「yu hi」を起点にして【琴・禽・空・華】を読む。
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【琴・禽・空・華】の2つ目のコミュ「yuhi」は、TRUEも含めた5つのコミュの中で最も謎めいていると個人的に感じています。「橙の時間」、地球の橙色の夕日と火星の青い夕日の対比、夕日の暖かさについての問い、色と気持ちの関係についての問い、橙色と夕日の関係に関する問い、そして真昼の色のない色/すべての色がある色と蛍光灯について…… 隠喩的に会話が進んで行く上にこうした問いや話が絡み合っていて、これらは何を意味しているのか、何が問われているのか、そもそも霧子たちはいったい何を言わんとしているのかもはっきりさせることが困難であるように私は感じています。
ここでは、「yu hi」に迫るために、いままでの霧子のコミュの中で「yu hi」に類似していると思われるコミュや、「yu hi」と似たモチーフが現れているように思われる部分などを取り上げて、その足掛かりにしてみたいと思います。そして「yu hi」をポイントにして、可能なかぎり【琴・禽・空・華】そのものに迫ってみたいと思います。
◇「橙の時間」
「yu hi」は、霧子が事務所に帰ってくるところから始まります。事務所にははづきさんや他のアイドルなどは誰もいませんでしたが、お日さまが夕日として部屋を照らしていました。それに気づいて霧子は「橙の…… 時間だ……」と言います。
このシチュエーションに酷似しているコミュが過去にあります。【菜・菜・輪・舞】「夜がいっぱい」です。こちらのコミュでは、霧子はプロデューサーとともに夜の事務所に帰ってきますが、プロデューサーは車を駐車場に停めてくるため事務所には霧子1人で入ります。事務所は真っ暗で人は誰もいませんでしたが、窓の外から部屋を月が照らしてくれていました。そこで霧子は「ふふ…… お月さまがいた……」と喜びます。太陽(夕日)と月、夕方と夜という違いはありますが、帰って来た事務所には誰もいないと思ったところで、お日さま/お月さまがいたことに気づくという点で共通しています。
またこれらのコミュが似ているのはこうしたシチュエーションだけではありません。これらのコミュは、異なる種類のものをひとつのグループにまとめ上げる視点を霧子が持っているということも共通して描いています。「夜がいっぱい」では、聞こえてくるさまざまな音を「夜の音」としてひとまとめにしています。そして「みんな……お月さまに……照らされてます……」と霧子は言います。種類の異なるものをひとまとめにする視点を持つというのは霧子の特徴のひとつであるように思えます。「夜がいっぱい」の他にも、【菜・菜・輪・舞】のピザトースト、家族写真、「雪・月・風・花」。そして【琴・禽・空・華】であり「橙の時間」です。
「橙の時間」では、ゼラニウムもユキノシタも夕日に照らされて橙色に染まっています。それだけでなく部屋のさまざまなものが橙色一色になっており、これを「橙の時間」と呼ぶ霧子の視点は「夜の音」と同様に種類の異なるものをひとつにまとめあげる視点となっています。
種類の異なるものをひとつにまとめあげる視点を持つという霧子の特徴は、おそらく繋がりを求める霧子の心性と関係しているように思われます。繋がりを求める心性は初期の頃からあり、献血(輸血)にそれが現れています。Morningコミュ12では、献血について「自分の血で…… 誰かの命が強くなるって思うと……嬉しいです……」と言っており、sR【283プロのヒナ】「BBAOAB」では霧子はアンティーカの4人に輸血はできないけど、4人は誰でも霧子に輸血ができると知って霧子は嬉しそうにしています。霧子が植物や無機物にさん付けをして語りかけるのも、緊張していたり不安だったりしている場面が多く、そうした自分のそばにいてくれる何かを求めているということがうかがえます。
「橙の時間」では「ゼラニウムさん」「ユキノシタさん」「ソファさん」とさん付けで語りかけまくっていて、霧子は精神的に不安定な状態にあることがうかがえます。そして霧子はソファさんに「おんなじ……色だね……」と嬉しそうに語りかけています。夕日に照らされて、霧子も一緒に同じ橙色になっていることを喜んでいるかのようです。「じゃあ、昼は何色なんだろうな」の選択肢の先で霧子は、「夕方は……青くても、橙でも…… 全部…… 同じ色に……なるから……」「甘えてしまうみたい…… 夕方に……――――」と言っており、夕日に照らされて他のものと同じ色に染まることでほかのものと繋がり、安心を得ようとしていることがうかがえます。
◇火星の青い夕日との対比
