
閃光星 flare star ※つるみか
第四話 山姥切国広
同人誌にする予定のつるみか話 バックアップ兼サンプルとして 年内には…がんばる
鶴丸が目を覚ました時、三日月はちょうど枕元にいた。
「起きたか」
三日月が膝をついてのぞき込んだ。
「ん、ああ三日月……」
鶴丸はゆっくりと半身を起こした。
「よく眠っておったなぁ」
「起きるか……」
三日月は浴衣のままだが、起きてしばらく経つらしい。鶴丸は呟いた。
「そうだな」
鶴丸は、三日月とぽつぽつと会話をしながらも、まだ眠く、少し上の空だった。
昨夜はどうなった? と考えて、泣きじゃくる三日月の背中をさすってやった事を思い出した。
……抱きしめながら、なんとも言えない感情が沸いてきて苦しかった。
悲しいとか、三日月が泣くのが辛いとか、泣かないで欲しいとか、そういう気分だった。ぽつぽつと、慰めの言葉もかけた。泣き顔はあまり美しいとは言えなかったが、鶴丸の胸に頭を擦りつけ嗚咽を漏らす様を見て、愛しい、と思ったし、不憫に思った。あんまり泣く物だから、鼻をかませて、崩れた顔を拭ったりもした。それでも泣き止まなかったので抱き寄せて背中を撫で続けた。
鶴丸が三日月に触れて落ち着くように、三日月も鶴丸がいると違うらしい。
三日月の体は温かく、かすかに良い香りがした。三日月は顔も体も髪の先も嫌になるほど全てが整っていて、月の浮かぶ瞳を見ていると――何もできなくなりそうで、鶴丸は目を閉じた。三日月にも目を閉じるように促した。
温かいというのは不思議な感覚で、驚くほど眠くなる。二振りはそのまま抱き合って眠ってしまった。
思い出すと恥ずかしいが、三日月と鶴丸は共寝前提の関係だからいっそ開き直る方が良いのかもしれない。
(慣れか……)
三日月を見て少し唸る――この男を貰うのは、かなり贅沢な気がする。
三日月は、散々泣いて落ち着いたのだろう。今日は機嫌がいいようだ。
鶴丸が伸びをしていると、三日月が包帯を解いて「見ろ」と言ったのでそちら見た。
「……治ったのか?」
鶴丸は言った。
前見た時は血が滲んでいたのだが、それがない。皮膚は綺麗に繋がり、抜糸直前に見える。
三日月が自分の傷口を眺めて、頷いた。
「ああ。俺はこうやって自分の傷を治す。通常の手入れでおぬしや、他の審神者の刀剣を治すことはできるが、自分の体と、本体の傷を治すのには一々、誰かの手を借りねばならんのだ」
三日月は溜息を吐いた。
「はぁ、そいつは不便だな。俺や他の刀なら、普通の手入れも出来るのか?」
鶴丸の言葉に三日月が頷いた。
「他の刀も、上手くないが手入れできる。おぬしは他より手入れがしやすかったから、やはり自分の刀が良いのだろう。それ以外では、接吻、口淫、まぐわい……まったく惨めな物だ。昨夜、接吻された時、少しおぬしの霊力を頂いた。おかげでこの通りだ。助かった、礼を言う」
三日月が微笑んだ。
昨夜の自分勝手な行動に礼を言われて、鶴丸は少し落ち着かない気持ちになった。
三日月の口からこぼれた、卑猥な言葉にも少し驚いた。
「なるほど」
鶴丸は相づちを打った。
「意識して貰ったわけでは無いから、糸は残ったままだが、その気になれば全快も可能だ」
――意識して貰ったわけでは無い、と言われて鶴丸はどきりとした。
鶴丸が覚醒しきって、三日月の布団を上げていると、不意に三日月が口を開いた。
「俺は一度、本丸の様子を見に行こうと思う」
鶴丸は布団を押し込む手を止めた。
「そうだな。それが良いだろう。いつ行くんだ? ここには戻るのか?」
押し入れを閉めて三日月の前に腰を下ろした。
「そうだなぁ、今日、抜糸をしたら出て行こう。医者は今日の午後に来るからその後で話を切り出そう。ここに戻るかはその時決める」
三日月の言葉に鶴丸は首を傾げた。
「戻るつもりがあるのか?」
