青江ちゃん単騎、もう万回言われてるとは思うんですが、歌合でひとりだけ刀の柄に手を掛けて伏せていた伏線をここで回収してくると思わないし、その彼があの姿で帰ってきてあの歌を歌ってくれるって本当に言葉が出ない
幽霊さん、石灯籠さんだけど、あの物語がなければそもそも「にっかり青江」は存在しない。少なくともそう呼ばれる刀は生まれなかった。その意味であの幽霊さんは青江ちゃんの切っても切り離せない分身というか、もう一人のボク(遊戯王)みたいな存在だと思っていて。
でもあの本丸の青江ちゃんはずっと後ろめたくて、後悔していて、恐れていて。
そんなにもトラウマになっていたなんて、「刀の頃から記憶はある」というのが「心というやっかいなもの」を「もたされた」せいで、あんなにも苦しんでいたなんて、すまん、そこまでとは正直思っとらんかったんや……。
そりゃあ「心を持つ」のは、「仲間が増える」のは、めでたいことなんかじゃないわいな。これ以上多くの刀にこんな苦しみを味わってほしくないと、あの優しい子はそう思ってしまったんだろうな。
「僕がもっと強ければ」
二回目でやっとわかったんだけど、これ多分、岡崎城のことも言っている。みほとせの最初、あの任務の端緒。
あのとき僕が強ければ、あんな任務に皆を駆り出すことはなかった、そう思ってしまったんじゃないだろうか。
物吉くんが笑顔を失うほどつらい思いをしなくても済んだと。徳川の家臣となるべき人たちは死ななくて済んだと。
あの最初の日から、ずっと抱えて来たんじゃなかろうか。
誰かを笑顔にしたい。許されるなら自分も笑いたい。多分石切丸さんにすら、その本音は明かしたことがないんだろうなと。
そう考えるとみほとせの編成が改めて鬼すぎんか???ってなるし、それでも彼らだったからこそ青江ちゃんもああして柔らかな心を持てたのだとも思うし。
情緒ぐちゃぐちゃで支離滅裂な自覚はある。すみません。
それでも、それでもよ。
幽霊さんにきちんと向き合って、全てを懺悔して赦しを得た(というような演出にわたしには見えた)から、勇気を出して踏み出したから、あの子は成長して、自分なりにけりをつけて、戻って来てくれて。
そうして「わたしたち人間に向かって」あの祝祭の歌をうたってくれたんですよ。今度こそ心から「言祝ぎ」の心をこめて。
あれはすべてのいのちの、ひととして心をもって生まれてきたものの、生まれてきたことそのものを祝う歌だと思っているんだけど、それを仲間ではなく、人の子に向けて歌ってくれるのかと。
生きていてくれてありがとうと言ってくれるのかと。
そういえば、歌合に何度も引用されていた古今和歌集の仮名序、あのはじまりはあまりにも有名ですが、その中にこんな一節があって。
「遠き所も、出で立つ足下より始まりて年月を渡り、高き山も、麓の塵泥よりなりて天雲棚引くまで生ひ上れるごとくに、この歌もかくのごとくなるべし」
やっぱこれ、壽+心覚の青江ちゃんバージョンだと思うのよ……。
ありがとう、ミュージカル刀剣乱舞。
ありがとう、にっかり青江。
ありがとう、荒木さん。本当に有難う。