ミュージカル『フランケンシュタイン』鑑賞レポ
2024/7/24 夜
ビクター:キュヒョン(ギュビク)、アンリ:カイ(カアン)
ギュビクのために海を渡ってきた。後悔はひとつもない。という話をします。
※あらすじや各楽曲の解説は飛ばしてますので、知りたい方は各自ググっていただいて……これはただの個人的な鑑賞レポです。
『フランケンシュタイン』自体は2018年の韓国公演以来2度目の鑑賞。
元々愛してる演目だったところ、前回(2021~2022年)上演時にギュがビクター役に決まって大興奮。しかしパンデミックによる渡航制限の真っただ中であったため現地での鑑賞は叶わず、代わりにギュの出演日ごとにTwitterで「ギュビク」と検索をかけ、ギュのビクターはどんな風に演じられているのか、アンリ役の各キャストとの相性はいかがかなどなどひたすら韓国語のレポを読み漁ることで脳内にまだ見ぬギュビクを作り上げて胸を焦がす日々を送っていたのです。
そしてこの度めでたく10周年記念公演でギュビクの再登板!!しかし今度は自分がメンタル不調で療養中!本当にどうしようかと思ったのだけど、ちょっと調子が上がってきたことと「行かなければ一生の後悔として残る」という確信があったので、フランケンシュタインを観ること以外は何もしないぞと決めて一泊二日のヒヤヒヤ弾丸渡韓をキメるに至ったのでした。
ちなみに平日夜の回でも満席で、ギュよかったね……と思いました。
数年前に自分は満席にできる俳優ではないのでもうミュージカル難しいかも……みたいなことを言ってた時期があって、わたしはそのときもパンデミックで鑑賞を断念してたこともあり本当にもどかしくて悲しかったんだけど、そこからミュージカル俳優としてさらにレベルを上げてこうしてフランケンシュタインという超難曲尽くしの大人気作品の主役を張り、再演しかも10周年記念という大事な公演に出演し、もちろん演目やペアを組む方の人気もあるだろうけどこうして見事に満席を連発していて、やったね!!という気持ちだし本当にキュヒョンがフランケンシュタインという演目、そしてビクターというハマり役と出会ってくれたことがうれしい。
そう……ハマり役だったんですよ!キュヒョンのビクター・フランケンシュタインは!!
そして前回の公演から聞いてはいたけどカイさんのアンリとのペアが本当によかったんですよ!!
カアンは眼鏡をかけてて線が細く見えるのに話すと声が低くてどっしりしてて、逆にギュビクの声は少し高めで張りがある感じ、まずこの声の相性が良い!歌のみならず、キャラクターや関係性の解釈としても最高に合っている。
子供の頃の傷を抱えたまま大人になった、若くて聞かん坊なお坊ちゃんギュビクと、
知性と優しさと決意でもって彼と共に歩むと決めたカアン、という感じ。
ギュビクはカアンにちょっと甘えてるとこあるし、カアンもそれを分かってて受け止めたげてて、ビクターが落ち込んでると引き上げてくれるし、かと思えば一緒に馬鹿もやれる本当〜に良い友達って感じで……。
『一杯の酒~』のシーンがとにかくずーーーっとかわいい、「ふたりはともだち!」感がもうめっちゃくちゃにかわいくって最高によかった。酔っ払ってベロンベロンで〜すって演技がやけに上手いギュビクと、えーいもういっそ飲め飲め!って酒瓶ごと口に当てがってぐびぐび飲ませるカアンで笑った。
ちなみにギュビクが「もう人殺しでもしないと(意訳)……」って言いながらカアンの首…顎…?に触れたところの緊張感(やおい的な意味での)がやばかった……もちろんこの後の展開を暗示しているのだが……。酒場の周囲の客が物騒な単語を聞いて凍りつくという場面なんだけど、この突如発生したやおい的磁場を固唾を飲んで見守っているように見えてこちらの気持ちと完全にシンクロ。双眼鏡でガン見していたのに頭のネジが飛んでしまってアンリの反応を覚えてない。多分ビクターの手を掴んでいた…かな……?