「それはさて……審神者殿次第か……鶴は今日は刀装作りを学ぶのだったな。後で付き合おう」
三日月が言った。今日、鶴丸は審神者の厚意で刀装作りを教わることになっていた。
「ああ、さて、着替えるかな」
鶴丸は立ち上がって、まず本を手に取った。鶴丸の荷物は部屋を入って正面左端、床の間のそばにある。床の間の前に戦装束が畳んで置いてあって、枕元に刀掛けがあって、鶴丸の太刀が置いてある。刀掛けは二段になっているが三日月の太刀は無い。
三日月の荷物や着物は右の端、押し入れの前に置いてある。浴衣は紙袋の中だ。
鶴丸はまず、昨日加州が買ってくれた本を開いた。これは審神者向けの書物で全刀剣の着付けが載っている。この先、この本丸でも使うから借り物だ。
鶴丸が『鶴丸国永』の頁をめくっていると、三日月が興味ありげに覗き込んできた。寝起きで髪が少し跳ねている。鶴丸は微笑んで三日月の頭に手を置いた。
手を滑らせると滑らかで指通りが良かった。癖があっと言う間に直って驚いた。
「寝癖があるな。櫛があればよかったんだが……お、直った」
しばらく触っていると三日月は少々くすぐったそうに自分の頭を押さえた。
鶴丸は構わず、もう少し整えて、よし、と呟く。
「綺麗な髪だな」
一際伸びた、横の髪を手に取って、揃った毛先を調べた。
じっと見ていたら、三日月の、どこか女性めいた容貌も相まって落ち着かない気持ちになってきた――三日月は心持ち嬉しそうに微笑している。抱きしめたい衝動に駆られたので、鶴丸は手を下ろした。
「?」
三日月が不思議そうにする。
(またか、これは)
三日月が笑うと、稀に、とくん、と心臓がおかしな動きをする。
鶴丸は自分の襟に触れて誤魔化した。
「そういうおぬしも酷いぞ」
三日月が仕返しのように手を伸ばして、優しい手で撫で付けてくる。
「これは元からじゃないか?」
鶴丸は自分の髪を撫で付けた。横の毛束を取ってみる。癖っ毛で、三日月とは髪質が違う。
三日月の手袋を外した指が意外に長くて、細くて驚いた。見慣れていたと思ったがそうでもなかったらしい。初めの籠手の印象が強かったのかもしれない。弱々しい感じはしない。強く繊細に作られていて感動した。三日月の指は軽く握られて、今は三日月の膝の上にある。
「君はどこもかしこも綺麗だな」
鶴丸は腕を組んでうんうんと何度も深く頷いた。
それ以上考えるのをやめて、本を見る。
「――さ、着替えよう、君も着替えろ」
「そうだな」
お互い背を向け、着替えに取りかかった。
本を見ながら着付けをしたら、以外に簡単に着ることができた。
帯も結んだし、脚絆も巻くことができたから後は羽織だけだ。
装備の付け方など、勘でやっていた所もあったので間違っていないか改めて確認した。
鎖の本数を確認していると、ふと、この鎖を老婆に渡した事を思い出す。あれから手入れして、元に戻っていた。服は傷ついても手入れで直る物らしい。
着用図と違いが無いか見て、手袋、首飾りを忘れていた事と、下緒の事を思い出した。鶴丸は走る際、ずっと手に鞘を持っていた。それはいいのだが、そのうち腰に太刀を下げたくなるかもしれない、と思って、加州に頼んだら丁度良い鎖を見つけてくれた。
帯にどう付けた物かと思って、腰回りの絵を見ていると『馬に乗る場合、太刀の鞘の金具が取り替えられる。受け手の金具は鎧の中に入っている』と小さく書かれているのを見つけた。
「あっ、ここが開くのか!」
鶴丸は驚いて、左側の鎧、一番上の金の部分を開けてみた。すると取り付け金具が出て来る。蓋を閉じると金具だけが露出する。※鎖は別売、と極小さく書かれていて、おいおいと思った。幸い鎖はある。鎧の金具に短い鎖を取り付けて、太刀を下げる。鶴丸は図を見てあれと思った。反対側も同じように開いて金具がある。これは何かと思ったら、刀装用装備用の金具と書いてあって、※刀装袋は別売、と書かれている。付属品は付けておいてほしいと思った。
