書籍版29巻とそれ以降のweb版のフェルディナンドの感情の推移が読み取りにくかったので、整理した。情報整理+感想みたいな感じです。辛めの感想があります。
29巻以降のフェルディナンドの心情の移り変わりがローゼマイン視点だとかなり分かりづらいので、色々補いながら整理してみます。
29巻以降の部分はweb版を読んで考えている。書籍化にあたってもっと分かりやすくなると良いなあ。
〈「君のゲドゥルリーヒを教えてほしい」はどんな意味?〉
手紙の時点では、28巻のプロローグにある通り、ローゼマインの価値観の再確認と、ローゼマインが何を最も守りたいのかを分かった上で動きたい、というフェルディナンドの意図が籠った言葉。
ただ、この時点でフェルディナンドの手元には、王族とローゼマインとがどのような形で結びついたのかとか、ローゼマインが心情的に王族をどのように思っているのか、といった情報がない上に、ローゼマインがフェルディナンドを殊更特別に思っているという前提が抜けている(29巻「望みのままに」にあるように、「家族同然」は本当の家族には及ばない存在だ、というような認識のもと、ローゼマインの中での自分の優先順位は下町の家族には及ばないと感じているようだし、今後自分よりもっと大切な貴族が出現する可能性は大いにあると思っている模様)。
救出直後にもう一度「君のゲドゥルリーヒを教えてほしい」と言った時には、ジギスヴァルトからの求愛の魔石を身につけていたので、ジギスヴァルトがゲドゥルリーヒなのかどうかを確認したくて問いを発したと思われる。その直前に頬をつねったり癒しをかけたりしたのは、求愛の魔石をしっかり見てそれが何なのか確認したかったから+多分既にちょっと嫉妬している、ということなのかなと読んだ。
〈フェルディナンドがローゼマインに救出された際に大激怒したのは何故?〉
・ローゼマインが大切な人やユルゲンシュミットの存続の為に、望んでいない王族との養子縁組と婚姻を受け入れていた(ローゼマインにとって全く大切でない人が、これからローゼマインの愛情を受ける権利を得るの?)。
・その上でフェルディナンドをエーレンフェストに置き去りにしようとしていた(今まで離れ離れで辛かったのは自分だけなの?置いていってしまうの?)。
・その話の流れで名捧げの石を返そうとしてきた(必要とされていないってこと?)
・王族について、王族の義務を果たす為に切実にローゼマインの魔力とグルトリスハイトを望んでいるのかと思いきや、ローゼマインに領地の線の引き直し等、王族のすべきことを丸投げしようとしているらしいと知る(自分のアーレンスバッハ行きも、そのような無責任な発想から行われたと推察)。
などの理由で大激怒。王族を重んじる気持ちが死滅。自重をやめる。ローゼマインの愛情を絶対に自分に向けさせるように動くことを決意。多分この時点では、アーレンスバッハと王族を滅ぼしてエーレンフェストに帰る、みたいなビジョンだった。
その直後にローゼマインがアーレンスバッハの礎を染めたという話を聞いて、驚きつつも王命を利用してローゼマインを婚約者として扱い、家族になる好機と思い、ランツェナーヴェ掃討戦以降、婚約者だと周囲が思うような振る舞いを始める(=外堀を埋め始める)。ここの短時間の計算と計画が怖い。魔王怖い。
多分、ローゼマインがジギスヴァルトのことを愛していたら、フェルディナンドは切ないと思いつつちゃんと彼女を送り出すことを決意したと思うのだけれど、ローゼマインが望んでいない相手である上に、ローゼマインを搾取するとしか思えない相手、しかも立場を振り翳して婚約を決め、ローゼマインに立場上の義務を丸投げするような輩に、ローゼマインのこの優しさとか愛情とか慈しみを取られることが超絶嫌だったんだよね…。というのがサビですよね…。
フェルディナンドの感情としては、ローゼマインの(家族への)愛情が自分に注がれる大義名分が欲しくて、それが結婚だったという順序なのかなと思う。
アーレンスバッハに移って以来、ローゼマインに会いたいというか、ローゼマインと一緒にいたいって気持ちがとても強かったのではないかと思う。大切な人と別れ別れになって強烈な寂しさを感じたというか…。
〈フェルディナンド、いつからローゼマインのこと恋愛・性愛的な意味で好きなの?〉
難問。「望みのままに」で「真っ直ぐに自分を見つめて喜ぶこの金色の目が神々による成長と共に失われていたら、私はそれを喜べたであろうか」「どうやら美しく成長した容貌より、変わらなかった部分の方が私にとって重要らしい」とあって、この辺りで一目惚れが入ってそうだなあ、と思ったりはする。
とはいえ、正直個人的には、これは「上手く書けていない」ポイントだと思う。
同調した後に、名捧げ石をシュツェーリアの盾に喩えているからには、セクシャルな事柄を射程に入れた相手としてローゼマインを見ている、って意味だよね。だけどそう思うに至る経緯がかなり不明瞭で、救出された時に瞬間的に恋に落ちていたと思わないと辻褄が合わないのに、その描写がない。
ローゼマインと家族になりたいとか、ローゼマインを(彼女を大切に思ってもいない、また彼女自身も大切だと感じていない)王族に取られたくない、という気持ちは読んでいて物凄く説得力と重みがあるんだけれど、一方でその感情を現実的に叶えよう、満足させようとした場合に出現する「結婚」という選択肢が、そもそもは希薄だった筈の「恋愛感情」を、フェルディナンドに逆流させているように思えてしまった。
つまり、家族になりたいから結婚して欲しい、という気持ちがそもそもの本筋だった筈なのに、結婚する相手には恋している筈だ、が何処から湧いて来たように見える。
恐らく、作者としては「本当の家族になりたい、ずっと一緒にいてほしい」という気持ちを成人同士で抱いていたらそれは恋だ、という判定なのだろうと思う。ローゼマインが、「フェルディナンドに懸想していない」といくら言っても周囲に納得してもらえない描写と併せて考えると分かりやすい。自覚していないだけで、それは恋なのよ、みたいな。
ただ、それって何かおかしくない?と個人的には思う。だってローゼマインは成長前と後とで年齢的にも精神的にも何の変化もなくて、ただ単に身体が大きくなっただけだし、フェルディナンドとローゼマインのお互いの感情も変わっていない(変わったという描写がない)。なのにいつのまにか恋愛・性愛的な意味での好意が発生したことになっている。
つまり感情そのものが変化したのではなく、周囲からの目、周囲の判定ルールがローゼマインの見た目の年齢によって変化した、というのが実際に起きていることだよね。なのに、作者の含め、まるで「成人同士なら恋になるもの」であるかのように語られているし、読者もそこに無批判である場合が多くて、ここはおかしなところだな…と。
フェルディナンドがローゼマインに恋したなら、それは描写としてほんの少しで良いから入れた方が良かったし、ローゼマインの感情については、「自覚していないだけで恋ですよそれ」みたいな扱いはやめた方が良いなあと思う。ローゼマインが恋と言っていないなら恋じゃないから。
グレーティアが作中でちょろっと言っている、成長すると許されなくなることがあって…という部分をもっと丁寧に描くべきだったと思うし、ローゼマインが語る自分自身の感情の話を、周囲の人間も作者も聞き入れないのは、何か読んでいて「うわ…」となった。