下手側から観ていたので(席については最後におまけで書きます)『君の夢の中で』でアンリが格子越しにビクターの手を握り「諦めないと約束してくれ」と伝えるところで二人のお顔が完全に重なり、kiss……と思った。本当に…それくらいの愛の言葉だった。後でレポを読んでいたら、カアンはこのシーンの「こうしないと(ビクターではなく自分が死なないと)僕らの研究を続けられない」と言うところで普段は「研究」に力を込めるがこの日は「僕らの」を強調していた、という証言があり、それで余計に愛を受け取ったのかもしれないな…と思ったりした。
アンリが命を投げ出すこのシーンはキャストごとのアンリというキャラクターの解釈が強く出る場面だと思うけど、このアンリはビクターの過去を聞いたときからもう覚悟を決めちゃってたぽいなって感じた。
カアンはとにかく決意の人だった。
ビクターのほうが動揺していて、アンリが強く君のやるべきことをやれって示す感じ。
でもそうやってしっかりしたカアンだからこそ、その口からビクターに出会えたことを「太陽みたいに」って表現されると彼はそんな風に思っていたのか、そんなにビクターに救われたと感じていたのか……という衝撃が改めてガツンとくる。
すごくしっかりと自分の芯を持っているから、彼が決めてしまったことならもうその意志は変えられない、と思わせられてしまう説得力と強さがすごかった。悲しみを背負うよりも、真っ直ぐ力強く立つ姿があまりに眩しいアンリだった。
その直後の『偉大なる生命創造~』のシーンはもう、待ってましたこれを観にきました前回公演時のスタジオクリップ5万回観ました予習ばっちりです状態だったはずなのだが、ギュが聞いたこともない低音で劇場全体を震わせながら歌いだすのでこれを観にきたはずがこんなのしらない!!になってしまった、本当に見事だった。この日実は歌の途中でちょっとタイミングをミスった部分があったのだが、それも即リカバーして全然気にならなかったのでむしろすごかった。歌い上げた後の観客の拍手と歓声がもうすさまじく、『君の夢の中で』から涙腺がぶっ壊れていたのでここでも泣いた。
そうして怪物が生まれるわけだけど、ギュビクは怪物が動き出したときも、生命創造の成功より「アンリ!アンリが生き返った!!」というそのよろこびでいっぱいに見えた。だからこそこれはアンリではないのだ、と悟って絶望し、これは殺すしかない、となってしまうというのがよく理解できたし胸が痛んだ。
あれほど理知的で優しくてしっかり者で会話してるだけで楽しかったカアンが、言葉を持たず、混乱し人を傷つける存在になってしまったという落差が悲しかった。
ここで悲しかったのは、カアンはあんなに固い決意と決断、自らの選択と意志で死んでいったのに、怪物として生まれ直したときに記憶と共にそれらの決断や意志というものをすべて失っていたこと。自分の固い意志で、これが自分のやるべきことだと強く信じて断頭台に向かったアンリだったからこそ、そのギャップが切なかった。
そして2幕。
先にジャックのこと軽く書くとギュジャックはめっちゃアイドルしてた笑
アイドル力で乗り切っていた…『一杯の酒』でアンリとステップ踏んでたときはやけくそみたいに見えたのが、ここではルンルン踊るから、あ、アイドル~!!だった。
2幕の怪物は、生まれたての子供という感じで世界のすべてに戸惑っていて、でも次第にアンリのような強い意志と決意を獲得していく、アンリと人格が融合していくようなイメージだったかな…。
イ・ジヘさんのカトリーヌと怪物も友達に見えた。ふたりで同じ夢を見る、初めての友達。それがアンリにとってのビクターと重なるというか……。
だからこそカトリーヌと語り合ったその夜に、怪物は「温かな胸」の夢を見たのだろうと思う。おそらくビクターの夢を。自分が生まれた瞬間に「アンリ」と呼んで抱きしめたビクターのことを。でもその夢の中に生きることはできないんだよね…。
怪物は最後に北極でビクターの胸に抱かれるけど、結局その瞬間にはすでに息を引き取っていて、二度と夢は叶わない。