そういえば白い小袖の内側に布が貼ってあった。これは何かと凝視したら、御守りを入れる場所(御守り※別売)と書かれていた。
「また別売か!」
鶴丸は声を上げた。
親切なのか不親切なのか分からないが、戦装束は驚きには満ちていた。
後は不格好な手袋をはめて、短い鎖を首に引っかけ、喉元のあたりで結ぶ。
首を動かして、羽織を羽織って完成だ。
他にも、厠の時はこうすると良いとか、丁寧に書かれていた。やりやすい方法を覚えて、一度解いて結び直してみた。手を退けていたら違う頁が開いてしまって、そこを見ると洋装の用の足しかたが書かれていた。ファスナーという物があってそれを下げるらしい。便利そうだが慣れるのは大変そうだ。着物は楽でいい。どうやら鶴丸の意匠は着やすい方らしい。前の頁に戻り、三日月宗近の戦装束を見たら目眩がした。帯紐が幾つもあり、結び方が凝っている。絵に番号が振ってあるが出来る気がしない。
「ふう、やっと終わったな……。三日月ー」
着替中の三日月に声をかけた。
三日月は新しく購入した濃紺の着物と、織り模様の入った黒い帯を身につけていた。
ほぼ着付けを終えていて、今は、帯を前に回して結んでいるのだが――やや苦戦しているようだ。
「三日月、帯やってもいいか?」
鶴丸は本を開いて『一般的な結び方』の頁を見ながら貝の口を試した。意外に腰が細い。結んだら後ろに回す、というのが分からなかったが、それは三日月が知っていた。
鶴丸は三日月宗近の頁を見せた。
「三日月、この帯の結びは自分で出来たのかい」
「ああ、これはできる。何度も練習させられた」
「へえ、凄いな」
「主は厳しくてな。一人でできるまで出陣できなかったから、必死に覚えた」
三日月が苦笑した。
三日月が羽織を取り出そうとしたら、青色の作務衣が出てきた。
三日月は作務衣を畳に置き、羽織を引っ張り出す。
羽織は着物より少し明るい蒼で、どちらとも言えぬ真ん中の色合いだ。三日月には大差無いように思えるが加州はとてもこだわった。
鶴丸は退けられた作務衣を手に取った。
「きみがこの作務衣を着る機会は無いんじゃないか?」
鶴丸は畳んで紙袋にしまった。
「そうだな……では行くとするか。腹が減ったな」
三日月が羽織を纏い、二振は朝食へ向かった。
◇◆◇
朝食後、鶴丸は初めて刀装作りを経験した。
資材を使いすぎてはいけないので六回までと決めて、配合を決めて式神に資材を渡す。結果、軽騎兵の特上が一つ、上が四つ、並が二つできた。
三日月が少し身をかがめて、出来上がった刀装を眺めた。
「ふむ。まあまあの出来だな」
加州が鶴丸の作った刀装を手に取った。
「うん、まあこんな物かな。炭もできなかったし、種類がばらけてないから器用かも」
丸い玉を見て鶴丸は首を傾げた。
「こいつはどう使うんだ?」
「実際に使ってみれば分かるんだけど、投石兵とか弓兵、重兵じゃないと着けてる実感は湧かないかも。持ってればいいよ」
加州曰く、刀装は懐なり袖なりに仕込んでおけば勝手に盾になるという。これは軽騎兵だから足も速くなる、と言われたが良く分からなかった。
「分かった。三日月、半分ずつでいいか。この金色のは、きみが持て」
鶴丸は金一つ、上二つを三日月に渡した。
「特上は俺より、おぬしが持って居た方が良いのではないか?」
三日月は受け取ってからそう言った。
「それはそうだが、並ってのはすぐ壊れるらしいし、初めはこれでいいんじゃないか?」
鶴丸はそう言ったが、三日月は何か考えている。三日月は「やはり、これはおぬしが持て」と言って鶴丸に特上を渡してきた。
「そうか?」
鶴丸は大人しく受け取った。
「そうだ――鍛刀はどうする? ついでにやってみる?」
加州が言った。
刀装部屋と鍛刀部屋は隣接していて、今は間の扉は開け放たれている。加州が敷居の上に移動して鍛刀の式神を指さしたが、三日月は首を振った。
