『君たちはどう生きるか』についてのメモ。個人的には面白かったよ
・母の死を受け入れ、義理の母の存在を受け入れるという、シンプルな成長譚。神話や童話モチーフも多くあって解釈のしがいがあるよね。
・ナツコと父の、割と濃いめのいちゃこらが始まるや、釜爺のようにゆっくり下がる眞人。木の床などのきしみ音などが印象的な作品だったね。Dolbyで観たからかな。
・屈託のない、世代などを超える友愛の物語になっていた。そして幼い頃の友愛は、忘れられても価値があるもの。
・「眞人の顔を赤らめる」みたいな「わかりやすい」演出が無い。逆に、「わかりやすい説明や表情」「自嘲的な独白」などの演出を好む、他のとある監督の作品が、ともすればステレオタイプと隣り合わせであることは、常々気になっていたんよ。
・父:死に別れた妻の妹と結婚し、細部を気にせずオラオラで、戦況を嬉々として語る軍需商人で。上の世界のパターナルな父親と、下の世界のインコの王様。刀と剣を持ち、勇ましい姿が、虚しく見えるという演出の反復。
・とはいえ、あわてて車で駆けつける父親の、その「ハヤオドリフト」の描き方は、やはり宮崎作品なのだ。あの躍動感、最高だよね。
・こめかみからの血の量、多い。ジャムもめっちゃ多い。それで気づいたのは、『千と千尋』のちひろの涙は上下に反転したけど、「下の世界」から戻る時、空へ抜けるような描写では無く、あくまで扉を通じた横移動なんだよね。そのフラットさで、それぞれの死の意味を達観しているように思える。
・マルチバースでもタイムトラベルでもなく、内的世界・精神世界の旅。「王国」を再建することを拒み、親の死を受け入れ、現実世界では終戦を迎える。幼き頃の夢などから離れても、人は次の世界を生きていくよね、それもドラマティックでなく、というラストは、とても現実的であり、「優しい」と感じた。
・7人の小人のように、キャラクターの異なる老婆たちが、いきいきと動くさま。高齢女性を、「物分かりのいいおばあちゃん」「いじわるなおばあちゃん」みたいな定型役割ではなく描いた作品って少ないよね。ヒロミ・ゴトー『塩とコインと元カノと』や『傘寿まり子』を連想。
・人は年を取る。少女も老婆になるし、歳をとれば振る舞いも変わる。キリコから学ぶ「たくましさ」である。
・いきいきと働き、食事を摂り、悲しみながら眠る。アニメーションから活力を得るって、不思議な体験だなと改めて。
・戦闘機の風防を運ぶシーンからナウシカの王蟲を連想し、暖炉のシーンからカルシファーや魔女の宅急便を連想する。作家が描きたい風景、というのはあるんだな。
・「わらわら」のぬいぐるみ絶対売れるやろ。宮崎作品、「たくさんいる愛らしいやつ」「懸命に働くやつ」を描かせたら、やっぱりトップオブザトップである。
・エンドロールで「お前おったんか!どの役だったんや!」となった声優が何人か。二度目に探したい。
・楽園の崩壊を受け入れよう。さもなくばお前、ムスカ側やぞ。うむ。せやな。
・案内人・アオサギを小狡い中年にするあたりは、村上春樹の手癖とは大きく異なるところ。
・宮崎作品全体の再解釈をせまるような作品だった。