ギュビクが怪物に対して抱く憎しみの感情は、もちろんあらゆるものを奪われていく故のものではあるのだけど、そこに「お前はアンリじゃない」が混じっているのを感じた。だからこそこの後の北極で迎えるラストに本当に胸を打たれる。
ちなみにギュビクの『生命創造』は元々すばらしいことを覚悟して行ったのだけど、『後悔』がもうね……これは完全に持っていかれてしまった。
地に這いつくばり地獄の底から響くような声で「これ以上の苦しみがあろうか……」と吐き出す歌い出しから始まって、最後に「我が運命」と覚悟の歌い上げと共に北極への場面転換、この演出込みでもう魂に刻まれてしまった感じすらある。ギュビクの『後悔』は本当にすごい。魂がこもった歌唱だった。そこからの北極なのでもう俳優も観客も完全に仕上がっている状態でなんかすごい空気感だった。
北極の頂上に佇む怪物の立ち姿がもう……やっぱりすでに決意を固めてしまっていて、静かに真っ直ぐ立っていた。アンリと同じように。
銃を渡されたビクターは、恐れと憎しみと、やらなければという一心で反射的に引き金を引く感じ。これで終わった……と呆然としていたところで、怪物に「ビクター」って名前を呼ばれて息を呑み、怪物が息を引き取ってから改めてひッ……って後ずさる。
ふらふらと傾斜の舞台をよじ登り、頂上であぁぁ……あぁぁぁぁ!!!と絶望の慟哭。
ここからの悲壮感がすさまじい。
怪物の遺体にすがりつき、必死に語りかけるんだけど、ギュビクは毎回感情のまま言葉があふれ出るに任せているという場面で、わたしの観た回は記憶の限りだとこんな感じだった。
「アンリ、僕のチング、アンリなんだろ?
どうしてこんなところで寝てるんだ
起きて、家に帰ろう
僕が連れ帰ってあげるから」
そう言いながら必死に遺体を引っ張って傾斜を登ろうとする(母の遺体を家に連れ帰った幼いビクターと重なる……本当にあの頃のまんまなんだね)。でも傷ついた足では登れるわけもなく、ずり落ちていってしまい、そこで怪物の体をかき抱いて
「諦めるな!諦めないって約束したろ!
僕が生き返らせるよ
ごめんアンリ
お願いだから目を開けて、目覚めてくれ!」
からの「いっそ俺を呪え!!」と最後の歌唱に繋がるんだけど、わーっと感情を叩きつけるように歌っていても根底には絶望と悲しみがあるビクターで、もうこの辺は涙が………正直「ごめんアンリ」が出た瞬間もう涙ぶわーってなった。
ギュビクは大切な人の死を否定したかっただけの、最後まで喪失を受け入れられないかわいそうな幼い子供のようだった。
生命創造に取りつかれた狂気よりも、ただひたすらに「死」に抗おうとした。
母を、子犬を、アンリを生き返らせたかった。
呪われても構わないと嘯いていたけれど、その呪い(報い)がどういうものか、身をもって味わって初めて理解した。
最後も北極に取り残された孤独より、やっぱりどうしてもアンリを喪ったことが悲しくてたまらないように見えた。
さっき、怪物がビクターの胸に抱かれるのは死んだ後であり彼の夢は叶わない、と書いたけど
ビクターにとってもあの瞬間は、目の前にいるのがアンリだと認識し、アンリが生き返った=夢が叶ったのだと理解して……しかしそれと同時に、彼の死によってその夢がもはや永遠に失われたことを突きつけられた瞬間だったのだ。
その絶望、アンリと、そして自らの夢を永遠に亡くしてしまったことについての深い深い嘆きと苦しみが沁み渡る絶唱だった。
本当に見事な幕引きで、劇場全体からぶわーっっっとものすごい熱気とともに拍手と歓声が巻き起こってのスタオベでカーテンコール。やまない歓声の中、わたしも歓声を上げながらそこに紛れてびゃーって声出して泣いた。本当に本当にギュビクの北極は素晴らしい歌であり演技だった。そう……歌だけじゃなく、演技も本当にすばらしかった!彼だけのビクター・フランケンシュタインだった。