「いや、やめておこう。できた刀を連結するのも申し訳無い。加州にやり方だけ見せて貰いたい」
「そう? じゃあ手本見せるから」
加州は言って、式神に札を渡して、一番少ない配合で試した。鍛刀部屋には時計があって、資材を火にくべると時間が表示される。二十分、と表示された。
「こんな感じ。簡単でしょ。同じ刀剣だったら連結に回して、新しい刀剣だったら主に渡して顕現してもらう。主が一緒にいれば早いんだけど。これは手伝い札」
加州は鶴丸に手伝い札の使い方を教えた。札には霊力が込められていて、鍛刀や手入れが楽になる。
「へえ、不思議なもんだなぁ」
鶴丸は式神が刀を打ち出す様子を見ていた。加州が説明する。
「式神が太刀とか短刀の依り代を作って、そこに付喪神を降ろすだけなんだって。この量だと短刀しかできないから、短刀を作ってる。あと十六分か。札使おうかな。はいっと」
――加州が札を使うと、刀が光に包まれて、刀が出来上がる。
「これで完成」
「……もうできたのか? 早いな!」
鶴丸が驚いている。式神はいい仕事をしたという顔をしている。
「ご苦労だったな。おお、これは今剣ではないか」
出来上がった短刀を見て、三日月は微笑んだ。
「いまのつるぎ?」
鶴丸が復唱した。
「俺と同じ三条の刀だ」
「新しい刀だね。じゃあ主の所に持って行こう」
ちょうどその時、審神者が顔を出した。
「加州、ちょっといいか――どんな感じだ?」
「主、新しい刀が来たみたい。今剣だって」
「へえ! 後で起こそう。ちょっといいか」
審神者が加州を手招いた。加州は刀を置いたまま部屋の外に出た。
鶴丸は三日月と今剣を眺めていた。三日月が少し目を細めた。
「……今剣か、懐かしい」
三日月が呟いた。
「前の本丸にもいたのか」
「ああ、いたのだが……折れてしまった」
三日月が言った。
「え?」
「――三日月さん、ちょっと良い?」
加州と審神者が鍛刀部屋まで入ってくる。審神者はこんのすけを連れていた。
鍛刀部屋は四人と一匹が入ると少し狭い。審神者は三日月に端末を見せた。
「三日月様、今朝、端末にこんなメールが入っていたですが」
「めーる?」
三日月と鶴丸が端末をのぞくと、端末に文書が入っていた。
『昼過ぎに、貴殿の本丸を訪ねたい。許可を願う 山姥切国広』
それだけ書かれている。
こんのすけが首を傾げた。
「これは一体何でしょう? 不正アクセスではありませんが、審神者様には心当たりが無いそうです」
「ああ。これは――すまん、俺の知り合いだ」
三日月が言った。
「そうでしたか、三日月様、それは良いのですが、この本丸の番号を教えたのですか?」
審神者が心配そうに聞いてきた。
「いや、山姥切は端末の操作に明るくてな。俺がここにいると、どこかから情報を得たのだろう。審神者殿には迷惑を掛けてしまったな。怪しいが、怪しい男では無いから安心してくれ。しかし、さて、何の用だろう?」
三日月が首を傾げた。
――そして昼過ぎ。
門の内側に刀剣男士が転送されてきた。
正門が開き、桜の花びらが舞った。
審神者、こんのすけ、加州、堀川、歌仙、昼前に顕現したばかりの今剣、三日月、鶴丸が出迎えた。堀川は同じ刀派の刀と聞いて出迎えに参加した。
「――」
転送されてきたのは、白い布をかぶった金髪の刀剣だ。布が舞い上がり、それを左手で押さえる。
山姥切国広は、はっとするような美しい容貌の青年だ。
鶴丸は三日月の後ろで「変わったのが来たな」と呟いた。
山姥切は右手に二つ紙袋を提げていた。
すぐに三日月が近寄って、空いている左手を取った。
「山姥切、良く来たな。どうしたのだ?」
「……突然、すまない。あんたの事が心配で……」
山姥切の言葉に、三日月が目を見張った。
山姥切は審神者を見て少し頭を下げた。
