今更なんですが…ブラックパンサー、マイケル・B・ジョーダンが2PACを聴いてキルモンガーの役づくりをしたって知ってぶっ飛んだ。それってつまりエンディングでティ・チャラはキルモンガーの魂を継承したことを裏打ちしてるんだもの…!
音楽寄りの感想ですが、ヒップホップに馴染みのない人にもぜひ読んでもらえたら嬉しいです。
まず2PACなんてギャングスタ・ラッパーと映画本編がどう繋がるんだ?と思われるかもしれないけど、実はキルモンガーと2PACには多くの共通点があります。
【2PAC】NY州ハーレム地区出身、92年からCA州オークランド在住。母親を始めとする近親者の多くがブラックパンサー党員。
【コミック版キルモンガー】ワカンダ生まれハーレム育ち
【映画版キルモンガー】92年にオークランド在住。父のウンジョブの部屋にブラックパンサー党ヒューイ・P・ニュートンのポスターが飾られている。
現実世界の92年オークランドでは地元のヒップホップグループ、デジタル・アンダーグラウンドが活躍していて、そこに参加してたのが2PAC。
銃撃を受けて25歳で死んだラッパーっていう印象が強いですが、その圧倒的カリスマ性で今もブラックミュージック界の伝説になってます。今回のワールドプレミアのアフターパーティでマーティンや出演者たちが『California Love(1995)』を熱唱していた動画を見ても、彼が黒人社会や音楽文化に与えた影響の大きさが伺えるなぁと。
オークランドでの生活は2PACの残り少ない人生の基礎になったと言われていて、それは苦しむ同胞たちの希望を守り、また彼ら自身にも変化を求めるような、とてもポジティブなものでした。92年ロス暴動の引き金になってしまったラターシャ・ハーリンズへと捧げた『Keep Ya Head Up(1993)』で、2PACは次のように歌ってます。
「俺たちは女性から生まれ、名前と勇気を授かった。
どうして女性をレイプし軽蔑する必要がある?
女性を大切にすべき時だ。そうしないと、生まれてきた子もまた同じことをする」
80年代後半にアイス・キューブやパブリック・エネミーが抑圧されている窮状を声高に叫び人々を鼓舞したのであれば、2PACは窮状から脱出するために自分たちも変わる必要があることを語りかけ、人々の共感を産んだ…というところかな。
ちなみにアイス・キューブは『トリプルX:再起動(2017)』で「グーパーチョキよりグレネードランチャーだろ」と言い放ったあの彼なんですが、90年代当時は「黒人に敬意を払え、さもなきゃ店を黒焦げになるまで焼き尽くす」とか歌ってました。この『Black Korea(1991)』はロス暴動の火付け役になった歌の一つと言われています。
脱線したので話を戻します!
同胞のために戦うブラックパンサー党員たちに囲まれて育った2PACは、武力ではなく音楽によって彼らを取り巻く不条理と戦っていました。
それなのに仲間だと思っていた同胞たちから襲撃を受け(たと2PACは考えているが証拠不十分で迷宮入り)、裏切りに絶望し、誰も信用できなくなってしまいます。
牢獄から出るため、札束片手に耳元で「助けてやるぞ」と囁いた男と手を組んで、ヒップホップ東西戦争の最前線に送り出され、同胞同士で戦い合い、最後は黒人男性に撃たれて死んだ、と言われている。それが96年のこと。
マイケルが2PACを聴いて役作りに励んでいたと知った時、まず一番最初に頭に浮かんだのはヒップホップ東西戦争のことでした。
同じアフリカン・アメリカンたちの苦しみを理解し戦う姿、同胞に裏切られて怒りに身を焦がす姿、その闘いの渦中で命を落とす姿、その死を予見していたかのような、どことなく達観した姿……
「いつだって闘い、もがき続けた。俺を止められるのは死だけだ」
2PACは最悪の状況に翻弄されながらも自分を貫くためにもがき、戦っていました。そうやって彼の置かれた状況を考えれば考えるほど、キルモンガーに重なって見えてくるんです。
