長文を載せられるプラットフォームとしてふせったーを選びました。現在までの経緯の説明です。
「全ての差別に反対する」という言葉についてずっと考えていました。私はそれができると思っていたし、それを目指したいと思っていました。目指すべきだとは今も思っています。でも同時に今自分にそんな事を考える資格はないのかもしれないとも思っています。差別とは私の中では、生存がおびやかされること(自死に追いやられることも含め)、個ではなく属性のみを見られ暴力や偏見を受けること、とにかく命の問題だと思っています。そして個々の生存に優先順位をつけるのはおかしいですが、それでも全ての人の中でもより立場の弱いもの、未成年者の健やかな生活や安心を考えたいと思っています。
過日、過去の私のツイートにより差別が助長され、非常に辛い状況にある。それを削除し差別に反対してほしいというメールを頂きました。私は自分の言説で生存を脅かされる人が居てはいけないと思い、すぐに削除に対応し(その中には確かに揶揄や差別的な言葉も含まれていました)差別反対の旨を書き込みました。この差別反対とは、上記の通り誰もどんな属性の人も、暴力を受けたり死んだりしてほしくないという気持ちで行いました。その気持ちは今も変わらないです。しかし、これは拙速だったと今は思っています。ただでさえ未成年者にとって安全とは言えないTwitter空間で、2万人超のフォロワーに向けてその言葉を選んで表明をするのは配慮がありませんでした。この時の表明を見てショックを受けた方もいると思います。ここを読んでいただけているか分かりませんが、ごめんなさい。オープンな場での表明を求められていましたが、もっとクローズドな場で一度きちんとお話し合いをすべきでした。
その後も、私は自分の考えをまとめるためにいろいろなツイートを拙速にしました。これも間違った行為だったと思っています。混乱して浅い知識と理解でなされたからです。私のツイートに引用で訂正の希望がたくさん付きました。訂正を求める行為そのものは間違っていないと思います。ただたくさんの人から一度にそれが来て、一つ一つちゃんと考えないといけなかったのですがかなり混乱をしてしまいました。名前を呼び捨てで繰り返し呼ばれるのは個人的に辛かったです。自分もやらないようにしたいと思いました。とにかく私のせいで誰かの生存を脅かしてはいけないと思いました。これは利他的な気持ちだけでなく、私の保身や傲慢さも含まれていたと思います。自分は誰一人傷つけず差別もしないでいられるんだと、この時点ではまだ思い上がっていました。
そしてそのツイートを読んで、サバイバーの人たちが苦しい思いを吐露しているのを見て、はっとして、いくつかを削除や訂正しました。この時点でやっと、愚かにも、自分のツイートがサバイバーの方も読んでいることに思い至りました。以前にも何度か書きましたが、私もサバイバーです。隠していたわけではないですが、普段はあまり公表していないので、付き合いの短い人が知らないのはしょうがないことだと思います。一番古い記憶からだと37年、苦しさと消えない記憶を抱えて生活しています。だからサバイバーの人の事も考えたかった。申し訳ないと思った。トリガーを引かれた苦しさは私も持っているものです。後述の通り私も強いフラッシュバックが起きてしまい、まだ不具合が収まらないです。こんな強い心身の反応が起こるとは自分でも予想外で、思ってもいませんでした。
そこに「この文脈でサバイバーの話をするのは、属性と加害を結びつけることになる」と引用が来ました。それは、その指摘そのものは正しいと思います。特定の属性と被害経験を同一の文脈で語るには慎重さが必要です。その慎重さが私に無かったのは確かです。さらにその前に、一度削除した、属性の明確な名称を書いた差別反対の言葉を書くようにと強く要望を受けました。しかしそこでキャパシティが限界になってしまいました。個を見ずに属性全てを犯罪に結びつけるのは差別偏見で、それが広まる事により苦しんでいる当事者が適切なカウンセリングやサポートや医療含むケアに繋がりにくくなってしまうということを今回理解しました。それは分かります。そしてその属性の名称を見たり書いたりする事で苦しむのが差別心であり偏見だと言われたら、否定できません。でも今の私には無理です。今はこれ以上その事について読んだり書いたりするのができません。その名称を自分の手で多数の未成年者やサバイバーの人たちに見せることもできません。自分の過去言説により引き起こされた他者の差別発言を諌め広く呼びかけて下さいとも要求を受けました。それもできません。ごめんなさい。それをしたら私が壊れてしまうと思います。
頭ではいろいろな事を冷静に理解したつもりですが、心身がついていけないです。学術的に属性名称と暴力行為を行う者は同一ではないというのは分かりました。でもそれをすっと飲み込んで、別なのだからフラッシュバックを起こす必要はない、とはなれませんでした。その言葉をただ純粋にその言葉として受け止められませんでした。他にも同じ状態になる人はいるんじゃないかと思うと本当に苦しく、申し訳ないです。自分の辛さを優先してしまってすみません。
誰の命も脅かされてほしくないというのは今も本心です。特に子どもたちへの暴力や搾取は一切許さない、大人はその発生を防ぐ努力をし、起きてしまった被害には全力でケアとサポートをするべきという考えも変わりません。しかし最早誰に何を言っても信じてもらえないかもしれません。でも私はこれ以上今は進めません。無責任で本当に申し訳ないです。
最後に、冒頭の方もいきなり私にメールをしたのではなく、出版社ころからから直接話し合ってはというサジェストがあってのことらしいです。私はこの対応が適切なのかどうかも今は自分の頭で判断できません。話し合いは人間同士必要不可欠なことですが、私の方が、その準備も覚悟もできていませんでした。そこに関しても申し訳なく思っています。
(現在、郷里の母に家に来てもらっています。なので心身の症状はありますが大丈夫です。暖かい言葉をかけて下さったみなさん、本当にありがとうございます。お一人づつに返信ができなくてすみません。お仕事で迷惑をかけてしまった皆様には、後日改めて直接お詫びをさせてください)