「まずその審神者に謝らせてくれ。突然の訪問、失礼する。俺は三日月に用があってここに来た。メールもいきなりで悪かったが、それが早いと思ったんだ。焦っていて……本当に悪かった」
山姥切は更に頭を下げた。
山姥切の殊勝な様子を見て、害は無いと判断したのだろう。審神者が前に進み出た。
「――ようこそ、山姥切国広。君の用件は何だ?」
「ここでは言えないが、三日月に大事な用があって来た。少し、三日月と二振で話がしたい。不審に思うなら貴殿が同席してくれ」
「そうか……それなら離れを使うと良い、ゆっくりしていってくれ」
審神者が言った。あえて同席する気は無いらしい。
「俺はここでも構わんが……話とは?」
三日月が尋ねた。
「まず……あっ、充電器と付属品を渡し忘れていた」
山姥切が紙袋の中身を確認して差し出した。
「おお。わざわざすまんな。買おうと思っていた所だ」
「すまない。そうだと思ったが渡したくて……こっちは菓子折だ。み、皆で食べてくれ……」
山姥切はもう一つの紙袋から箱を取り出して、そわそわと落ち着かない様子で辺りを見回した。先程から顔が赤い。三日月が山姥切から菓子折を受け取って、加州に渡した。
「ただの饅頭ですまない。口にあうといいんだが、足りるはずだ、あっ、これは、袋だ」
山姥切は腰が引けた様子で、手を伸ばして加州に袋を渡した。
「あっどうも……」
加州は袋も受け取った。
「話は、ここでは」
山姥切が言った。三日月は微笑んだ。
「では、離れに行こう。折角だ、鶴丸と、こちらの本丸から誰か……審神者殿も同席しても良いだろうか」
「構わない」
山姥切が頷いた。
◇◆◇
二
(山姥切が、まさか会いに来てくれるとは……)
三日月は信じられなかった。山姥切はあまり出歩く達では無い。
山姥切国広――彼に最後に会ったのはつい昨日、街に行った時だから、昨日の今日でずいぶん急だ。
山姥切が『あんたの事が心配で』と言っていたのは、端末を貰う時に事情を話して、その場で少し泣いてしまったからだろう。今思うと恥ずかしい。
三日月と山姥切は時折メールや通話でやりとりする仲だった。三日月が審神者の修練を積んでいる間、頻繁にでは無いが、たわいも無い話に付き合ってくれた。大切な友人である。
――三日月、鶴丸、山姥切、審神者と、本丸代表として堀川が離れに移動した。
加州で無いのは加州自身が遠慮した為で、加州は山姥切と同じ刀派だからと堀川を指名した。加州は差し支えなければ後で茶を煎れていくと言って、山姥切はこれを了承した。
初め座布団は二枚しか無かったのだが、堀川が廊下の突き当たりの扉を開けて持って来た。
廊下分しかない扉の奥にも廊下が続いていた。奥にもう一部屋あったらしい。三日月は今初めて知った。
三日月は床の間を背にする上座を審神者と堀川に勧めた。
三日月と鶴丸は入って左手側に座布団を並べ座った。山姥切は入って右手側、三日月に向き合う位置に座ってもらった。
山姥切が審神者に向き直って頭を下げた。
「俺は本丸番号、三九八〇七、武蔵国の山姥切国広だ。急な訪問ですまない。三日月に話があるが、貴殿に聞かれても問題ない。ただしこの本丸内に留めて欲しい」
審神者が頷くと山姥切はすぐ本題に入った。
「三日月、俺は昨日お前と別れてから、主と相談した。俺はお前に力を貸そうと思う。主もそれを認めてくれた。焦りすぎて、メールを本丸宛てにしてしまった、恥ずかしい。自分の端末に送れば良かったんだ」
山姥切が顔を布で隠した。
「――なんと?」
『お前に力を貸す』と言う山姥切の提案に、三日月は心底驚いた。
「俺の主は高齢だ。そろそろ、余生を現世で過ごしたいと言っていたから、丁度良い。主の仕事をやりながら、だが、できる限り融通する」
「……それは」
三日月は驚きすぎて言葉に詰まった。
確かに山姥切の主は八十五歳と高齢だ。
