心覚の演出が現代演劇調だったのは複数意味があると思うがコロナ禍で応援ならわかりやすくして欲しかったという意見を観て今回のその部分をストレートにお芝居にするとしんどすぎて観られない人が増えてしまうのでは……?と思った
仮にそうなったとき、少なくとも私は今回みたいにさっぱりした読後感にはならんかったと思う~。けっこうダメージ受けただろうな。
だって東京心覚で描かれたの、江戸城築城とその政権の終焉に仮託して投影された、現在進行形の災厄だから。
壽は二部レビュー形式だから観客に語りかけるだけで良かったけど、心覚一部を本当にいつもみたく刀剣男士がその土地に飛んで問題点を把握してを時系列順にやるなら、応援メッセージの前に、コロナで死んでいく人孤立化してく人疲弊させられていく人々、そしてそれらが生み出す分断(線を引くこと)を真正面から描かないといけなくなったわけで、今そんなの板の上に再現されてまともに見られる人は限られてる気がするし、そもそもわざわざ板の上に再現する必要がないもんね、観客の毎日を取り巻いているから。
あと個人的にはこれ以上わかりやすくすると、今回はあまりにメッセージ性がストレートすぎるので、ああいう演出でもしないと劇としてはほとんど成立できないのではないかという気がある。
しても壽と全く同じものが出てしまって、客はコロナ禍のいつ終わるかわからん繰り返しと同じものを観てしまいかねんだろうとも思う。
つーか、刀ミュ同じこと繰り返すの再演でも嫌がるからなあ……。コロナで日常に新規の風や刺激が入れにくくなってる、入れられるのも感染を避けるためという点をクリアできた同じ型のものになりやすい問題について、今エンタメでごはん食べてる人は頻繁に意識して考えてることと思うし。
歴史を取り扱うコンテンツ、今まではゆっくりと席に身を投げ出して遠くを見ている気持ちでいても良かったところ、コロナ禍という「あきらかに後世教科書に残されるだろう歴史的出来事のど真ん中にいる」状態になった我々。
客もやる側も一度仕切り直す必要があって、線を引くことがどうしても必要なときの一つとして作られた演目だったのかも。