カーテンコールの最後、舞台の奥でギュとカイさんだけが残ったとき、ギュは感情を落ち着かせるように上を向いて、曲に合わせて向かい合ってからもカイさんの顔をすぐには見れずに一度ぐっとうつむいて、それから覚悟を決めたように顔を上げて……二人で笑い合い(ここのギュの笑顔良すぎた下手側の席取って本当によかった)、カイさんから近寄ってハグしてた。ぎゅーっと抱きしめ合いながら、カイさんが耳元で何か話してたようにも見えた。それくらい長くて心のこもったハグに見えたけど実際は一瞬だったのだろうな……。腕をほどいた二人がふと離れて、カイさんがギュに手を向けて観客の拍手を誘導するようなジェスチャーをしたので、ギュが笑って同じようにカイさんに手を向けて、お互い手を広げ相手を讃えあいながら幕が降りていき、二人はしゃがんで最後まで手を振ってくれてた。ありがとう。
【おまけ】座席について
今回の会場「ブルースクエア 新韓カードホール」はミュージカル専用劇場なのだけど、チケットを取ろうとした時点で「1階席後方」or「2階席の前方」という選択肢があり、非常~~~に迷った。普段の自分はこういう場合、全体を見渡せる2階席のほうを選ぶんだけど、今回に限っては最初のほうに書いたような強い思い入れから「役者の踏む板と同じ地平に立っていたい」という謎の願望を抱き、1階席にした。具体的には18列目下手ブロック通路横の席。
そしたら後になってお友達が劇場や演目によっての座席ごとの視野がどんなものか口コミを確認できるサイト(https://musicalseeya.com)を教えてくれて、早速見てみたところ自分の選んだ席が大不評(「舞台から遠い、2階席の下に入るので音が反響して歌詞が聞き取れない、この列ならむしろ2階席に上がったほうがいい」などなどなど)ということが判明し、それはもうめちゃくちゃ不安になってしまった。おそらくこの一回しか観る機会がないのに、自分は選択を誤ってしまったのか……?
しかし実際に行ってみての感想としては、「全然近く感じるし音響も問題ないし通路横だからステージ全体がスパーン!って見通せて視界超良好!最高!!!」だった。
それで実感したのだが、韓国の観客(もしくはこのサイトの利用者層)は要求レベルがめっちゃ高い!目が肥えている!文化としての成熟を感じた。
普段日本のミュージカルや演劇専用でもない劇場での「席は勝手に決めます全席一律S席扱いで~す」という酷な仕打ちに堪えているゥチらからすれば、もう全然!全っっっ然最高の環境ですありがとうございます!という感じだった。なお演者がキュヒョン=アイドルなので正直ギュが実物大で見えるなんてアリーナの超良席ですやんという気持ちもあった。さいたまスーパーアリーナと比較するなという話ではあるが…。
なお確かに俳優の表情は見えない距離ではあったので、顔や細かい絡みを見ていたいシーンでは双眼鏡をフル活用した。
あと音が反響するというのも問題なかった、単にわたしの耳が鈍感なのかもしれないけど…。一部アンサンブルの合唱が入る楽曲の歌詞は聞き取れなかったが、これはもう外国人には高難度すぎる(第一言語でも合唱となると結構たいへん)話なので、席の問題かどうかは分からん。ソロでの歌唱や台詞などは俳優たちの明瞭な発声も相まってノーストレスだった。
なので上記のサイトは、作品ごとに下手側と上手側どっち取ったらいいかとか、どの辺からセットの見切れが発生するかとかを確認するのにめっちゃ有用だしこれからも活用したいと思う一方、コメントしている方々は基本的にめちゃくちゃレベルの高い次元の話をしているので辛口コメントもそこまで恐れないで大丈夫!と思いました!!そもそもそういうサイトがあること自体が市場の成熟度を示していますね…。
ちなみにフランケンシュタインに関しては、上手側か下手側かを選ばなならんときはビクター推しの人には下手側をおすすめします!初登場も『ただ一つの未来』でアンリと握手するときも『君の夢の中で』でも、あとカーテンコールの最後も上手側に立って下手側にいるアンリを見ているので、下手にいた方が表情がよく見える。『後悔』も上手側の柱に背中を預けて歌い始めるし。逆にアンリを見たい人は上手に行けばいいはずです!中央が取れるならそりゃ中央に行っておこう!以上です!