今から一年程前――山姥切と通話した際に山姥切は身の振り方を考えたいと言っていた。刀解か、政府に所属するか、他の本丸へ行くか。
三日月は『他の本丸へ行くなら、俺の主の元へ来るのはどうだ?』と言ったが、三日月の主は霊力の問題がある。
その後三日月は『俺がまともな審神者ならお主を引き抜くのだが……』と言って、山姥切と笑いあった記憶がある。
その時三日月は自分の本丸にいた。おぼろげに野心を抱き始めた頃で彼の力を借りたいと思っていたが、巻き込みたくなかったし、純粋な友人でありたかったので、そこで話を終わらせた。それから三日月は連絡を取ることもままならなくなった。
……山姥切がそこまで三日月の事を考えてくれているとは思っていなかった。
三日月にとって山姥切は大切な存在だが、山姥切からしても三日月は大切だったのだ。
――胸が熱い。涙がこぼれそうになった。
山姥切は優秀で、彼の力を借りられるなら千人力だ。
しかし、三日月は迷った。
「……駄目だ、おぬしが居れば心強いが……そもそも、おぬしは……」
山姥切が頷いて、鶴丸や審神者、堀川を見た。
「俺の主は、元は政府の技術者で、後から適性が認められて審神者となった。その後はサーバーの管理を担当していて、現役を退いた後は、後続の育成に力を入れていた。主の本丸の刀剣は、初期刀の俺しかいない。つまりこれは、政府への裏切りだ」
裏切り、という言葉に皆がはっとした。
山姥切は三日月を真正面から見つめた。
「……とは言っても、俺は守りに徹して、決して攻撃はしない。今の政府のセキュリティは、俺の手にも負えるとは言いがたい。俺に出来るのはせいぜい目くらましと隠匿だ。後は他の本丸の情報を引き出すことくらいか。政府相手は厳しいが、本丸のネットワークに入るのは簡単だ。主もそれは言っていた。俺がその気になれば、三日月一振、鶴丸一振隠す事は容易いと……俺はあんたに協力したい」
山姥切の真剣さが、彼の目、声や仕草から伝わってくる。
「なぜそこまで?」
未だ分からず、三日月は尋ねた。
下手をすれば山姥切の主の名誉が汚される。高齢だ引退したと言っても、見つかれば咎められる。危険を冒して自分に協力しても、何も良い事は無い。
「……俺と主は、あんた以上に政府のやり方を知っている。あんたが置かれていた状況をよく知っていて、その上で決めた。政府に非があるわけじゃない。ただ、俺は……」
山姥切が俯いた。山姥切の肩は震え、拳は硬く握られている。
「どうしてもっと早く、あんたを助けなかったんだろう。そう思って後悔した。あんたが鶴丸を好きだって事は分かっていたのに。歴史を、過去を……変えたいと思ったのは初めてだ」
◇◆◇
山姥切の話を鶴丸は驚きながら大人しく聞いていた。
「山姥切……おぬしは……っ」
ふいに三日月が立ち上がって、山姥切の側に膝を付いた。
二振は手を握り合って、三日月が山姥切を強く抱きしめた。
三日月が山姥切の胸にすがって、頭を預けると、山姥切が三日月の背や頭を撫でた。
「主亡き後は……俺はあんたと、一緒に居たい」
「そうだな、そうしよう。長旅だが、飽きるまで居てくれ、ほんに……おぬしは……、……ありがとう」
三日月は涙声だ。
「気にするな、その、俺の都合でもある」
「また、そんなことを言う。感謝するぞ……!」
三日月が微笑んだ。そしてまた、二振は固く手を握った。
鶴丸はその様子を眺めた。
三日月にこれほど親しい友人が居た事に驚いたが……ほっとした。
男同士の友情に言いたい事も無いので黙っていた。少し居心地が悪くなり、視線を移すと、審神者の横にいた堀川と目が合った。堀川はつられて感動しつつ、若干戸惑っている様だ。ちょうど外から声がして、障子に影が差す。
加州だ。
「失礼します。主、お菓子を持ってきました。入ってもよろしいですか」
彼にしては丁寧な口調で言った。
「ああ、入って」
