【ハウ・アー・UFO】と【かっとばし党の逆襲】浅倉透と浅倉透の思考法について。
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【ハウ・アー・UFO】すごいコミュでしたね…… 1つ目のコミュから演出は印象的だし、浅倉透の独特の存在感が感じられるエピソード群でした。
1つ目のコミュ「たぶん絶対、おそらく」から感じたのは、透の独特の思考法。思い返すと、浅倉透は「天然」なのではないかという話が初登場の頃になされていたのが懐かしいですね。ぼーっとしているように見えるけど、何も考えていないわけではない。けれどたぶん頭の中でかっちり言葉で思考していなくて、会話の中で相手から出てくる言葉(の文字面)に引き連れられて思考がそこに凝集したり、その言葉から展開していったりするという雰囲気が感じられます。(文字面に着目するというのは、ノクチル初登場のEXコミュ1の「虹をかける」、小糸のsSR【季節はアイスクリン】の「室内プール」にも見られます。)
「たぶん絶対、おそらく」で一番印象的なのは、スマホのカメラのレンズのアップで流れるモノローグ、「め、を、やく」「ユー、フォー、が、とんでくる」のところ。最初に空の写真を撮っているスマホのカメラのレンズのアップの画像の反復に、音を区切って言われるこの演出には、面食らいました…… 独特すぎる…… ちょっと会話見てみましょう。
小糸「と、透ちゃん…… 太陽、直で見ちゃだめだよ……!」
透 「え、うん……」
小糸「み、見てないよね……!?」
透 「見てない見てない……」
小糸「え…………」
雛菜「ん~、透先輩、太陽撮ってたの?」
透 「うん。ううん、なんか、空」
円香「ふうん」
小糸「カメラも直接向けたら危ないんだよ、透ちゃん―― 目、焼けちゃうよ」
透 (驚いた様子)「えー。何それ」
透 (モノローグ)「め、を、やく」
雛菜「あは~、小糸ちゃん怖いこと言う~」
小糸「ほ、ほんとだよ! だめって習わなかった……!?」
雛菜「そうだっけ~」
透 「――――…………」
円香「……小糸の言ってたこと、聞いてた?」
透 「――――え、うん。焼けるって?」
透が何かを思っているような様子でカメラを空に向けて写真を撮っているところから始まります。そこで小糸が太陽を見ちゃだめだよ、と注意する。透は「え、うん」「見てない見てない」という感じのリアクションで、小糸の言っていることをちゃんと聞いているのかどうかよく分からない感じです。
で、太陽を撮っていたのかと雛菜が聞きます。いったん「うん」と言ってから「ううん」と訂正する透。最初の「うん」のリアクションが、小糸に対する「え、うん」「見てない見てない」と同じように適当な感じだったことがうかがえます。で、それに自分で気づいたのか、「ううん」と訂正を入れる。で「なんか、空」とまたちょっと大雑把な返答。
小糸は、太陽を見たらいけないということを繰り返します。そこで「目、焼けちゃうよ」と言う。そこで「えー。何それ」と透はリアクションしますが、モノローグ(おそらく頭の中)では「め、を、やく」と流れる。ひらがなになっていること、単語がぶつ切りになっていることから、「目を焼く」というはっきりとした文とイメージではなく、もっと文字列あるいは音の羅列として聞いて反復しているということがうかがえます。なんとなくぼーっとして会話をしてるときに相手の言葉や自分の言葉が音の羅列として頭の中を反響することってありますよね(ありますよね……?)。言葉の内容ではなく、言葉の表面が聞こえ、反響する。そういう印象。
で、小糸と雛菜の会話があって、その間透はぼーっとしている。何かを考えているのでしょうか。円香が「小糸の言ってたこと、聞いてた?」と確認します。「――――え、うん。」というリアクションは、聞いてたかどうかちょっと怪しい感じです。で「焼けるって?」と。確かに聞いてた。けどたぶん小糸の話的には、「太陽を見てはいけない(カメラを向けてはいけない)」ですよね。その理由が「目、焼けちゃう」。透はその「目、焼けちゃう」っていう言葉のポイントに引っかかる。で、「め、を、やく」という音が反響する。こんな風に上の空というか、ぼーっと何かに集中している感じのとき、言葉の文字面に引き付けられるところが見えます。
会話の続きを見てみます。
透 「―― 来ないかなって思って」
小糸「な、何が……?」
透 「んー。なんか、宇宙人とか」
小糸「え…… 宇宙人ってお昼にいるのかな……?」
円香「昼か夜かは関係なくない?」
雛菜「宇宙人って、地球に何しに来るの~?」
透 「侵略?」
雛菜「へ~。すごいね~~~」
透 「うん。UFOで来るよ」
透 (モノローグ)「ユー、フォー、が、とんでくる」
空の写真を撮っているとき、何かが「来ないかなって思って」いたことが語られます。では何が「来ないかな」と期待されていたのか。小糸はそれを聞きますが、透は「んー」と、まるで今初めて何を期待していたのかを考えているかのようです。そこで出てきたのが、「宇宙人とか」。「とか」というところにはっきりした明確な何かがあったわけではないことを感じさせます。
