エヴァ所感。まず何より完結したことを祝いたい。制作的にも、作品世界的にも。庵野監督並びに関係者の皆様お疲れ様です。エヴァは、私を長年楽しませてくれたコンテンツであったことは間違いありません。ありがとうございます。
で、内容についてですが、ヴィレのクルー以外にも人類に生き残りがいたことにまずビックリ。やぁ、普通に滅んでいたものとばかり思ってました。それくらいQの荒廃した世界の描写が広大だったので……。村外れで、アヤナミ(仮)との対話でべそべそ泣いちゃうシンジくんの演技が見事ですよね。さすが緒方恵美さん。優しくされてもそれを素直に受け止められない自己嫌悪の状態は痛々しくてしょうがないですね。ツライ。けど目が離せんね。
しかし、アヤナミ(仮)をすんなり受け入れてる委員長、何気に器がデカイのでは、と思ったが、トウジもケンスケも、このトンデモな世界を受け止められるだけの時間が作品世界内でも経過しているし、それを知り得る立場にいたのだろうし、そういうものなんだろうなぁ……。
おやすみ、おはよう、ありがとう、さよなら、どれも「おまじない」なんですよね。実効がある訳ではないけど、挨拶は交わすことに意味がある。単一の目的の下「つくられた存在」でネルフの外では生きられないアヤナミ(仮)の生には容れ物以上の役割がないとしても、村の人間の生活をなぞって、模倣するだけでも、それを取り巻く人々が、彼女を記憶に留めてくれるだけで、容れ物以上の意味が生まれるんですよね。ウチの嫁に欲しいわ、えらいベッピンさんだねぇなどなど。挨拶を交わせば、今日も元気だね、とか、記憶が残る。挨拶は実効を問うものではない。命も同じように、何のためにあるのか、何のために産まれたのか、じゃなくて、どう作用したか、どう生きたかで解してよいのでは。おまじないの積み重ねが意味を産むんでしょうね。その結果、アヤナミ(仮)はもっと村で生きていたかった、もっと赤ん坊を抱っこしたかったと「欲」を持てた。自分の命の先を志向できたんじゃなかろうか。悲しくて儚いですけど、アヤナミ(仮)はなかなか眩しい存在でありました。うーん、アヤナミと名のつくあらゆる存在の儚さは、何かを成し遂げることが許されていない点にあるのやも。
今回、一番印象に残ったのは鈴原サクラですよ。いやいや、あんなに情の深いおなごだったとは。他の方のツイート見るまで忘れてたんですが、テレビシリーズで、エヴァによる戦闘の被害を受けて長めに入院するくらいの負傷をしてたにも関わらず、妹に怪我させたエヴァに怒る兄のトウジをサクラは諫めてたんですよね。あのロボットが私たちを守ってくれたのよ、と。我が身にふりかかる災難を差し置いて、相手や周囲を慮ることのできる子だったんですよね。ええ子や……。それだけにシンジくんが決意する場面での彼女の涙はとても胸に迫るものがありますね。シンジくんのことを厄病神だなんて思ってなかったのですよ。意表を突かれましたし、サクラへの印象が一気にひっくり返りました。ヴィレに戻って目が覚めたシンジくんにいきなりビンタかましたところから、あれ? とは思ったのですが、シンジくんに銃口を向けるシーンでサクラの魅力は極まりましたね。
取り留めがないのでいったんおしまい。