その時には抱擁も終わっていたので審神者が言った。
障子が開き加州が入ってくる。
「お話中失礼します。お茶をどうぞ。机は無い……ので床、いや畳に失礼します。山姥切さんから頂いたお饅頭です」
加州は畳に盆を置いて、指を揃え、丁寧に頭を下げた。三日月は山姥切の隣、入り口側に退いた。
加州は、三日月、山姥切、鶴丸、審神者、堀川の順にそつなく茶と茶菓子を並べて行った。
饅頭は半分に切ってあって、竹楊枝が添えてある。
その後で「三日月さんはお茶、コッチで良かったです?」と尋ねた。山姥切と並んで座っているので戸惑ったのだろう。
「そうだな」
そう言って三日月が鶴丸を見たので、鶴丸は頷いた。
「ここでよい。加州もそちらに座るか」
三日月は鶴丸の左横、堀川の斜右、三日月の座っていた座布団を指さした。
「え、いや、俺は……どうしようか」
加州が周囲を見た。
「三日月、戻って来たらどうだい?」
鶴丸は苦笑した。
三日月は、ではそうするか、と言って茶菓子を置いて鶴丸の隣に戻って来た。盆の上には茶と茶菓子がまだ二組あるので、あと一つは分からないが、加州も話に加わる予定だったのだろう。三日月が戻り、加州が三日月に新しく盆の上の茶と菓子を出す。
空いているのは山姥切の隣なので、加州はそこに「ここ……隣いい?」と言って座った。
山姥切はぎょっとして後、布で顔を半分隠して頷いて、深く俯いてしまった。茶菓子を見ているようだ。
「切ってみたけど、余計だったかな」
加州が苦笑している。
「――あ、とりあえず、頂きましょう、楽にして下さい」
審神者の音頭で皆が手を伸ばした。しばらく和気藹々と会話する。三日月がこれは食べやすいと褒めて、加州がはにかんだ。山姥切は固まっていたが、三日月に促されて饅頭を口にした。
一息ついた後、審神者が首を傾げた。
「加州、あと一つは? 誰か来るのか?」
「こんのすけの分です。主が良ければ来るって言ってました。今剣は秋田と居ます」
「ああそうか。もう少し後で呼ぼう」
審神者が言った。皆の気が休まった頃、審神者が加州を見た。
「今日、堀川に同席して貰ったのは、実は理由がありまして」
審神者が切り出した。同席が堀川になったのは、山姥切と兄弟だし、加州が遠慮したからなのだが……審神者は堀川を見た。
堀川は少し審神者を見た後、深く頷いた。
――頷き返して、審神者が話し始めた。
「堀川は早く、三番目に来てくれて、加州と一緒に色々手伝ってくれています。加州と話していたんですが、堀川の意見も、まあ、他の刀剣もですが。三日月様方と直に会って頂きたいと思っていて……堀川、昨日の話、どう思う?」
堀川はそうですね、と考える仕草をした。
「僕は、主が決めたなら良いと思います。僕自身の考えは……難しいけど、悪くは無い……そんな感じです」
「分かった。迷うのは当然だ。加州はどう思う? あ、こちらの山姥切さんは、三日月さんのご友人だそうで、えっと、色々なさってるそうだ」
「いろいろ?」
加州が山姥切を見た。
審神者は山姥切に、加州に話しても良いかと尋ね、山姥切は首を傾げながら了承した。
山姥切の身上については、三日月と審神者が助けながら説明した――と言うのも――山姥切は、会話の必要性で、時折加州を見ようとするのだが、すぐ目をそらして口ごもる。
……鶴丸は『こいつ加州に惚れでもしたか?』と思った。
山姥切が真っ赤になって目を回しているので、加州は首を傾げている。
「山姥切は少し人見知りでな」
三日月がそう評した。
『人見知り』というのは確か慣れない人間相手だと、会話に困るとかそういう意味合いだったと思うが、物怖じと無縁の鶴丸にはさっぱり意味が分からない。話せば聞こえるのだから話せば良いと思のだが。
それとも山姥切は元々こういう性質で、今までは必死だったから普通に話せたのかもしれない。
(……なんで惚れたんだ? 気のせいか?)
