歌合考察。あの儀式は、そのまま日本刀の鍛刀工程をなぞらえていた。
「いや鍛刀の話だったのは皆知ってんだよ」
というのは解る!!
解るが!!!
聞いて!!!
本当にあれ、暗喩を山ほど使った「楽しい日本刀の作り方講座」と「神降ろしの儀式説明書」なんだよ!!!(※個人の解釈です)
今回の話は8つの話があるけど、どれも日本刀作り、もしくは日本刀の小ネタに関係してる!!(※あくまで個人の考察です)
石切丸の話→炉に火を入れる作業
まずはこれね。落ちていく碁石の音、石切丸は最終的に「玉砂利の音」と言ったけど、そうなると他の刀剣男士も同じように「聞き覚えがある」って言うのが気になる。
それぞれに理由はあるけど、全員共通して「あれ?」って顔をする。
日本刀であれば誰でも経験しているであろう音を、何故かみんな口に出さなかった。
あれは『炉の炎が弾ける音』によく似てる。
ぱちぱちと、火がはぜる。刀の誰もが持っている、炎の中で生まれいづる記憶だ。
うたっている歌詞で
「生きる音、生きている音、ここにいる音、いつか懐かしむ音」
とあったけど、まさしく「生まれる前に炉の中で炎が弾ける音を聞いた」だったんだ。
つまり石切丸は「火入れの役」を買って出た。だから、他の話にあまり出てこなかったんじゃないかな。火の番が必要だったから。
恐らく物吉も火の番。幸運の刀とご神刀ならば、神降ろしの鍛刀にも相応しいよね。
蜻蛉切の話→根兵糖は玉鋼の暗喩
そもそも、根兵糖の形って玉鋼によく似ている。そして、蜻蛉切さんが最後に歌った歌詞で
「燃えて 燃えて たぎる たぎる」
「未来につなぐ意思の素」
「交わる瞬間桜が咲く」
「明日に煌めく結晶」
歌詞の中にある「根兵糖」は、全部「玉鋼」もしくは「刀剣男士」に置き換えられる。
むしろ、そちらの方が意味が通るくらいだ。
そもそも一般的には「金平糖」な筈なのに「根兵糖」なのも、刀剣乱舞らしい。時の政府は何を考えているんだ……。
さらに言うと、蜻蛉切さん以外の彼らが言っている「根兵糖」って、「刀剣男士(それの呼称全て)」「時間遡行軍」に置き換えられるんだよ。
だって、彼らは全員玉鋼で出来ているじゃないか。
にっかりの話→鋼を打つ作業
噺家は「てぬぐい」と「扇子」で話を語る。
彼の場合は「扇子」。それを机に打ち付けている。まるで鍛冶職人が鉄を打つように。
また、この話を選んだ理由としては
「魂だけなら千里の道をも越えられる」→「刀剣男士ならば時間を越えられる」
という暗喩だと思う。
生まれたばかりの何も知らない魂は光の玉。そして情念が増すと人の形をとる。
青江の周りに火の玉が舞ってる、あの演出。
まるで「錬結する時の状態」に見えるでしょ?
明石の話→鋼を折り畳む作業(にっかりの相槌役)
にっかりと同じく、噺家役になった彼はてぬぐいを使って物語を語った。
そして取り扱う内容が「折る」。私たち審神者なら周知の事実だけど、刀剣男士にとって「折る」とは「死」ということ、そのものだ。
この二振りの話は「誠実な者」「不誠実な者」という対。
もしくは「語れるもの(人)の死」「語ることが出来ぬもの(物)の死」という対という形になっている。
最初に、にっかりが「軽薄な者とは約定を交わすべきではない」って忠告の後に、明石が「ほら、こないなるでしょ?」と説明してくれてる。
そもそも、刀は性質の違う鋼を2つ重なり合わせて作るものだ。今回の話は2つごとに対になってる話が多いのも、それを意識してるのかもしれない。
そして、鍛刀の暗喩としては、打ち延ばす青江に折り重ねる明石。二人は確かに、相槌を打ちあっているんだ。
巴薙刀の話→土置きの作業
日本刀は作るときに、特殊な土を刃に被せて刃紋を作る作業がある。
土に詳しい大倶利伽羅、というのもそう言う事だと思う。また「自分の体になる」作物を作ることが、刃紋を作る作業に置き換わってるのかなとも。
徳川の話→急冷の作業
鯛は水の中にある筈の存在、であればこれは冷却水の話じゃないだろうか。土置きのあとに急冷させる作業が日本刀には必要だ。
この二つの話は歌を詠まなかったから、儀式的には「供物」の立ち位置なんだと思う。
薩摩芋も鯛も、縁起物のめでたい食べ物だしね。神様に捧げるにはもってこいだ。
兼さんの話→丁子油での刀剣の手入れの話、もしくは磨ぎの作業
誰かこの本丸にドライヤー買ってやれと声を大にして言いたかったであろう、この話。これは「より美しい髪になるためには」という話であり「椿油」の話でもある。
人間の体の部位の中で、手入れをすれば光が映るほどツヤッツヤになる数少ない部位が「髪」だ。磨いて(手入れして)光る部分。つまりは刀の研磨作業の暗喩じゃないだろうか。
あと「梳かす」と「磨ぐ」って、すごく言葉の語感的に似てる。これは偶然かもしれないけど。
もしくは、刀の錆防止に油を塗るのはわりと一般的だし、椿油はそっちの暗喩かも?
小狐丸の話→真打と影打ちの話、もしくは鞘を作る作業
日本刀は一本だけ作る訳じゃなくて複数作るのが一般的。
「数本打った中で一番出来の良い物」を「真打」、それ以外を「影打」と呼ぶ。
私たちのよく知る小狐丸が「真打ち」だとしたら、あの狐はまさに「影」の存在。
銘を入れられなかった、幾振りもの刀の一つ。
彼は、戦おうとはしなかったんだよ。それなのに、わざと「狐だ」というアピールをして気付いて貰おうとした。
知っていて欲しかったんだ。『自分がいる』ということを。
もしくは、形が同じであり「合わせて一つ」と呼ばれるとしたら「鞘」という存在もある。
刀を作る工程になぞらえているなら、『鞘が無ければ刀は完成しない』と捉えても良いんじゃないだろうか。
欲望を抑える、ということが鞘に繋がっているんじゃないかな?
そして、最後の儀式。
依り代となった「刀」に「審神者」の手を借りて「古来より伝わる鉄にまつわる神々」の名前を込めた祝詞を唱え、「神」が降りて、ようやく「刀剣男士」となる。
あなめでたや めでたや ふくふくふく
歌合というのは、確かに『刀剣男士』鍛刀に必要なすべての作業だったんだ。