質問箱にいただいたコメント「アイヌが置かれる現実と歴史的な問題は、作者が想定していたよりもはるかに重かった。それが露呈したのは、一部の読者を除く、作者とファンにとっては想定外だった。私はその加害性と向き合わねばならない」
議論のベースになっているるくんねの論考:https://fusetter.com/tw/hEJzdaRD
コメント①:https://peing.net/ja/q/a1af5a2b-a758-46be-b0bd-05d8e9e2a782
コメント②:https://peing.net/ja/q/173c4c4f-c995-41a0-9c8e-855e493cf8b7
コメント③:https://peing.net/ja/q/7a8930ff-d324-42e1-bf02-ede391dc70d9
私が補足するまでもない、素晴らしいコメントをいただきましたので、共有のためまとめさせていただきました。(途切れて送信されているため、三つのURLに分かれています)
また、短いですが、いただいたコメントへ応答いたします。素晴らしいコメントありがとうございました。
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作者が北海道「人」として、感じたアイヌに対する想い、それを「かっこよく描きたい」という決意、しかし、問題はそんなに軽いものではなかったという、さらに悪いことに、ファンダムや日本社会が、それを消費する方向に動いてしまったことで、議論が紛糾する事態を招いたという分析は、まさにその通りであると思います。正直、作者がどのような態度であれ、ファンダム及び日本社会がきちんと自浄できれば、ここまで多くの人を傷つけるムーブメントは起きないわけですから、やはり作者一人の肩にすべての責任を背負わすことはできないと思います。それはおそらく、彼が生まれ育った日本社会における教育のあり方、というところまで、目を向けなければならない根深い問題と社会的課題であるのだと感じます。
「私たち」がまず向き合うべきは、自身の、和人としての加害性であること、忘れないようにしたいです。
言語分析、面白いですよね。天候や色と言った認識も、こうした言語的枠組みによって認識できる範囲が規定される。そのことを、人間の「有限性」と言ったりしますが。興味があれば、ソシュールなどその辺の言語哲学を調べてみるともっと質の良い分析をみることができると思います。
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