シンエヴァ、前半の村シーンがいちばん好きだし、面白かった。本作の白眉だと思う。
以下、雑な感想を箇条書き(決定的なやつはなるべく避けるが当然ネタバレ注意、長め)
・予告編などでも村シーンの存在自体が慎重に隠されていただけあって、地味で静かなのに相当インパクトがあった。エヴァが今までほぼ描いてこなかったといえる「普通の人々の普通の生活」を、こういう形で物語に織り込むのか〜という意外性もあったし、「他者」という大テーマをもつ本シリーズの完結編としても重要なシーンだったと思う。
・大きな災厄があって傷つきながら、それでも地道にできることをやりながら生きていく(しかない)…という人々の姿は、言うまでもなく震災後を生きる人々や、コロナ以降をなんとかやっていくしかない私たちに重なる。その姿を優しい視点で、力強く肯定的に(かつ庵野監督らしい徹底的な作り込みと共に)描くことで、主人公たちの心に決定的な変化をもたらすだけの力をもつ場面となっていた。TV版でミサトさんがシンジを連れ出して街の光景を見せて、「守るもの」を具体的にシンジに示す印象的なくだりがあったけど、あれの解像度と規模をガン上げして(作り手自身が)シンジくんと観客に改めて提示したのが今回の村シーンと言えるかな〜とも。
・その「普通の人の普通の生活」が、シンジの絶望的に傷ついた心を癒やし、もう一度立ち上がる動機を与えたわけで、(エヴァのイメージから外れるような)驚くほどまっすぐな、ほんとに王道ヒーローものみたいな("少年漫画"みたいな、と言うべき?)実に「正しい」動機づけになっている。この「ヒネてなさ」、もう"正しさ"を斜めから見ていられる時でも立場でもないんだよ、とでも宣言するかのようなまっすぐさに、良い意味でかなり驚かされた。震災と『シン・ゴジラ』以降の庵野さんだからこそ描けたのかなとも思う。(ていうかシンゴジにも「普通の人々」の視点がもっとあればさらに好きだったなとは前から感じていた。)
・サプライズ登場した(すっかり成長してしまったけど)おなじみの彼らの活かし方も上手かった。トウジやケンスケはTV版や新劇ではシンジくんの年相応な日常生活の象徴としてのキャラクターで、特にTV版のトウジは日常が完全に崩壊するトリガーとして用いられて気の毒だなと思っていたので、完結編でふさわしい形でスポットライトが当たって良かったと思う。成長したケンスケくんの描写もしみじみ良い。シンジくんへの心地よい距離感とか、アスカになんの気なしにタオル投げる仕草とかも(2人のざっくばらんな関係が見えて)面白いし。…ただまぁ(終盤の微ネタバレだが)アスカと彼の関係はぶっちゃけ恋愛感情じゃないといいな〜〜〜〜と思うのだが…どうなんすかね…(声優インタビューはわりと恋愛的なニュアンス強めだったけど)。あの特殊な保護者-被保護者的な絶妙な距離感だからこそ尊いんやんけ〜〜〜とはマジで思う。つーかQからさらに増強されたアスマリが魅力的すぎたんでな…(これは長くなるのでそのうち改めて語るかもしれない)
・アスカといえば、シンジくんにめちゃくちゃ掴みかかり暴力ごはんのシーンが単純にアニメーションとして凄まじかった。あんなの見たことない。世界中で優れた革新的なアニメーションがどんどん誕生してる中で、日本的アニメの意地見せたるわい、という気概すら感じるようなダイナミックさだった。村シーン、全体に静かでゆったりしてるからこそ、ああいうキレキレな動きも際立つんだよね。(逆に中盤以降は、絵面が派手になればなるほどアニメーション的な凄さへの驚きが少し飽和しちゃった感もあって。)あそこはちゃんとアスカのやるせない心情の表現にもなっていたし、強烈な場面だった。
・誰波の描き方も鮮烈だった。(誰波=Q以降のもはや誰なんだよお前は…綾波でもないし…誰波なんだよ…とレイっぽい彼女を勝手に私が呼んでいる名前。)いや、誰波などと言ってはいけない…綾波なんだ…彼女は綾波レイなんだよ…とちゃんと思わせてくれるだけの根拠を、「普通の人々」の描写を通じて育ててくれたというのが良い。だからこそ、あのショッキングなシーンもちゃんと悲しくて、それを見たシンジの決意にも説得力が増す。
シンジくんが「破」で世界を崩壊させてまで救った綾波なのに、マジで誰波なんだよ…となってしまった地点から始まって、それでも村人という「他者」との生活を通じて自分なりの思い出を得て、彼女自身も尊重すべき「他者」としての人格を獲得してくれた。そんな綾波の変化は、シンジにも決定的な成長をもたらし、世界の行く末に大きく影響し、「他者」を巡るエヴァの物語を完結に導く。これによって「破」→「Q」の突き放しまくりな展開にも、救いが生まれたよなと思う。9年もの時間差で。なげ〜〜
・ただ「他者」を描く重要な場面として村シーンを称賛したいからこそ、その「普通の人の普通の生活」が、特に男女の役割の面などでかなり保守的なものに映ったことが(狙ってる部分もあるんだろうが)やや残念に感じたのも事実なのよね。トウジ&委員長&子どもという、カッコつきの「普通の家族」の絵面が重要なのはわかるし、描き方そのものは微笑ましくて全然よかったんだけど。良くも悪くも旧来的な「家族」をこの時代に/この文脈で理想的な「他者」として称揚する雰囲気に、若干イヤな重みとノイズを感じたのも確か。他にも、ここまで世の中が変わり果てちゃったのに、農作業に従事するのは結局みんな女性なんかい〜とか細かいアレは色々思った。(まぁ綾波的に、同じ女性との年の離れたシスターフッド的な繋がりが重要だったってのもよくわかるが。)
もちろんヴィレではイケてるアラフォー女性がバリバリ指揮とったりしてる(この2人の"良さ"もいずれ語りたい)ので、そこはめちゃ「進歩的」と言えるし、作中でのバランスは取れてるっちゃ取れてるんだけど…。「リアルな他者」の象徴としての村の描写にこそ、いわゆる「アップデート」された現代的な価値観が見られたらどんなに面白く、心打たれただろうな…とは正直感じる。まぁこの辺は、いうてエヴァだしな〜というか、作り手の世代もあるしね…(それ言ったらアレだけど)。
・村シーンを語るだけのはずがムダに長くなってしまったが、それほど印象深い場面だったし、良い意味で最も驚かされた場面だった。さっきも言ったけどシンエヴァの白眉だと思う。もちろん中盤〜終盤も語りどころばかりだが、他のオタクの人々が色々語ってるんだろうし、もう眠いし疲れたからやめる。明日、早いんで…。おはよう、おやすみ、ありがと、さよなら(←あいさつ)