友人に誘ってもらい前情報なしで見たら一幕のラスト、アマデウスがヴォルフガングの血で譜面を書くとこ萌えすぎて口を手で覆ってしまった…。
個人のヘキとして己と己の対峙が好きなのもあるし、無垢な子どもにいいようにされる大人萌えもあるし、才能の擬人化が悪魔のような麗しい子どもなのも萌え萌えだし、すべてが刺さってきてヴォルフガングとアマデウスが対峙するシーンはすべてたまらなかった。
音楽の才能・アマデウス/人間・ヴォルフガングの描写が、子ども/大人で行われるのがとても良かった。納得感もすごくある。
家族が崩壊の兆しをみせヴォルフガングは後ろ髪を引かれ心を痛めているのに対し、アマデウスは早く行こうと手をひくのだなと…。(ゾッともするし創作への憑りつかれ方は愛おしくもある)この相反するような嵐が一人の人間に同居しているのだというのが、モーツァルトという造形なのだなと思ってしみじみ。
制御できない才能だからこそ悪魔であり子どもの姿なのだな~と。そこを家族や周囲は理解しえないから「どうして」と恨みにつながる…無情な人なわけではないのに…と悔しい。
ただ、アドレナリン出まくっているときの創作人が人を疎かにする瞬間のことはあまりにも知っているので、どっちにも共感して私は落ち込んだ。「“このままの僕”を愛して」と歌う曲のタイトルが『僕こそ音楽(ミュージック)』なのむごいよ。
あとベッドシーンの時にアマデウスが興味なく、まったく見ていないのオモロ可愛かった。
アマデウスが天使のように後ろから抱きしめたかと思ったら首を絞めてきたシーン、ヴォルフガングがアマデウスを「悪魔!!」と詰るシーン…あまりに良すぎた。己を呪うな……。でも人間関係を壊したくない感情も、制御できない才能もどちらも彼でしかなく、ある時は背中を合わせ戯れ、ある時は殺されるほど反発し摩耗していく様があまりに苦しい。
誕生/死のシーンで、長調/短調のソナタを使う演出のニクさ!(観劇中気づかなくてパンフで分かった)
舞台装置がピアノの形をしているので、後半ずっと皮肉になっている。ピアノの上で躍らすな。
稼働する背景が五線譜になってるの友人に教えてもらって気づいてから、檻のようになるシーンでウワァてなった。
モーツァルト以外の家族もみな己の中に相反する感情をもっていて、前半と後半で愛憎が入れ替わるのだけど、そもそも持ち合わせていたものだったのだろうなと思う。あまりにも依存しすぎているよ~…。みんなせーので解散しませんか?と思いながら見てた。アマデウスとヴォルフガングの共存性に「あの子は心が感じやすい」と父が気づいていたのは良かったけど…よかったけど…。それでも孫を持ち出して「また(才能を)造れる」は怖すぎるよ~!
『星から降る金』を歌いながらヴォルフガングを奮い立たせる男爵夫人は救世主で、アマデウスの隣で歌う男爵夫人はそそのかす悪魔のようでもあったね…。お洋服や歌声がまばゆいから余計怖い。
ストーリーと演出が刺さりすぎてずっとその話してしまいましたが、歌が本当に!!素晴らしくて!!圧倒されてしまったな。あとエンターテイナーな彼のシーン勝手にわくわくして音楽って舞台ってすごい~。
『影を逃れて』で「殺されてしまう」と歌う裏でコーラスに「お前は生きる その子のために 命捧げて」と入るの凄すぎて、呪い歌すぎるよ。
コロレド大司教の『神よ、何故許される』で「私を惑わす 無礼で 傲慢 自惚れ 愚かな男が創り出す 音楽の魔術」が好きな男男すぎて悶えました。魅了=人間的好きじゃないもんね。抗えない魅力に魔的なものを見出すのは恋のようだね…☆