鶴丸は首を傾げた。顕現したばかりで、まだ恋愛というのはよく分からない。
惚れたとすれば唐突だが、これはそれに違い無い、という気がする。
――鶴丸は自分の勘が当たっているのか、後で三日月に聞こうと思った。
山姥切を見ていた堀川が、若干苦笑しながら口を開いた。
「……主さん、そうだ、この離れを使って頂いたらどうでしょう? 山姥切さんに。奥の部屋が空いてますよね」
「そうだな」
審神者の声が弾んでいる。
――鶴丸と三日月は審神者を見た。
「実は、ずっと考えていたんです。この本丸はまだ始まって間もない。だからかえって都合がいいのではないかと。旅をするにしても、いざという時の駆け込み寺は必要だと思います。資材についても、持ち歩くわけにはいかないでしょうし。山姥切さんが居て下さるなら心強い。私も決めました。貴方達を支援――いえ、まだおこがましいですが――貴方方の目的に協力したいと思います」
意外な申し出に、鶴丸は驚いた。審神者はやけに好意的だと思って居たが、そんな事を考えていたらしい。
三日月が思案した。
「よく、考えてのことか?」
三日月は、内心、協力してほしいと思っていたのだろう。
だがこうして切り出されるとは、思って居なかったはずだ。
三日月が審神者を見やった。
厳しい視線に、審神者が少したじろぐ。
三日月は続けた。
「政府と、こんのすけにも秘密を持つ事になる。その覚悟はあるのか? ばれたら解任だし、当然罪に問われる」
すると審神者が背筋を但し、口を開いた。
「いいえ。構いません。私は審神者になってからずっと、いえ、なる前から、考えていました。昔と違って今は審神者も増えました。私の祖父は審神者をやっていて、引退して、死んで。祖父の死後、祖父の刀剣は政府に所属する話も出ましたが彼等はそれを選ばず、祖父の遺言に従って、還りました。私は、その様子を見ていました。そして、この場所に新しい本丸を作りました。その時思ったのです。私は一生審神者になる、祖父と同じ道を行く、だがそれでいいのだろうかと……、祖父が選んだ道も正しいと思います。刀剣が二つ主を持つ事は稀ですし、祖父は私に、自らの選んだ刀と新しい道を行けと言いました。ですが私は、私の一存で、一代で、鍛えた男士がいなくなる。その事に迷いがありました。祖父と同じ道ようなを歩んで良い物かと……」
審神者の言葉に加州と、堀川が驚いている。
「つまり、もやもやしていたんです。若造が何を、と思うかもしれないですが……私はどのような審神者になるか悩んでいました。本丸は沢山ある。戦いは終わらない。私は、審神者としての生き方を刀剣達と探そうと思っていましたが……貴方がたと出会って、審神者でいる理由ができました。私は私の死後、私の刀剣達を、この本丸ごと貴方に差し上げたい。そのつもりで育てようと、厚かましくも、思っております……すみません、一人で盛り上がっていますね」
審神者が頭を下げた後、顔を上げた。
布で表情は見えないが、自分に呆れている様子だった。
三日月は苦笑した後、頷いた。
「そうだなぁ……おぬしの気持ちは有り難いが、人の心は分からん物だ。永く生きれば事情も変わろう。祖父君はそうしなかったようだが、子や孫に継がせてもよいし……おぬしは妻を娶らぬのか?」
「いえそれが……事情があり、相手がいないのです。出会いを否定はしませんが、刀剣達を家族にしたいと思っています」
「え……主、結婚しないの?」
加州が口を挟んだ。この審神者はまだ若い。何か事情があっても望めば見つかるかもしれない。ところが審神者は首を振る。
審神者がうつむいた。
「どうかなぁ。もし結婚したとしても、子供には新しい本丸をあげたいんだ。そうなると、お前達の事が心配で」
「……主……」
加州が涙ぐんでいる。
鶴丸も他人事なのに涙腺に来た。
三日月も、表情こそあまり変化が無いがそうらしい。
三日月は再び思案して、ようやく頷いた。
「……あいわかった。そこまで言うのなら。もし、お主が審神者を退く時、おぬしの気が変わっていなかったら、俺が後を引き受けよう。だがくれぐれも焦らぬように。時間はある――そうだ、俺も今は審神者ゆえ、三日月と呼んでくれ。俺は、できればよき友として、おぬしと歩みたい。おぬし、名は何と申す? それとも名乗りは差し支えがあるか……?」
審神者が弾かれたように顔を上げた。
「あっいいえ! いいえ。じゃあ、私は三日月さんと呼びます……そのうち三日月になるかも……あらないかな。俺の事は、秋津(あきつ)と呼んで下さい! 名字です。実はずっと、友達になりたいと思ってました。酒の好みが合いますよねぇ」
審神者が笑った。
「あっはっは、そうだなぁ、また飲もう、秋津殿、秋津、か。呼び捨ては慣れんな」
三日月も笑い、三日月と審神者『秋津』は親しげに話し始めた。