#すずめの戸締まり
新海誠監督ティーチインレポ (11/13二子玉川)
①ダイジンたちの正体
②ラストの芹澤のタバコ
③ミミズのイメージと表現
④なぜダイジンたちは自らもダイジンを名乗るのか?
⑤東京の要石と、閉じ師のイメージ
※Twitterの他所ティーチインレポで未出と思われる裏設定のみ抜粋して5件にまとめました。
①ダイジンたちの正体
Q「ダイジンたちは元人間だったんですか?」
ダイジンの正式な名前はウダイジン。サダイジンとウダイジンで対の存在。
分かりにくくなるからそのままダイジンで通した。
要石の正体については明確な設定はない。
ただ災害というのは、人間が居る場所で起こるからそれが「災害」となる。
だから人間と自然の共同作業で災害を鎮める必要があると思っていて、要石ももしかしたらそういう(元は人間だったとかいう)こともあるんじゃないかとは思いながら作っていた。
自分でも「もしかしたらダイジンは、小さな子供の閉じ師だったんじゃないか」と思いながら脚本を書いた。
だからダイジンは、子供のような、むしろ赤ちゃんのような振る舞いをする。
②ラストの芹澤のタバコ
ラストシーン、芹澤が環と一緒に駅の上で待ちながら話をしているとき、実は芹澤のタバコには火が点いていない。
(観客に分かるようにタバコを持つ右手をアップで映している。)
これは、この旅を通じて芹澤も少し成長したんだということを描きたかった。
鈴芽たちを送り届けるという役割を果たして、よく分からないながらも、芹澤なりに「自分もなにかをやり遂げたんだ」という達成感を感じた。
そこでふと、「タバコやめてみよっかな」と思い立って、芹澤なりに踏み出した一歩が、”火を点けるのをやめてみる”ということだった。
③ミミズのイメージと表現
Q「ミミズは一般人に見えないのに、霧散したあとの虹は人々に見えている。見える見えないは何が違うんですか?」
設定はあまりきちんと決めていない。
ただ、ミミズを描くにあたって、「怪獣映画の怪獣みたいなものにはしたくないな」と思っていて、ミミズは『現象そのもの』として描こうとした。
現象だからいろいろな形態に変化する。土になるというだけじゃなくて、水にもなって、さらに氷や水蒸気にも相転移するようなイメージ。
だからミミズが霧散するときの雨や虹も、ミミズが水になって蒸発したもの。
(記者注:ミミズが消えるというより、戸締まり(祈り)によって、災害ではない別の現象に変化するイメージということだと思います。
ミミズではない、美しい現象に変化した後なら一般人にも見えることがあるということですよね。)
④なぜダイジンたちは自らもダイジンを名乗るのか?
Q「”ダイジン”は人につけられた名前なのに、サダイジンが自ら”サダイジン”と名乗るのはなぜですか?
人間たちがダイジンをダイジンと呼ぶのを聞いて、自らをサダイジンと名付けるようなお茶目さがあったりするのでしょうか?」
ダイジン(ウダイジン)、サダイジンは元々の名前。
ダイジンは神様だから、人の心や、(スナックで分かるように)見た目すらもコントロールできる。
だからダイジンは街で出会う人々に、直接は喋らなくても、『ダイジンだよ!』って自分から名前を明かして回っていた。
人々は無意識にそれを受け取り、この子の名前はダイジンだということになっていった。
⑤東京の要石と、閉じ師のイメージ
Q「東京の要石の場所が、黒塗りで秘匿されていたのはなぜですか?」
東京の地下の後ろ戸は、実は皇居の地下にある。
当時の閉じ師たちが、「皇居の地下にそんな禍々しいものがあるというのはまずいんじゃないか」と考え、閉じ師たちの判断で秘匿した。
また、映画のポリティカルコレクトネス的にも、映画に皇居を必要以上に出さないようにした。
閉じ師という役目について、実は「裏天皇」のような役割なのではないかと考えている。
表では、天皇は被災地などを慰問して祈るというお役目を行っていらっしゃる。
でもその裏で、祈りの仕事をもっと具体的にこなして国を支える、裏天皇のような存在があってもいいんじゃないか。
そのイメージを「閉じ師」として表現した。
特に草太の祖父の羊朗さんについては、裏天皇としての品格と威厳を表現したく、
歌舞伎などをしていらっしゃり、貫禄のある松本白鸚さんに演じて頂いた。