ツングースカのシナリオ、ライター、太公望(と妲己)とコヤン、ニキチ周りの「描き方」について思ったあれこれ。やや厳しめ。菌糸類以外のライターに必要なのは菌糸類の監修じゃなくて、ただの「編集者」の存在だと思うの…
文章には過不足があるものだけど、ツングースカのライター(推定あの人)とシナリオの問題点はあまりにも過不足が「過ぎる」ことだと思う。書きたいことを書きすぎる。一方で書くべきことが(尺や納期の問題か熱量の問題か)書かれてなさすぎる。
■過剰
・光コヤンのマテ
・ツングースカ=大爆発というリアル知識
・冒頭から繰り返されるコヤンのモノローグ
以上からプレーヤーには「コヤンは妲己でなくツングースカ大爆発の化身?なのだな…」という推測が早々に成り立ってしまう。コヤンの真相に迫るという題目のイベなのに。
しかしイベ自体は題目に沿って推理モノ風に進む。結果、太公望の妲己決め付け大チョンボも、ラストのコヤン解析からの解答編も、プレーヤーからすると「知ってた」としかならない。
しかも「なぜ、なぜ」連呼してる太公望、解析終えて解答得てる状態なのになんでなぜなぜ言ってるんだ君は(こっちがなぜと言いたいよ)
さらには複数回にわたる太公望と妲己のモノローグも過剰と言える。おおよそ「妲己が残酷な悪い女で、それでも美しかった」ことしか言ってない。そんなんクソデカ感情だなって充分伝わるから1回に纏めてほしかった。
あとピンチな時に突如入る抜け感のある会話。太公望の大チョンボ後のやつは好きだけど、毎度毎度それやられると緊迫感がどっかいく。コヤンとの最終決戦とか、ギリギリに追い詰め合った感なさすぎた。
繰り返し構文はどうやらこのライターの癖で、上手くハマれば効果的だが失敗するとクドいだけになる諸刃の剣。しかもライターにとってエモい行動や関係性にこの繰り返し構文による過剰を適用しがちなので、ライターと性癖が合わない場合は苦痛の二乗となってしまう。
自分のファンだけ相手してればいい小説と違って、複数ライターによるゲームのシナリオにおいてこの「癖の抑えられなさ」は致命的だと思う。
ちなみに菌糸類こそ性癖大爆裂の権化だが、「Fateは菌糸類の作品である」という大前提があるから批判されにくいのだろう。逆に言うと、他人の作品に間借りしている状態で癖を抑えられないところが当ライターが批判されがちな理由かと…(皮肉なことに菌糸類自体はライターの癖を好んでいるようだが)
さらに、恐らくプレーヤーはこのイベに「カルデアとコヤンの決着」を求めて臨んでいる。
もしかしたらコヤンにとって、カルデアは取るに足らない存在だったかもしれないが、少なくともプレーヤーにとってコヤンはカルデアの因縁の相手。
ところがカルデアVSコヤンのつもりで乗り込んでみたら太公望VS妲己の構図になっている。太公望と妲己の因縁を見せつけられ、しかし実は妲己じゃないとなり(じゃあ何のために見せつけられたんだ…)
※※※太公望と妲己はカルデアと異聞帯と同じ、心ならずも倒した相手だからという考察を見掛け、これは成る程と思ったのでここに追記します※※※
肝心のコヤンの正体については、早々に推測できてるのに外れ推理を延々と見せつけられた後で、繰り返し構文による解答編を延々と見せつけられる…
過剰に次ぐ過剰が絡まり合って最早ナンジャコリャである。
蛇足だが、太公望が始皇帝の分まで謝るところも過剰に感じた。あそこは自分の非を認めるだけで必要充分。始皇帝の分まで謝ったところでコヤンにプラスになるわけでも、プレーヤー的に太公望の株が余分に上がるわけでもないだろう。
始皇帝には始皇帝の意図があったし、彼は他ライターの担当キャラでもある。それぞれにファンもいる。言うなれば喧嘩を売ったような状態で、まさに「余計な一言」でしかない。
■不足
過剰の項目とダブるが「カルデアとコヤン」の関わりが薄い。結果、異聞帯六つにわたる因縁が太公望の人違い因縁に取って代わられたような気持ちになってしまう。
ニキチとコヤン。最後の最後で「実はこうでしたー」でなくもっと描写プリーズ。
そもそもニキチは何故コヤン=ヤースカヤについて太公望やカルデアと共有しなかったのか。
認識阻害で忘れていた?コヤンのガワが変わりすぎてて気付けなかった?気付いていたけど「あの子には妲己って名前もあるのかー」程度に考えていた?一体どれ。
せめていつ気付いたかを示さなければニキチがとんだ戦犯(結果オーライ)になってしまう。
たとえば太公望の解析を聞いてはじめて気付いたとして、ニキチだけ意味深な間のある驚き方をさせるなどするだけで、かなり印象は違うと思う。