もちろん映画キャラクターと実在人物なので相違点もある。例えば2PACはその短い人生の終盤、半ば巻き込まれる形で望まぬ戦いに身を投じざるを得なかった。一方のキルモンガーは同族の裏切りを幼い頃に経験し、人生の大半を復讐の準備に費やして自ら望んで戦いに赴いた。2PACはお芝居や詩の才もあったから、表現手段という武器をたくさん持っていた。キルモンガーは豊かな才能を全て復讐に注ぎ込んでしまった。
でも、ティ・チャラと二人でワカンダの夕日を見ながら息絶えたシーンを思うと、本心は違ったのじゃないか…という気がしてなりません。
2PACの曲でひとつ紹介したいのが『Changes(1998)』これは92年に録音されながら、生前に陽の目を見ることがなかった遺作の一つなんですが…
「俺は兄弟たちを愛してる
でも互いに分け合いながら生きなければ、どこにも行けやしない
俺たちは今こそ変わり始めるべきだ
俺を遠くの異国人として扱わないで、兄弟として見てくれよ
それがあるべき姿だろ
俺達が結束したら悪魔も兄弟たちを誑かせやしない
無邪気な子供時代に戻りたいな
でも変わってしまった
それが現実だ」
キルモンガーに2PACを投影して見ると、これティ・チャラに向かって訴えかけてるのでは…?と思えてくるんです。そう考えながら映画を振り返ったら、冒頭でワカンダの物語をせがむ子供の声も、戦いの最中の「なぁ従兄弟よ?(字幕だと"陛下")」という厭味ったらしい台詞も味わい深い。。
2PACは亡くなる1年ほど前のインタビューでこのように語っています。
「自分が世界を変えられるとは思わない。だから俺を見た次の世代が世界を変えられるよう、彼らの脳みそに刺激を与えるのが俺の使命。自分の世代で解決できなくても、その問題をラップで訴え続ければ、刺激を受けた若い世代が解決に近づいてくれるはずなんだ」
そして2PACから刺激を受けた若者たちの一人が、なんと今回映画の主題歌と音楽監修を担ったケンドリック・ラマーなんです…!
パブリック・エネミーのデビューアルバムが発売された87年、ギャングスタ・ラップの聖地コンプトンに生まれたケンドリック・ラマー。それまでのヒップホップがサグいイメージに彩られていたのに対して、ケンドリックの曲はどこまでも正々堂々とした自信に満ち溢れています。
彼は2PACからとてつもない影響を受けているアーティストで、夢枕に2PACが立って話しかけてきたと公言しているし、2PACの命日には彼にあてた手紙を公開しています。
そして最高傑作と名高いアルバム『To pimp a butterfly(2015)』は南アフリカで受けた経験に基づいて制作されていて、自身と向き合ってその弱さを曝け出し、自分も一人の人間なんだと認めていく過程が表現されているんですが…その仕上げとして、最後に『mortal man』で2PACと対談しています。2PACの生前の音声を利用しケンドリックがインタビューしているように仕上げているこの曲の最後で、彼は一つの詩を読み上げます。以下はその拙訳。
「『芋虫はストリートの囚人だ。
ゲットーから身を守るために、周囲のすべてを喰らい、破壊することが彼らの仕事。
周りを破壊しながら、芋虫は次第に生き残るための術に気付きはじめる。例えば、世界がどれだけ芋虫を疎外しても、蝶のことは絶賛するということ。
蝶は、芋虫が内包する才能や思慮深さ、美しさの象徴だ。
でも厳しい人生を過ごすうちに、蝶なんて弱いやつだと思い始める。
そして蝶を利用してやろうと思いつく。
もうこの狂った街に取り囲まれているんだ。
彼を彼たらしめる繭の中で、芋虫は歯車のように単純に生き始める。自分が何であったかもわからなくなってしまう。
でも壁の中に閉じ込められて、とある考えが心に根ざす。「帰ろう、ゲットーに新しい考えを呼び覚ますんだ」
結果は?