「yu hi」のコミュが他のコミュと異なるのは、「橙の時間」の中で橙色に染まっていく霧子をプロデューサーがすくい上げようとしているところです。またそれも選択肢によって方向性が異なってきているところも気になるポイントです。
「yu hi」で印象的なのは、夕日が橙色であるのは地球の夕日の特徴で、火星では夕日は青色であるということを霧子が話題に出すところです。日常生活の視点に対して、より大きな宇宙的な視点から日常生活の見方を相対化するというのもまた、霧子の特徴でもあります(【霧・音・燦・燦】「ほしをひとまわり」)。ただ、地球の橙色の夕日と火星の青色の夕日を対峙して何を考えようとしているのか、何を言わんとしているのかは私にははっきりとは分かりません。アイドルとしての道と医学部受験の道との分かれ道の事を指しているようにも思えますが、必ずしもそうとは言い切れない部分があります。プロデューサーのすくい上げ方に違いがあるからです。
選択肢「見てみたいな……」では、火星の青い夕日に2人で思いを馳せます。青い夕日をプロデューサーは「寒そう」といったんは考えますが、すぐに「太陽だから、あったかいのか」と思い直しています。「みんな……青くて…… あったかい時間――」。その後プロデューサーは何か不安を感じ取り、「霧子は今、橙の光の中にいるんだ。青い場所じゃない、ここにいるんだ」と思いを馳せていた火星の青い夕日から今現在の場所へと引き戻してきます。
一方、「こっちの夕方とは違う気持ちなのかな」の選択肢では、「橙なのが……夕方……なのか……」「夕方が……橙……なのか……」「橙も……青……なのか……」と霧子が謎めいた問いを発し、プロデューサーは電気の明かりを点けて「霧子の色をした、霧子でいてくれればいいんだ」と言います。電気の明かりについては、「じゃあ、お昼は何色なんだろうな」の選択肢で、地球のお昼の色が「蛍光灯みたいな」と言われているところが関連しているように思えます。その色についてプロデューサーは「全部の色が見えるのに、色がない」と表現しており、「霧子の色をした、霧子」というのはそういう色であると考えられます。
いまここで気がついたのですが、プロデューサーが危惧しているのは、霧子が橙に染まってしまうということではなく、橙に染まることのその先で青色に染まってしまうことなのではないかということです。プロデューサーは「見てみたいな……」の選択肢では霧子がいるのは「青い場所じゃない」と言っていますし、「こっちの夕方とは~」の選択肢で電気の明かりを点けたのも「橙も……青……なのか……」という問いに霧子が到達した後でした。プロデューサーも青い夕日は「あったかい」と認識しますが、それでも霧子が青色に染まることに対して不安を感じている様子が感じられます。一方ここで霧子は橙と青を、どちらも「あったかい」と言っていますし、どちらの色でも「全部…… 同じ色に……なるから……」と言っていて、両者を同等に扱っていることが分かります。
◇要求と迷いの先に
霧子は、「橙の時間」に橙色に染まることについて、見た目が橙色になるだけでなく「心も…… 橙に……なっていって……」と言っています。霧子が夕日によって1色に染められることについて「甘えてしまう」と言っているのは、他のものと同じ色になって仲間を得ることができて安心するということだけでなく、自分の気持ちについて自分以外の意思に身を任せてしまうというニュアンスもあったのではないか、という気がしてきました。「yu hi」の場面では霧子はアイドルと医学部受験という2つの道に迷っているだけでなく、霧子に向けられるアイドルとしての要求と医学部受験を目指すうえで必要とされることの要求との間で板挟みにもなっているからです。
「fuku ju so」では、勉学を重視するのは分かるけれどもアイドルとしてもっと仕事をしてほしいと仕事のディレクターに要求されたことが描かれています。もっと仕事してくれないなら別のアイドルに仕事をしてもらうというやや脅しめいた言い方までされています。一方「o t o」では、医学部受験を目指すならば今以上にアイドルの仕事をするということなど容認できないと担任の教師に釘を刺されてしまいます。霧子はアイドルと医学部受験の両方を目指すという方向でG.R.A.D.のシナリオの決着を付けましたが、【琴・禽・空・華】で描かれるのはアイドル業界や学校からの要求であり、霧子内部の迷いだけの問題ではなくなっています。
