エヴァのラストで撃沈した各CPニキネキのために頑張って書いた
ラストがシンジとマリエンドなのは、エヴァという公式を破壊するために公式で一番有り得ない二人のエンドだからだと思うよ。
※
こちらの元ツイートは削除しました。
読んで頂きありがとうございます!
べったーの方に修正したのでお手数ですがそちらでお願いします
https://twitter.com/le_m0ment/status/1370541943839629312?s=21
※元記事も読みたいよ!という方はどうぞ↓
べったーに修正したのでツッコミはしないでおいてね。
そもそもマリは公式で同性愛者だし、シンジは公式でカヲルが同性愛的対象だと明言されてるからこそこの2人が採用されたんだろうなと思ってます
おう、初っ端からシンジくんの相手にレイとアスカが抜けてるじゃねーかこのカヲシン女とかいやマリだって有り得るじゃんかと思われそうですが あのラストでカヲルともレイともアスカともマリとも他の誰とも有り得るし、エヴァを破壊したい且つ蔑ろにしたくないという公式の願いもこれで可能になるんだと気づいたので書きます。
あとわたしはカヲシン女というより渚カヲルの祖母です。
以下長くてごめんね。
マリは「エヴァの物語を破壊するキャラ」として破から明言されていたのでまずそこを基本に
・漫画版でわざわざ同性愛者として描かれる
・漫画版でわざわざシンジの母のユイを愛していたと描かれる
・漫画版で更に、わざわざ、ユイの意志を継ぐような印象も仄めかす
・シンで、ラストの流れに持っていくために「何か」を集めていたとわかる
・シンで、その「何か」を冬月が用意していたらしく、それをマリに託すと、「これでいいんだな、ユイくん」と呟く
・シンで、シンジが己も最期を覚悟するとユイが現れ、シンジを世界の方へ押し出し、シンジは「母さん、この時のために」と呟き、そこへ現れたマリが「間に合った!」と叫ぶ
この流れをみると、どう考えてもマリは終始ユイのために、ユイの意志を引き継ぐために行動していたとしか思えないんですよね
更に
・シンで、今までにない真剣で苦悶の表情で「姫を、アスカを助けてくれ」とシンジに頼む
・シンで、アスカが補完される際にもわざわざ顔を出してくる
ユイの意志を引き継ぎ果たすことはマリにとってのユイへの愛であると同時に「落とし前」であり、そして今は、いつも他者にふざけた態度で接する一方で、かつての女でしかもこんなに愛しているのに自分を選んでもくれなかったユイにここまで尽くせるほどの人間が、こんなに真剣な顔で一人の女の命運を頼み込むなら、どれだけアスカに深い愛情を持っていることか。
このマリというキャラクターの、"ユイとアスカへの想い"を、公式は我々に"わざわざ""大々的に"お出ししてるわけです。
そしてシンジですが
・TVアニメ版、旧劇で、わざわざ、カヲルのことを「好きだったんだ」と話し、公式の資料でも同性愛的恋愛対象だったと書かれている
・新劇場版Qで、わざわざ、映画まるまる一本使ってカヲルとの絆を描いている
・シンで、アスカが裸で歩き回ったり、好意を口にする、マリが胸を押し付けることには反応せず、そのサービスに遭遇した直後に想像上のカヲルを出現させ、ヴンダー内で初めて笑顔を取り戻し、己も最終決戦を決意する
・シンで、己とカヲルが何度も出会っていることを思い出す(それも24話のあの岸辺で)
あとカヲルだけだと後々お話することに矛盾が出るのでこれも明記しときます。
・一方でシリーズを通じてレイを命をかけて守ろうとしたり、アスカのことは「好きだったんだと思う」と答える
シンでついにアスカもシンジも、かつてはお互いに好きだったことを告げました。
レイへ対する明確な恋愛感情は示されていませんが(やはり母親のクローンのようなものなので、かな…)、非常に大切な存在であることは序・破でわかります。
