槙島泰己という男、その能力の話
DL141自陣は卓後に見たほうがいいかもしれない
もしかしたらセッション中の彼とは色々違う可能性があります
UGN日本支部医務室、の隣の準備室のような部屋。
そこに30過ぎには見えない、老けた雰囲気の男性と、精神的に衰弱した様子のUGNチルドレンが一人。
ローテーブルを境にソファに腰掛けていた。
男性は少し顎に手を当てた後、何も言わずに領域を展開した。雰囲気づくりのようにさりげなく、気づかれないように。
充分に部屋に領域がなじんだのを確認して、彼は何も書かれていない一枚の紙を取り出し、テーブルに置いた。
「このセッションが終わって、君がこの部屋を出た時、君はこの体験を覚えていない。そのことに留意してくれ。エフェクトや薬物による記憶処理を行うわけではない。ただ、ここはそういう領域であるというだけだ」
彼女の目を見て、男性は優しい口調で尋ねる。
「君には、何が見えるかね?」
少女はその紙を覗き込み、幾ばくかの逡巡の後、ゆっくりと口を開いた。
「死体...死体が、見えます」
「それは?」
「はい...私が、この手で...この手で殺したエージェントの、死体です」
少しずつ、ぽつりぽつりと少女が語りだす。ときどき嗚咽が混じり、涙の落ちる音が混じる。
「あの時、私は自分がしたことが正しいと信じていました。それが正義であると、それが平穏に生きる誰かのためになると。でも、そうじゃなかったんです。それは正しさじゃなかった。私の、オーヴァードになった優越感がもたらした、思いあがった独善でした」
白紙が滲んだ。
「殺された両親の顔や、私が覚醒したときに隣で死んでいった親友の顔が見えました。死んでしまったら、もう会うことはできない。それは私だけじゃなくて、同期のみんなや、犠牲者の皆さんや、彼にだって、それらはいたんです。凍結保存のずっと向こう、いつかジャームを元に戻せる日が来て、彼らがやり直せる時が来ても、死んでしまったらもう、やり直せない」
要領を得ない発言、でもきっとそれは、感情の吐露であり、懺悔であり、噴出であったからこそなのだろう。
そして、しばらくの時間が経ったあと、彼女は部屋のドアを開けて、廊下へ出た。
少し憑きものが落ちたような顔で、少女は男性に向き直って、
「ありがとうございました、槙島先生。覚えていないけれど、なんだか、すっきりしたような気がします」
そう言って、ドアを閉めた。
男性の領域が展開されたこの部屋は、範囲内の対象のトラウマをさらけ出し、本人に強く再認識させる効果がある。
思い出し、受け止め、感情を持てるなら、同じそれであったとしても向き合える。
であれば、時間の流れがわずかずつ、心の傷を癒してくれる。
この領域空間は対象のトラウマを表面化させる。
傷がどこにあるか、どのくらいかを認識する、それが心の治療の第一歩。
できないのならば無理に認識する必要はない。
例えば、自分が想像もつかないような何かに思いを馳せて、恐怖に襲われたり、不安にとらわれたりするかもしれない。
対象はそれを強制的に考えることになるのだから、辛い体験になるかもしれない。
しかし、認識できない事柄を抱えていて、それに苦しんでいるのであれば、この空間がそれを見つけ出してくれる。
そして、思い出し、それを言葉にしたならば、部屋の主がその話を聞いてくれる。
良い悪いを、苦楽を問わず、大切な、あなたの記憶の話を。
何かが込み上げてきたのなら、それを堪える必要はない。
泣いてもいい。叫んでもいい。
そうして、自分の中の何かと向き合えばいい。そうしよう、と特別に意識しなくても、記憶に浮かんで来ればそれでいい。
そうすることで、抱えていたものの重さから解放されていくのだ。
今日、君は泣くだろう。苦しむだろう。これまでに喪った全てを思い出して。
そして、それを通して、君は癒されていくのだよ。