この状態での霧子内部での迷いは明確には描かれていませんが、ひょっとしたら、おそらくアイドルと医学部受験のどちらか一方を選ばなければならないのかという問い、もし選ぶとしたらどちらが自分にとって良いのだろうかという問いが、あったかもしれません。このどちらかひとつを選択する、ということが、「橙の時間」で描かれた一色に染まるというモチーフと重なってきます。夕方に、地球では橙色に、火星では青色に染まるのは、夕日に照らされるからです。その光は外側からやってきて、霧子たちを照らします。外側からやって来て霧子を何らかの色にする、というところが、アイドルなり医学部受験なりを選択させようとする業界や学校の要求と重なります。つまり橙色/青色に染まるというのは、要求に従ってアイドルなり医学部受験なりを選択するということを示しているように思えてくるのです。
では橙色と青色それぞれは、アイドルと医学部受験とに対応しているのでしょうか。プロデューサーはアイドルのプロデューサーですし、これはアイドルのゲームですから、霧子にはアイドルを続けてほしいという気持ちになるのは自然なことだと思います。だから比較的マシな方とされている橙色の方がアイドルで、青色が医学部受験なのではないか、と考えたくなります。
ですが、この考えには納得できないポイントがあります。橙色と青色との間にプロデューサー視点では格差があるのに、アイドルの道と医学部受験の道の両者をそのように格差をもって並べてしまってよいのか、という疑問です。G.R.A.D.のシナリオでも、アイドルを続けていくことは選んだわけですが、医学部受験の可能性を保持したままにしていたわけですし、いつかの時点で霧子が自らアイドルではなく医者の道を選ぶということはありうることです。おそらくそのとき、医者の道を選ぶことをプロデューサーは受け入れるのではないかと思います。だから青色を医学部受験の道とするのはそぐわない気がします。
これは私の直感ですが、橙色に染まるのは霧子自身が選択を迷っているということ、青色に染まるのは他者の要求によって選択を行うこと、ではないかという風に感じています。いずれもアイドルと医学部受験のうちひとつを選択する道ですが、橙色の方は霧子が自分で迷っていることであり、青色の方はアイドル業界や学校の要求に従って選択をすることです。火星がいまいる場所ではないよその場所であること、プロデューサーにはそれが最初冷たそうに感じられたことが、それを裏づけるように思います。それゆえプロデューサーは、橙色まではよくても青色の方へ行ってしまいそうになったときに霧子をすくい上げたのではないか、という気がしています。
◇霧子の色をした、霧子
「橙も……青……なのか……」という問いに到達した後でプロデューサーは電気の明かりを点け、「霧子の色をした、霧子でいてくれればいい」と言っているように、プロデューサーは外側の何かによって色を付けられるのではなく、霧子自身の色を重視しようとしていることが分かります。その色は地球の真昼の色であり、「全部の色が見えるのに、色がない」という色です。
霧子のイメージから色を連想すると、私は白色を思い浮かべます。包帯の白、【包・帯・組・曲】の私服の白、うさぎの白、【白・白・白・祈】のコートの白と雪の白、【天・天・白・布】のシーツの白。白は、無垢のイメージを連想させるように、何色にも染まっていない色ですが、光として考えると、白色光はいろんな色の波長が混合したものであり、いろんな色を持っている色でもあります。まさにプロデューサーが言ったように、「全部の色が見えるのに、色がない」のです。
「全部の色が見える」ということと、夕方の橙や青といった1色とが対比されます。夕方が橙にせよ青にせよ1色しかないことが将来の選択を思わせるならば、「全部の色が見える」ということは霧子の将来には複数の可能性があるということを示しているように思えてきます。
ひとつに決定されないこと、複数のものを同時に含み持っていることは、「o t o」で語られたこととも繋がってきます。霧子は、「音には…… 全部……あるのに……」「押したら……鳴って…… いろんな気持ちが……全部……あって…… でも…… 言葉には……ならなくって……」と言っており、言葉として表に出てくるものの背後に言葉にならない複雑な気持ちが霧子の中にあることを伝えています。「わたしが…… どっちかに……決めないから……――――」と言っており、選択をしなければならないと霧子が感じていること、選択をしないことで迷惑をかけているのではないかと思っていることがここからうかがえます。それに対するプロデューサーの応答が重要です。「でも、いっぱいある気持ちを無理やりひとつの言葉にしてしまわなくていいんだ」です。そして続けます、「霧子の仕事は、その気持ち全部に向かい合うこと」。ここで語られている「気持ち」が、「yu hi」での色と重なってきます。1色に染まるのではなく、全部の色を持った「霧子の色をした、霧子でいてくれればいい」というわけです。
