小狐丸と三日月の手合わせ導入と、小狐丸の修行の話を合わせた話なんですが
「生まれた時の事を覚えているか」
「ええ……。それで、私を折りますか」
小狐丸は修行として「一条帝の御世、三条宗近殿のところ」に赴いたと手紙に書いていて、
「小鍛冶」で伝わる通りに思い悩む三条宗近を見守っている。
三条宗近との対面ののち、狐面を被った謎の集団が現れたことで、小狐丸は作刀そのものは見届けずにその場を去っている。
ところがこの修行中の出来事は三日月宗近の刀帳に矛盾する。
「十一世紀の末に生まれた。ようするにまぁ、じじいさ」
一条天皇の在位の年代は10世紀末~11世紀頭頃(986年8月1日 - 1011年7月16日)とされ、
三日月宗近が11世紀末に打たれたなら、
小狐丸が修行に赴いた時間より100年近く後になってしまう。
三条宗近の活動した実年代についてはよくわかっていない。
一条天皇と時代を同じくするという根拠となる「小鍛冶」もまた確かな作者、成立年も不明で、記録に残っている最初の上演は天正六年(1578年)とされる。
(当時存在した伝説などを組み合わせて成立したのでは?といわれている)
もし小狐丸が本当に一条天皇の命を受けた三条宗近によって打たれたなら
11世紀末に生まれたという三日月宗近は三条宗近本人の作刀ではないことになってしまい、
逆に本当に三日月宗近が三条宗近によって11世紀の末に打たれた刀であるなら
三条宗近は一条天皇没後数十年経ったのちの人間ということになる。
三日月宗近か、小狐丸か、生まれた時代の記憶はどちらか一方が正しければ、一方は否定される。
三日月宗近は令和現在確かに存在して博物館で鑑賞できる刀剣で、
一方、小狐丸は現存しない逸失した刀である。
生まれたエピソードも稲荷明神などが関わるファンタジックな内容であるので、最初から作り話の中の架空の刀剣という可能性もある。
(とはいえ刀剣男士自体が付喪神なので、刀剣乱舞においては神霊の関わりは物語の真偽の根拠にできないし、
小狐丸も現場で手を貸した者の正体は稲荷明神ではなく野鍛冶の集団であった可能性も手紙に書いている)
修行に出たことによって自分自身が架空の刀剣であると気付いたパターンとして今剣の例がある。
今剣自身は義経と過ごした詳細な記憶を持っていたが、修行で赴いた過去で義経は今剣という刀を所持していなかったため、今剣は自身が史実上存在しない刀であることを知る。
もしこれが小狐丸にも当てはまるのであれば、
小狐丸が確かに「一条天皇の命を受けた三条宗近によって打たれた記憶」を持っていたとしても「史実はそうではなかった」という結果が待っているだけで終わる話だけれど、
この場合は少し違う。
もし三日月宗近の生まれの記憶だけが真実で、彼が三条宗近の作であるなら、
そもそも小狐丸は一条天皇の命を受けて悩む三条宗近には会えないことになる。
確かに小狐丸自身が鍛刀を見届けていないため、彼が立ち去ったのち本当に小狐丸が打たれたかどうかはわからないけれど、
彼は「一条天皇の御世、三条宗近殿のところ」に赴いて、その人物と言葉まで交わしている。
(三条宗近の「言葉」に対する「相槌」打ってきたってこと……?)
よって「一条天皇の時代に三条宗近が存在した」ことだけは刀剣乱舞内では史実ということになる。
ということは、小狐丸の修行に偽りが無ければ
三日月宗近の言う「11世紀の末に生まれた」という記憶は誤りであるか、
三日月宗近は三条宗近その人の作ではないということになる。
三日月「我らが打ち合えば無事では済まないが……」
小狐丸「(フッと鼻で笑って)先ほどから随分な打ち込みですが……!」
三日月「生まれた時の事を覚えているか」
小狐丸「ええ……。それで、私を折りますか」
※三日月はいつも通り終始穏やかな声である
※「先ほどから~…打ち込みですが!?」と理由を尋ねるような調子
※「それで? 私を折りますか↓」それで?と反応を促しつつも、折るかについては尋ねる調子ではない
♪カルマ(BUMP OF CHICKEN)
三日月宗近の来歴ははっきりしていない。
ただこの刀は「三条」の銘がある古い刀であり、千年近い年月の間に異なる時代の異なる職人たちの手で何度も研がれながら今日まで美しい姿を保ってきたことは確からしい。
幻のように歴史上を漂い、しかし確かに存在し続け今も目の前に見える名刀。
小狐丸は生まれた物語こそあるものの、本当に存在したのか、生まれた後の行方はわからない(諸説ある)。
しかしその物語は貴い人たちから庶民まで今日まで謡われ愛され続けてきた、音に聞こえし名刀。
ふたりの在りようは正反対のようで似ていて、一方が正しければ一方は否定される、表と裏のように決して向き合えない存在のようでいて(我らが打ち合えば無事では済まない)
おそらく互いを認めてはいるので、隣同士に並ぶことはできるんだろうな……と思う…
手合わせ終了時にはふたりの声は穏やかに満ちた様子でいる。
三日月「お主は良い剣だ」
小狐丸「(フフッと笑って)……三日月殿は正体がない」
"正体がない"という言葉は「気を取り乱して正気でない」とか「あるべき状態にない」といったマイナスなニュアンスでの「本来の万全な状態ではない」という意味に使われるような言葉だけど、
ここでの小狐丸の声に不満や警戒は感じられず、「実態を見せない」ぐらいの意味に感じる。
ところで、三日月はこれまで手合わせでは
「まあ、俺の負けでもいいんだが」「まあまあの腕だったな」
と言い続けてきて、
(数珠丸に対しては「ほう、数珠丸殿がお相手か」「はは、そうか、そうか」とは言う)
小狐丸が極めてきたことで三日月ははじめて殺気とも取れる姿を見せたわけですけど
「俺の負けでもいい」と冗談で言える相手ではなくなり、同時に「良い剣」と認めているので最高です。
極実装後、通常の小狐丸と三日月を手合わせに入れてみましたが、こちらは通常会話だけだったので、やはり「生まれた時の事」を明らかにしてしまうことが、ふたりのキーポイントなんでしょうか…
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と、ここまで長々書いておいて気付いたのですけど、
「生まれた時の事を覚えているか」
って、「刀剣として打たれた時の事」ではなく、「小鍛冶の初演」の可能性もありますね…?
もし小狐丸が「小鍛冶」という物語によって生まれた架空の刀であるなら、そういう可能性もあるんですけど、
それにしたって結局は「一条天皇の時代の三条宗近」を訪ねてるんで…
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ところで、小狐丸極の衣装の柄には雷が多用されていて、軽装や袴に描かれてる四角い渦巻の文様は「雷文」というのですけど、
(衣装自体は能の装束に似た感じで、雷の文様は荒々しい役がよく纏うらしい)
(あと雷は豊作の象徴なので、元々農耕の神様の稲荷明神にも重なるものがある)
三日月の衣装の紗綾形文様の「不断長久」が三日月のイメージによく合うのと同じで、
生まれた一瞬だけが鮮烈に残る小狐丸も「雷」がよく合いますね…
(模様の印象が似ているせいか、紗綾形文様も「雷文繋ぎ」と呼ばれることがあるらしいですよ)