あと自分はそこまで気にならなかったけど、子育て失敗した自覚あるくせに「ありがとうは?」で親面するのが毒くさい…と反応してる人もいた。始皇帝のこともだが、ちょっと気遣いに欠けるよなーこの人の描き方、と思う一例。
■解決法
この過剰と不足をどうするか。単純に、コヤンのモノローグを削ってもっと謎を残す形にし、太公望の解析時に「コヤン視点で見た風景」として一気に解放すれば良かった。それだけで重複と謎解きとして成り立ってない問題が解決できる。
また、コヤンが生まれた時のモノローグを削る代わりにコヤンが「六つの異聞帯を回った感想」モノローグを6分割して入れるという手がある。
これなら異聞帯の振り返りダイジェストになり、コヤンの目から見たカルデアが描かれ(認識が変わったならその変遷も)、因縁の決着気分を盛り上げてくれるはず。そして実はカルデアに対し明確な敵対行動を取っていなかったこともおさらいできる。
また、コヤンが各異聞帯で単なる生物兵器の収集でなく「子」を求めていたとここで明かすことで、固有結界の在り方も相俟って、「あれ?コヤンって実は…」とプレーヤーに思わせることができたのではないか。
コヤンの大目的が「真(母)の愛を知る」だったこと、
それは彼女の生まれ(とニキチ)が大きく関係していること、
その愛が実は人間をも含んでいること、
しかし、ゆえに人間を憎んでいるし、憎み続けることに疲れていること─
全てが「コヤンの真相」にとって重大なファクターであり、かつ絡み合っているというのに。パズルのピースをバラバラにしてぶちまけすぎた。
もっと入念に下拵えしてから畳みかけてプリーズ。
コヤンがこれまで見せていた顔は「なにか秘めた目的があるのだろうが、それはそれとして愉悦部の女狐」なのだから。人間嫌いゆえに人間のようには嘘を吐かないとか、商人として筋を通すとかの魅力的な面は勿論あったが、「母の愛」は流石に唐突すぎて。せめてイベント冒頭から匂わせてきてほしい(生命領域がそのつもりなのかもだけど)
また、全体的に太公望ジャックに遭った感が強いので太公望とカルデアの描写量のバランスを取る。
あの結末は彼でなくては導けなかったのはわかる。わかるからそうグイグイ推してこないで的な。
太公望の対妲己モノローグはできるだけ削っていい。コヤン決着前は1回に纏めて、あとは決着後の「覆水盆に返らず」の種明かしだけで充分なインパクトがある。少なくとも私にはあった(永劫の呪い、いいよね…)
重ね重ね、当ライターは自分にとってエモい部分ほど繰り返し構文で過剰になるが、逆効果。ここぞという時にガッとお出しして。
ニキチとコヤンの匂わせは、もっと早めに、むしろこちらこそチラチラと見せておくべき。「大抵のことはできるが、できないこともある」のところで子育て失敗に言及するとか。コヤン視点からの育ての親(ニキチ)についても、事実の羅列ではなくそこに付随する感情を知りたかった。
■まとめ
等々、長々とやや上メセで書いてしまったが、要は「菌糸類以外のライターに必要なのはただの編集者」なのだと思う。マンガや小説なら当たり前にいるものなのに。それとも、まさか、一応いてこの状態なのか。
最初の読者として全体を通して俯瞰して、ここは削って、あれを入れて、こことそこを入れ換えて…と言える人がいたらおおよその問題は解決していたんじゃないかな。
ここまで書いといてなんだけど、私は太公望出るまで引いたし妲己との関係も嫌いじゃない。大チョンボからのリカバリーはとても熱かった。コヤンと滅し合いじゃなく商人として決着つけたのも良かったと思う。ちなみに最推しはオジマンだし蒼銀コラボをめっちゃ待ってる。
ツングースカのライター(推定)の生み出すキャラはむしろ好きな方なんですよ。ただ壊滅的に「描き方」がノットフォーミー。だから余計に頭が痛い。あれこれコヤンの人類への愛憎と似てない?(似てません)
だからどうかライターに編集者をつけてほしい。
食材(キャラ)はいいんだ。調理法(文体)も、苦手な人は多そうだけどグダグダ長文書きの私にはそこそこ合ってる。
なのに出し方(構成)が「(書き手にとっての)メイン!メイン!メイン!前菜?なにそれ美味しいの?ここで渋々うっすーいスープをお出しします!からのメイン!さいごはー、デザートと見せかけてやっぱりメイン!」みたいな感じで「胃もたれするのに何を食べたかの感想は薄い」という状態になってしまっている…
あとメインとうっすーいスープの差異が、あからさまにこれライターの性癖に合うか合わないかだな…と感じさせる依怙贔屓の強さもなんとかしてほしい。
切実に。編集者をつけてくれ。