TRUEコミュ「日」は、今までアルファベットの音だったタイトルから一転、漢字になっています。音でしかなかった霧子の気持ちを、何らかの言葉として外へと表したことがタイトルから推察されます。そしてそれは、「勉強も諦めたくない、仕事も増やしたい」ということをプロデューサーと担任の教師に伝えたことだということがコミュの内容から分かります。
ここで霧子が伝えた霧子の気持ちは、霧子自身の意思です。ですが、それはアイドル業界と学校それぞれの要求がなければ、行われる必要のなかった決意であることも確かです。
アイドルと学業の両方をこれまで以上に頑張るというのはプロデューサーと担任の教師両方が言ったように霧子の負担が増えるということです。それについて霧子は土から顔を出そうとするフクジュソウに自分をなぞらえて語っています。この場面で画面が青色に染まっていることがポイントであると思います。画面が青色に染まるのは、火星の夕日を思わせるものです。そして火星の青い夕日に染まるということは、他者からの要求に従うということではないか、と考えました。実際、霧子はどちらか片方を選択したわけではありませんでしたが、両方の要求に従うことにしたのでした。これは同時に、「全部の色」を持った「霧子の色をした、霧子」の選択でもあります。
霧子は、フクジュソウに自分をなぞらえながら、土から顔を出すフクジュソウは「しんどいな……」と感じると考えています。アイドルと学校の要求の両方を飲むということはとても「しんどい」ことです。ですが、それを通り抜けることで土の外に出るのだと霧子は考えています。青い世界を通り抜けて、明るい太陽の照らすあたたかい世界に出ることができる。「出てきて…… よかったな……って……」ときっと思える。そのとき画面は光に包まれて真っ白になっています。
◇埋まっているもの
こうして要求と迷いの先に、土の外側を目指して行くということを選んだのでした。これはヤマイさんが指摘されていたことですが、土の中に埋まっているものとして【琴・禽・空・華】で描かれていたのは小鳥の遺体とフクジュソウの2つです。そして「ha ka」で語られているように、そこに埋まっているものが何であるのかは「ほんとは…… 鳥なのか……どうかも……」分からないのです。霧子は自分をフクジュソウになぞらえていましたが、埋まっているものが本当は何であるのかは分からないという不確かさが、ここに差し込んでくるのです。
「ha ka」のコミュで描かれていることは、今回ここで一連の流れとして考えた話に回収しきれない部分があるように思います。あるいは、今回ここで考えた一連の流れから落ちるもの、あるいはその流れの中で失敗に終わるものを連想させるように思います。
霧子が手を合わせてお祈りをしているのは、小鳥が埋められているというお墓です。鳥は空を飛び回る生き物であり、空を飛ぶということはシャニマスにおいてはアイドルをするということの象徴です。その空を飛ぶ小鳥が、死んで、土に埋められているわけです。これ自体、アイドルとしての終わりを連想させます。それも道半ばで夢が途絶えてしまうかのような……
墓は、ある生き物が死んでしまってもはや生きてはいないけれども、かつて生きて存在していたということを象徴的に示すものです。もはやないけれども、かつてあったということを象徴的に示すのです。霧子はお墓について「大事に……思い出すために…… お墓をつくるから……」と言っています。いま霧子は、そうしたものに手を合わせお祈りしているのです。
選択肢「ここにいるのは……」では、埋められているのが小鳥かどうかすらも本当は分からないということが語られた後、「気持ちなんかも、埋めておけるのかな」とプロデューサーは言います。「埋めて……ちょっとだけ忘れたりして、でも、節目節目に思い出して――――」。気持ちのお墓を作るということが考えられています。お墓ですから、そこに埋められた気持ちは死んだ気持ちだとうことになります。気持ちが死ぬというのはどういうことなのかは明確ではありません。
これは私の直感ですが、報われなかった思いや、叶わなかった願いのような、行き場所を失った気持ちがそれなのではないかという風に思います。報われず、叶わず、行き場所を失って、心の中で抱えているだけで辛い、そんな気持ち。だからそれを自分から切り離して、土の中に埋めてお墓を作って、「ちょっとだけ忘れて、でも、節目節目に」思い出せればいい。そんな気持ち…… 【琴・禽・空・華】は、他者からの要求に対して、霧子自身の言葉になる前の気持ちに向き合うお話です。霧子の気持ちは、残念ながら必ずしも報われるとはかぎりません。そんな未来があることを予感させる断章だと思います。