そしてカヲルとの日々に映画まるまる一本使う時点で、"シンジにとってどれだけカヲルが大きく深い存在か"を、これも公式は我々に"わざわざ""大々的に"お出ししてるわけです。
レイに憧れ、アスカに恋をし、そして今、カヲルに深い愛を抱いている、それがシンでのシンジなんです。
これを前提に少し話を戻すと、私はシンでのシンジはサクラと結ばれるのかなと思ってた口でした。レイ、アスカ、カヲルの何れかと結ばれると、「物語を破壊する」という意味では結局「この4人の関係だけで終わる」になってしまうので、別の人間からのアプローチが必要とは思ってました。そしたら、サクラ辺りが適当かな、トウジの妹、TVアニメ版や旧劇では救えなかった存在を今度こそ救い、結ばれていく、物語の構造としてはきれいです。
けど今に至って、サクラを選ぼうと結局はレイ達と同じ問題が浮上することに気づきました。
・サクラも旧劇から続く人物である
・サクラ、レイ、アスカ、カヲルの何れかと結ばれると、結ばれなかった者との"可能性"が閉じる
・ハッキリ言って、"終盤都合よくいきなりしゃしゃり出てきたヒロイン"に看做されてしまう
旧劇から続くから破壊にはならないどころか、キャラの何れかと結ばれる、例えば最後のエヴァではシンジがレイと結ばれて幸せになりました、というと アスカとの恋愛は公式的にはナシです!カヲルとの恋愛も公式的には以下略!サクラとの恋愛も以下略!になってしまう。他の可能性を閉じるということは、"ひとつの形に作ってしまう"ということ。それは"破壊"とは真逆のアプローチです。
公式は、エヴァを破壊して、シンジ達をそこから解放してあげたかった。シンジ達の可能性を閉じたくなかったのです。
その上、いきなり出てきたサクラにシンジをとられたら、ずっと命をかけてシンジを愛してきたレイ、アスカ、カヲルの立場がありません。もちろんそれで愛が実るのが正解ならユイに選んでもらえなかったマリの立場もありませんが、これまでのレイ、アスカ、カヲルの功績なら公式が敬意を表してもおかしくありません。サクラにとってもそんな評価は願い下げでしょう。
それならいっそ、誰かと一緒にいるのを匂わすエンドになんてしなけりゃよかったじゃん。
そうも思いました。
実際、漫画版では同じくエヴァのない新しい世界が構築され、そこでシンジはアスカやケンスケと軽く再会はしますが、基本的に一人で、自分の未来へと踏み出します。
また、先述のとおりそもそもシンジはカヲルどころかレイともアスカともフラグを立てているので、いっそ誰も隣に置かないほうが可能性が広まるものです。
ただ
・漫画版は生きることそのものに自主性のなかったシンジが、今までそう思ってたけどいろいろ自分でやってみよう、と変化し、シンジ一人の成長にフォーカスを当てている傾向
・一方で新劇場版では、シンジの成長と共に、そこに「一人じゃないよ」と口ずさむマリや「二人ってすごいね」と口にするカヲルを繰り返し登場させるなど、誰かといることの素晴らしさにフォーカスを当てている
・シンはこれまでのエヴァという物語全ての総括であり、それらをなかったことにすべきでない
だから新劇場版のテーマとして、シンジの隣に誰かが居なくてはならなかった。
エヴァを破壊はするけど、なかったことにはしたくない。それまでの過程があるからこそ、シンのラストのシンジがある。だから全てゼロにするのではなく、シンジと同様に記憶を持つ誰かを添わせたかったのだと思います。
けれど先述のとおり、エヴァという物語を破壊するには、それが他の旧劇から続くキャラでは絶対にダメだった。
だからマリが登場し、シンジの隣にマリが宛てがわれた。
いや、マリをそこに置いても結局は一人に固定することには変わりないわけだし、他の可能性を潰すことになるじゃん!?!!!
レイ達さしおいて新劇場版からしゃしゃり出てきたヒロインになるじゃん!?!!