また、雛菜が宇宙人が地球に来る理由を尋ねていますが、それに対する透の「侵略?」という返答の「?」のところにもはっきりしない感じがあります。「宇宙人が来るといったら侵略しに来るんだよね?」っていう感じで、どこかで聞いた話を持ってきてるというか、侵略しに来るっていうことを確認しているような印象を受けます。透自身が「宇宙人は侵略しに来るんだ」という確信を持っているわけではないという感じ。
で、その後の「UFOで来るよ」と、それに続く「ユー、フォー、が、とんでくる」という印象的な演出のモノローグ。「め、を、やく」と同じ演出です。「め、を、やく」が小糸の言っていた言葉からの音の反響なら、「ユー、フォー、が、とんでくる」というのは透自身の言葉からの音の反響です。他人が言った言葉を聞いて音が反響するのは、相手の言った言葉の内容が入ってきているというよりは、その音(表面)だけが入ってきているという印象です。だから円香が確認したように、ちゃんと話を聞いているのか定かではない。で、ここでは他人の言葉ではなく、自分の言った言葉に対してもその音が反響しています。ということは、ここで透が「UFOで来るよ」と言ったことの背後に、透の思考がかっちりあるわけではないということが感じられます。思わず口をついて出た。という。
人間は自分で言う言葉について、全て背後に明確な思考を持っているわけではないですし、思わず言葉が口から出てくるということはよくあるはずです。そして思わず自分が言った言葉について、自分でハッとするみたいなことも。おそらく透自身の言葉の音の反響も、たぶんそういう感じだと思われます。
ですので、おそらく最初に空にカメラを向けて写真を撮ったときから、宇宙人がUFOで来ることを期待していたわけではないのではないか、と考えたくなります。宇宙人が来ることを期待するのも、UFOが来ることを期待するのも、3人との会話の中で透の中に生まれたのではないか。ここに、透の独特の思考法が感じられます。やっていることや言っていることについて、その思考や理由が後から付いてくる。
イベントシナリオ「天塵」のラストでも、アイドルをやっている理由についてはっきりとした理由があるとは言ってませんでしたし、【かっとばし党の逆襲】でも円香に「目的が逆になってる」と指摘されています。でもその円香の指摘について、煮詰まっていることも、バッティングセンターで球を打つことも、どっちも両方「かっとばす」ことができたならどっちが目的でも「一緒」だと答えています。こういうところにたぶん透の独特な思考法が現れているのではないかと。
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透 「色々煮詰まっててさ、主人公たちが」
(中略)
透 「――それでバッティングセンター行くんだよね。かっとばそうとか言って」
円香「うわ、そのまんま」
透 「ふふっ」
円香「――、かっとぶの?」
透 「まー、最後には。うん。途中うまくいかないんだけど、めっちゃ頑張って――」
円香「……」
透 「――で、かっとんで、ハッピーエンド」
透が見たドラマの内容を確認します(円香が「ドラマでも観た?」に対して「なんか、そう。ドラマ」って言ってて、自分が見てたのが「ドラマ」なのかどうかあんまり注意していなかったようです)。そのドラマでは、主人公が「煮詰まって」いて、おそらくフラストレーションが溜まっていたに違いないことが想像できます。で、それを発散したくてバッティングセンターに行く。「かっとばそう」っていうのは、おそらく球をかっとばすことで、煮詰まっている自分たちのフラストレーションも「かっとばす」ことを狙った、そういう隠喩です。
ですが、「まー、最後には」と透が言ってるように、そのときには球は飛ばせなかったようです。で、煮詰まっていた何かを「頑張って」解消することで、フラストレーションを「かっとばす」ことができた。主人公たちが「かっとばそう」と言ってバッティングセンターに行ったことについて、円香は「かっとぶの?」と聞いています。これは球を打つことはできたのかどうか聞いています。それに対して透は「最後には」と答えていて、どうやら見ていたドラマのラストで主人公たちは再びバッティングセンターに行っているようです。そしてそこでは球を打つことができたようです。その「球を打つことができた」ということでもって、主人公たちが煮詰まっていた何かが解消されて、フラストレーションが吹っ飛んだことを表現している、ということなのだと思われます。主人公たちがバッティングセンターで打てるか打てないかということは、ドラマの上で主人公たちの状況の煮詰まり度合いや主人公たちのフラストレーションの度合いを示す隠喩的な意味を持った演出なわけです。