ただ、別の2つの選択肢ではいずれも、プロデューサーは埋められている小鳥に思いを馳せています。「もしいたら――」では、埋められている小鳥に向けて「どうか、寒くありませんように……」と祈りを捧げています。霧子はそれを受けて「なんだか…… 生きてる……みたいです…………」と言っています。そしてさらに、「こうやって…… 寒くないようにって……思ってもらえて…… そういう時間が…… あるんだったら………… 半分だけ…… 生きてるのかも…………」と印象的なことを言うのです。そのとき仕事のディレクターに仕事を増やすように要求された撮影のシーンと、フクジュソウの話が出て来たときの土の背景がともに挿入されています。「fuku ju so」のあの帰り道でも、「寒い思いだってさせたくない」、とプロデューサーは霧子を心配していたのでした。プロデューサーがそうやって心配してくれるかぎり、アイドルとしての霧子は死なない(たとえその道が途絶えてしまっても)ということなのかもしれません。
また「それじゃ空の上かもしれないな」の選択肢では、土に埋められた小鳥がいまはどこかの空を飛び回っているかもしれないということが想像されています。霧子は「もう…… なんにも……こわがらずに…… どこまでも…… 飛べるから……」と言っていて、死んだ後になってやっと自由になるというような見方が提示されています。でも霧子はいまは(アイドルとして)生きているわけです。するといまの霧子は「こわが」っていて「どこまでも飛べる」わけではない、ということなのでしょうか……
ですが霧子はすぐに可能性を中央へと戻し、「こわくなかったかも…… しれないけど…………」と言い添えています。プロデューサーもそれを受けて「これからはこれからだし」と応えています。プロデューサーの言った「これから」の言葉が霧子の印象に残ります。「続きが……あるんですね……」「プロデューサーさんの中には……」と霧子は言っています。これはまるで霧子の中には続きがないかのよう(なかったかのよう)です。「どこまでも飛べる」わけではないと感じていることが示唆されていましたが、続きがないと感じられるくらいに、この時点の霧子は将来の道に関して閉塞感を感じていたのかもしれません。でもプロデューサーの視点が介入することによって、それでも続きはあるということが示されたのでした。
このように、「ha ka」で描かれているのは気持ちや願いが報われずに終わってしまうこと、アイドルとして道半ばで夢が途絶えてしまうことが示されているように思います。G.R.A.D.と【琴・禽・空・華】で、アイドルと医学部受験の両方の道を目指すことが決意されることになるわけですが、その将来の道にはこのような可能性もあるということが示されているように感じられます。そういう意味で、この「ha ka」は、今回考えた一連の話の中に回収しきれない部分があるように感じたのでした。でも、それでも、そこにはお墓が残ります。お墓があれば、そこにお祈りをしてくれる人がいるかもしれません。そしてプロデューサーの視点が介入したように、半分生き続けるかもしれないし、この空ではない別の空を飛び回る続きがあるかもしれません。
◇参考になる読解と考察の記事
今回この文章を書くにあたって、たくさんのことを教わり気づかせてもらった記事を以下に紹介します。
・kokonenyaさん
「琴・禽・空・華の考察 雑記 」
https://fusetter.com/tw/C1pwJsF7#all
・矢作さん
「【琴・禽・空・華】を読みながら」
https://ggnggndpttn.hatenablog.com/entry/2021/03/12/113450
・ヤマイさん
「huku ju so 覚書」
https://twitter.com/member801u/status/1370631103216635905?s=20
「yu hi についての覚書」
https://twitter.com/member801u/status/1370770734105116672?s=20
「otoについての覚書」
https://twitter.com/member801u/status/1370929514000175106?s=20
「ha ka は何のお墓か?ということを考える」
https://twitter.com/member801u/status/1370975553012994050?s=20
「日」
https://twitter.com/member801u/status/1370982439263236097?s=20
最後に参考になるか分かりませんが私自身が書いたものも添えて置いておきます。
【琴・禽・空・華】の話。
https://fusetter.com/tw/oRSZu4cY#all
【琴・禽・空・華】の話(2)。
https://fusetter.com/tw/pvF9RieL#all