そうも思いました。
でも逆です。ここにシンジとマリを置くことで、エヴァという物語を破壊し、且つ他の可能性をも無限に有り得るものにして、シンジ達を解放できるんです。
最初に言った、
・マリは同性愛者で、ユイのために動き、アスカを守るために戦った
・シンジが現在深く惹かれているのは同性であるカヲル
つまり、同性を愛するシンジとマリが男と女として惹かれあうことは 現時点ではその材料が全くないのです。
そのシンジとマリが手を取り合うエンド。
これは"公式では一番ありえないエンド"なのです。
エヴァの物語を破壊したい。
でもエヴァのテーマとして、他者と共に生きる姿を描きたい。
かといって特定のキャラとのエンドを描くとそれは可能性を固定してしまい、破壊にならない。
なら新しいキャラとのエンドにすればいいが、レイ、アスカ、カヲル達旧劇から続くキャラ達の立場がない。
この矛盾を瓦解するにはどうしたらいいか。
シンジの隣に誰かを置く。
そのためには新しいキャラが必要。
けどそれは公式的には絶対にありえない存在がいい。
レイ達既存のキャラ達への敬意も立つ。
その最適解がマリなわけです。
そのラストになっても"わざわざ"マリが同性愛者でユイにとんでもないほどの深い愛を抱いていることを執拗に描いてくれたおかげで"マリはシンジに決して靡かないキャラ"と思わせてくれる。
そして"わざわざ"まるまる映画一本使ってシンジとカヲルの深い関係を描いてくれたおかげで"シンジが現在深く惹かれているのは同性のカヲルの可能性が高い"と思わせてくれる。
二人はそんな同士なわけです。
これ、シンジがまだ"レイもしくはアスカ、またはそれ以外の女性一人を深く愛している"だったら、マリを愛する可能性が出てきてしまい、アスカとレイの両方はもちろん、"アスカとレイのいずれかは絶対に選ばれない"可能性が固定されてしまうわけです。
ここでカヲルとの関係が生きてきます。
敢えてカヲルとの深い関係を強調するのは、"今はカヲルに惹かれている→マリには絶対に靡かない→以前惹かれていたレイやアスカにもワンチャンある"の図式になるわけです。
ちなみにラストにカヲルとレイが二人でいることからも、別にカヲルだけの可能性だってないぞ、とも後押ししてくれてるわけです。
また相手がレイというのもナイスな演出です。これがアスカや他の女性なら、カヲルとシンジの可能性は今後ない、アスカならあり、と固定しかねませんが、カヲルとレイはエヴァの物語において対立するしかない同士でした。それが今はこうして仲良く話せてますよ、つまりエヴァから解放されたんですよ、と思わせる。この2人はまずこの過程が大事なんです。
そこから先は恋愛関係だろうと友人関係だろうと自由で、この2人を置くことで更に無限に可能性が広がるのです。
ちなみに無限に可能性広がったなら、そもそも手を取り合ってるマリとだってありえます。
ない、と言いつつ、あり、と言える。
すごいですね。
シンジとマリのエンドを出すことで「この二人エンドの可能性はありえません」と表現する。
ありえない二人を出すことで「エヴァの物語を破壊」する。
一方で他者と添わせてはいるから「エヴァのこれまでの在り方自体は残していける。」
またシンジとカヲルの可能性を匂わすことで「マリとはありえないから他のキャラとのエンドの可能性はある」と表現する。
ついでにカヲルとレイのエンドを出すことで
「カヲルだって他の可能性がある」と表現する。
一方で相手がレイであることから「エヴァから解放されたという表現に過ぎない」とも読める。
「ある」と定義することで「ない」と定義する。且つ、「ある」とも定義できる。
「破壊」し、且つ「残して」いける。
もう、端的にいえば シンエヴァ後半はもはや物語映画というより映像作品なので、シンジとマリのラストは単にこれを実現するための映像表現だったんだと思うよ。
これに尽きます。
気づいたときほんとすげえ上手いこと思いついたな…これでキャラ、ファン、公式、誰も傷つかないうえに、シンジ達も自由になれる…と驚愕しました…