羽化するんだ。停滞していた時が終わる。
自由になった蝶は、芋虫だった頃には考えもしなかった状況を照らし、内なる闘争に終止符を打つ。
蝶と芋虫は全く違うものだけど、全く同じものなんだ。』
なぁ、どう思う? 2PAC? 2PAC??」
この詩を読み終えたあと、2PACは返答を返さない。そこから先は自分で考えろよ、とでも言うかのように曲は終わります。
この詩は芋虫=ケンドリック・ラマーで、彼が音楽を始めてから現在に至るまでの葛藤を表現していると解釈されています。そしてもう一つ、芋虫=ゲットーに暮らす人々、繭=人種差別を規定し続ける社会構造、蝶=ゲットーを脱出した成功者たちのメタファーで、変わろうという気持ちを持てば芋虫は蝶になれることを意味している、といった解釈もあり……
そしてブラックパンサーを見た今、芋虫=これまでのワカンダ、繭=ワカンダ王国の鎖国システムそのもの、蝶=これからのワカンダ、と言い換えることもできるんじゃないかと思うんです。
『ワカンダという繭の中でヴィブラニウムに依存し閉じこもる王国。諸外国で苦しむ人々から目を逸らし、弱者の姿を演じることで自分たちの利益を守ることに固執する。
しかしワカンダは羽化するんだ。
美しいヴィブラニウム製の羽を世界に向けて広げて見せる。状況を照らし、同胞たちの内なる苦しみに終止符を打つ。
ワカンダ人もアフリカン・アメリカンも、全く違うけれど同じだ。』
これって、キルモンガーの主張の根底にあるものだと思いませんか…?彼はヴィブラニウム製の武器を世界にばら撒こうとしたけど、要するに「ワカンダの資源と知識」を「手段」としてマイノリティたちに提示することを期待してるわけで。だからキルモンガーの魂を受け止めたティ・チャラは、彼の意志を自分が取れる最善策に落とし込んで、国連で発表したんだと思う。
でもその時にはもうキルモンガーはいない。例えばティ・チャラが「ここを支援センターの拠点にするんだ、なかなか良いだろ?」とキルモンガーに訊ねたって返事はない。2PACがケンドリックの詩に答えなかったように…
話は前後しますが、ウンジョブの部屋にパブリック・エネミーのポスターがあるのもさり気なく重要。というのもパブリック・エネミーは曲の中でブラックパンサー党に多々言及しているし、バックダンサーのS1Wはブラックパンサー党を模した衣装に身を包んでいる。それにブラックパンサー党は当時のFBIから「社会の最大の脅威」つまり「Public enemy No.1」だと認定されていた。
彼らの政治的なリリックは多くの黒人たちを鼓舞したし、一方で刺激しすぎた面もあって、『Fight the power(1989)』が92年のロス暴動に大きく影響したのは有名な話。
抑圧への悲痛な叫びと怒りの明確なアイコンとしてパブリック・エネミーのポスターが飾られていたわけです。
(ちなみに2PACが大ヒットしていた94年、パブリック・エネミーがリリースしたアルバムは商業的に失敗したと言われてます。。彼らの音が時代遅れになってしまったというのが理由で、これも一つの時代の変遷でした)
パブリック・エネミーといえば2016年アカデミー賞のアフターパーティで『Fight the Power』が流れたことに当の本人たちが苦言を呈した話があります。
「『Fight the Power』はいつか変化を起こすんだという叫びだった。その概念自体を賞賛するための曲じゃない。それに今のアーティストを賞賛する方が未来に繋がるよ。『Fight the Power』も映画『Do the right thing』も、1990年には何も受賞しなかっただろ?」(チャックD)
その言葉を肯定するかのように、ブラックパンサーのミュージックアルバムは殆どがここ5〜10年の間にキャリアを伸ばした顔ぶれ。主に20代の若いアーティストが起用されています。例えばスワエリーは22歳、ヴィンス・ステープルズは24歳とかね。
ウンジョブ→キルモンガー→ティ・チャラへ、そしてこれからの未来に続いていく魂の継承は、ヒップホップ史におけるパブリック・エネミー→2PAC→ケンドリック・ラマーへの変遷とのリンクによって、更に強固に語られているんだろうなぁと思いました。
おしまい!