で、透はそのドラマの主人公たちの真似をしています。透はダンスが上手くいかない。透は上手くいかないなと何かを感じていたようです(フラストレーション感じてる?)。で、ドラマの真似をして「かっとばそう」と、バッティングセンターへ行く。
会話の続きを見てみます。
透 「まー、けど」
透&円香「「頑張らなきゃかっとばない――――――」」
透 「……うん。いいこと気付いたでしょ」
(中略)
透 「……帰るかー」
円香「うん」
透 「出直すわ。ダンスキメてから」
円香「…… 目的が逆になってる」
透 「あはは。一緒でしょ。最後、どっちもかっとんだら」
ドラマの真似ですから、ここで透が打てないのもドラマの通りということになります。ドラマの通りなら、上手くいかないことを頑張れば、打てるようになるはずです。透の場合はそれはダンス。だから「出直すわ。ダンスキメてから」と。ここで円香は「目的が逆になってる」と指摘します。透は球を打つためにダンスを頑張ることにするのか、と。ダンスを頑張ることそのものが目的なのではないか、と。
透と円香がハモって「頑張らなきゃかっとばない」って言っています。ハモって全く同じことを言っているので、逆に2人の間でこの言葉の意味が違っているのではないか、と考えたくなります。特に透は隠喩的意味を素通りして文字列を聞き取ることがあるので…… ではどう違っているのか。
ドラマの最後にバッティングセンターに行ったかどうか、その内容を確認したかったのは、透と円香の会話の中ではそこが不明瞭だからです。ドラマの最後には「かっとぶ」というのは、バッティングセンターで球が打てるということと、煮詰まっていた案件がスッキリ解消されるということの両方の意味が重なっています。おそらくこの二重性において、透と円香は言っていることが違うのではないか、と考えたくなります。
つまり、円香が言っているのは「(煮詰まっている案件を)頑張らなければ(煮詰まっている案件とそのフラストレーション)はかっとばない」であり、透が言っているのは「(煮詰まっている案件を)頑張らなければ(球は)かっとばない」なのではないか。透が「ダンスをキメてから」バッティングセンターに再び来ようとしているのは、そういう理由なのではないでしょうか。ドラマに従えば、「ダンスを頑張れば(キメれば)、球が打てる」という論理が成立することになるのです。円香の言う「目的が逆」というのはこういうことです。「球が打てる」っていうのは、「煮詰まっていた案件がスッキリ解消される」ことの隠喩的演出なのです。
あるいは、ドラマの中で主人公たちが球が打てているのかどうかは煮詰まっている案件についての状況やフラストレーションを示す隠喩的演出だというところもまた気になるポイントです。ドラマの中で主人公たちが打てるか打てないかは、主人公たちの状況や心理を表す目的で、演出的に操作されているわけです。ドラマの主人公が嫌なことにぶつかって気持ちが落ち込んだときに、ちょうど雨が降ってくるようなものです。透がやろうとしているのは、この例で言えば雨を降らすために気持ちを落ち込ませるというようなことです。そんなことをしても雨は降らないように(降らないはずですよね……!?)、球もそう簡単に打てるはずがない。「目的が逆」というのは、こうしたドラマの真似を完遂するためにダンスを頑張るということについて向けられた言葉という風にも読めるかもしれません。
ところでもう一つ。「頑張らなきゃかっとばない」から「頑張ればかっとぶ」というのを導き出すのは、論理的には誤謬になります。論理学的には裏の関係で、裏命題は真偽が同じになるとは限りません。真偽が同じになるのは対偶の命題で、この場合では「かっとんだなら頑張った」ということになると思います。これは最後のバッティングセンターで球が飛んだ隠喩的演出がそのままこの対偶の命題を示していると考えられます。
ですが「目的が逆」というこれらの問題がありながら(全てに自覚的だとは思わないのですが)、透は平気そうです。というのも、「どっちもかっとんだら」目的がどっちであろうとも「一緒」だからです。論理学的には、PならばQとQならばPがどっちも真偽が一緒なら、PでないならばQでないという裏命題も真偽が一緒になります。だから「一緒」だと言える。論理学のことは透たちは考えていないと思うのでこのくらいにするとして、ともかくこの透の言葉から分かるのは、何のためにやるのかという目的や理由というのは、あまり重要ではなさそうだということです。
おそらく、目的や理由がそこまで重要ではないということと、口から出てきた言葉の背後に言葉や論理に基づいた思考があるわけではなさそうだということと、言葉の表面を聞き取ったり隠喩的意味を素通りしたりすることと、ドラマの真似をしたり意味を深く考えずともかくやってみようとしたりすることは、それぞれ繋がっているように思われます。そういうところが透の独特の思考法なのではないか、ということを思います。