ウマ娘映画、是政橋の使い方が天才的だっていう話をしたい。橋とか音とか植物とかタキオンとかフジ先輩とかそのへんの考察っぽい感想
是政橋から見える景色って、向こう側に並走して見える南武線の列車と、富士山がとてもきれいなんだけど、その両者をタキオンとフジ先輩の描写でうまく使ってるのが天才的すぎる。
タキオンがレースの後にひとり黄昏の列車に乗るシーン、他のウマ娘がわいわいとレースを観戦しながら乗っているのはみんな京王線なんだけど、あのシーンだけ南武線なんだよね。(ゴミが転がってるのを「南武線のリアル」って言ってるのを見たけど、あれ、どっちかというと、だんだんゴミが重なってくタキオンの研究スペースとの重ね合わせなんだと思う)
で、タキオンが最後走り出したあと、是政橋を渡る時、走るタキオンの向こうに南武線が並走して見える。足をかばうためか、あの時は電車に乗って渡った橋を、今度は自分の脚で駆け抜ける。自分の脚で駆けるんだ、っていうよろこびが、出てるんだと思う。あそこ。
この映画、飛行機の轟音(タキオンのレースと、ポッケの見る幻)と、電車や車の音(ポッケの練習中)がかなり印象的なんだけど、飛行機の音が可能性の先の走りを、電車や車の音が今、地を駆けている走りを示してるんじゃないかなーとか思った。
そう考えると、もしかしたらタキオンも、あの時の走りは可能性に手が届くものなんかじゃなくて、ただ、今こうして全力で走っているっていうだけの走りで…もしかしたら、タキオンも怖かったのかなって思った。フジ先輩が「私の時代は終わっちゃったから」「あの時の私に負ける」って形容したように、例えレースに復帰することができたとしても、皐月で見せた可能性のさらに先に届かないかもしれないことが怖くて、自分の脚で走るプランを捨ててみせたのかなって思った。(タキオンのシナリオで、「壊れる」までに脆い脚が、研究でどうにかなるんだろうか、というのが映画だとリアリティーラインとして解釈難しいかなって思ってたんだけど、自分の理想とする走りまではたどり着けないから、と仮定すると割と理解しやすい気がする)だからこそ、負けるのが怖い、でも、それを乗り越えるっていうポッケの走りがタキオンを動かしたのかなって。
ところでポッケの幻覚のシーンが割と顕著なんだけど、ポッケとタキオン、幻覚の世界だと見分けがつかないくらい似て見える。髪の長さとかのキャラデザ意図的に揃えてるのかなって思ったくらい。最後の方の並走誘いにくるシーン(あそこお互いに射すプリズムの光があまりにも象徴的で大好き)とかでも、鏡写しっぽさが出てる気がする。(そう考えると、あちらとこちら、を繋ぐものもやっぱり橋だなあ)
フジ先輩と富士山。あのシーン見た時ほんとに嬉しくて、是政橋ってほんとに(朝とか夕暮れとか足を止めて写真撮ってる人がいっぱいいるくらい)富士山がきれいなところなので、ほんっとに、あんな是政橋の景色を描いてくれたのがめちゃくちゃ嬉しかったんだよね。ロケハンした時に、あの富士山の景色を(写真かもだけど)見て、フジ先輩との川沿いのレースコースを是政橋の下に設定したのかなって想像して、ほんと嬉しかった。最強を目指す(ちょうてーん!は前作だけど)象徴としても、フジ先輩とポッケふたりともにとっての再起の場としても、富士山ってモチーフはふさわしいと思った。(不死、にも繋がりますし)
ところで、フジ先輩、ドロワのドレスのイメージで藤の花のイメージどうしても抜けないけど、弥生の桜の蕾以外は一貫して柳なんだよね。夏祭りの浴衣も白地に柳模様で徹底してる。
……柳の下と、橋のたもとってなると、どうしてもあちら側のイメージがつきまとうと思うんだけど、フジ先輩の再起も描きたかったんだとすると、それも意図的なのかな。鳥居のあちらとこちら、とか、点滅する夏祭りの提灯とか、暗がりの自動販売機とか、どこか、異界を連想させるモチーフが多いよね。この映画。(夏祭りで、歴史に残るよ、みたいな話をしてる時にずらっと並んだお面を写すのとかすごいセンスだよ…)カフェのお友達がほとんど出てきてないのにすごいよ…
カフェって言えば、カフェのコレクションの、おそらく、光が射してる時はプリズムの絵になって、射してない時は夜空の絵になる仕掛け絵?とかもすごいよね…眩しくてカーテンを閉めて、だけど夜になったその部屋から出ていくんだよタキオン。すごいよね。なんというか、映像から無限に味がする…すごい…好き…