ赤黒い液体が歪な模様を描いていた。
僕は初めて自らを「病原菌」と認め、彼らに復讐した。病原菌に犯されたこの空間に笑顔はひとつもなかった。
僕は気づいた。
「こいつらが笑っていない姿を見るのはとても楽しいじゃないか!!」
彼らは、僕に笑顔をくれた。一瞬にして、彼らは僕の中で"復讐"という唯一の幸福の礎となったのだ。幸せが不幸に、不幸が幸せにいつ転じるかは分からない。人間万事塞翁が馬とはこの事だ。僕は満足し、そのまま意識を失った。
その後病院に運ばれ、長期の入院を言い渡された。失血死寸前で一命を取り留めたらしい(⇒CON&幸運)。最悪だった。あのまま死んでよかったのだ。でも両親が泣く姿を見ても、心が踊ることは無かった。復讐を終えた自分は空っぽだった。
ただひとつだけ、引っかかる事があった。僕は、あの場にはいなかった「担任」に思いを馳せた。
彼は自分を笑うことも無ければ、自ら問題解決に出向くことも無かった。例えるならば、それは教育者ではなく"監視者"で、宛ら動物園の檻を監視する飼育員のようだった。
なぜ自ら望んで教育者となった彼は、そのような行動に至ったのか。聞こうにも数日後、彼は自宅で自殺を選んだようだった。
生きながらえてしまった僕は、残り20%の自意識で「学校の先生」になることを決めた。
数週間後、両親の意向で引越しを行った。その後しばらくの療養生活の後1年遅れで中学を卒業し、高校生活は可もなく不可もなく過ぎていった。病原菌と呼ばれなくなったからと言って、病原菌を自認した僕の生は変わらない。周りは笑顔だったが、自分が笑う事は一切なかった。
そこで出会った1人の女生徒が今の妻であるが、この話は個人的な話なので省く。
大学を通り教員免許を得て、24歳で中学校教員となった。実際に教員になれば彼の心持ちが理解出来るかもしれないし、新しい視点が増えるかもしれない。
初めて担当したクラスは異常なまでに平穏で、喧嘩はあれどいじめは起こらなかった。
しかし次に担当したクラスでは、既に1人の女学生が虐められていた。
私はいじめの主犯格である生徒に会話を試みた。「なぜ貴方は彼女を虐めるんですか」答えは『虐めてない!』だった。
「給食の量が明らかに違いましたが」『お腹すいてないって言ってたし』
「物がよく勝手に無くなるそうです」『ドジなんでしょ?』
「貴方が隠す所を見た、と聞きました。嘘をついていて楽しいですか?」『酷いよ先生…、お母さんに言うからね』
やはり「猿」と「人間」では正しい会話が行えなかった。しかし、だからと言って彼女を排斥をすることも出来ない。会話を試み、いじめを起こさないために更生させなければならない。私たちは「教育者」だからだ。
だが、教育を正しく行えている人間は、一体どれだけいるのだろうか。
「やめなさい」と言われてやめる生徒は、「相談してください」と言われて相談する生徒はどれだけいるのだろうか。
何が正しい教育だろう。どこまでの干渉が、教師として正しいのだろう。
─そうして生まれたのが、「監視者」であると私は考えた。
今やっと分かった。彼は、私を見て見ぬふりするしか無かったのだろう。何故なら、彼もまた人だからだ。
彼は何が正しいか分からなかった。だから自身の正義を、不確かな道理を、罰を、愛を振りかざすことは無かった。結果、「教育者」としてその重荷に耐えられずに自決した。
しかし彼は、私に1つの解を与えてくれた。"人に人の教育は不可能だ"と。
完璧な人間はこの世に存在しない。どう足掻こうがどう頑張ろうが、不完全な人間が不完全な人間を更生することなど本来ならば有り得ないのだ。自分の人間性を過信して「教育者」と呼ぶ事ほど愚かなことはない。だからいじめを受けていた生徒が自殺(未遂)した彼は、自責の念で死を選んだのだろう。
いじめは必ず起こる。そしてそれは、解決できなくても何らおかしなことではない。
ならば「教師」という者は、必要最低限規範に則り、助けを求められれば協力し、道を外れたものは他者に害を及ぼさない様に監視する。正しくなくとも、それが最も"賢い"在り方なのでは無いだろうか。
だが、もしかすれば別の解もあるのかもしれない。私はひとまず、再度何かを得るまでは、この人類史上最も最悪な職業を続けてみる事にした。
教師職8年目、担当クラスの生徒が自殺した。別の解には在りつけていない。
そろそろ私の生も時効なのだと感じた。
(いじめられてこの世に絶望し、自分の生への執着がなくなった。最後に復讐して死のう!と思ったが死ねなかった。
生きて戻ってきた万事はこう思った。「あれ?先生って何のためにいたの?教育っていうか監視してただけだよね?」聞こうと思ったけど先生は死んだ。
どうせ意味のない生、いつ死んでも同じだし親泣かせたくないので、「学校の先生になって担任の気持ちを理解しよう」というのを目標に生きることにした。
そして実際に教師になって分かったのは、"人間に人間の教育を行うことは不可能"だということだった。彼もまた人間だったのだ。
とりあえず答えは分かったけれど、今ここで死ぬ理由もないので「監視者」として先生を続けることにした。
そしたら32歳 教師8年目で担当クラスの生徒が自殺した。ここまで何もわからなかった。そろそろ死ぬべきなのか。)
※妻を愛しているわけではなく、「愛せるかどうか」を試している。妻は万事の人間性を理解した上で、それを許諾している。(自我を取り戻す手伝いをしてくれている)
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