スメール イベント世界任務
「不思議な本のミステリー」の話
これは多分イベントででてきた鏡像が関わってくるんだろうなと思った。
なぜこのタイミングであの世界任務が追加されたのか、自分なりに咀嚼してみる。
最初「何を見せられてる……?」「これはなんだ……?」と思っていたのだけど、全く無関係のものをイベント限定の世界任務として出すわけがないという信頼があるので注意して見ることにした。
案の定だった。
「丸のついた本」はシムランカのドゥリンで「まっさらな本」はテイワットのドゥリン。
始まりはカーヴェが誤植を正すためのものだったかもしれないけれど、そこから色んな人達がそれぞれの理由で印をつけていって、結果的に中身(本質)は同じでありながら唯一無二の本になった『謎解きは昼夜を問わずともミステリーは……』=沢山の人から祝福を受けて、祈りを捧げられた事で、「心に愛を抱いている子」という本質を曲げることなく、姿を変え罪を償い、住民たちに受け入れられた唯一無二の存在になれたシムランカのドゥリン
まっさらで、何も手が加えられていない『謎解きは……』は、あるいは噂に流された人がまた同じように印をつけるかもしれない。そういう可能性を秘めている=鼓動が活発になりつつある(シムランカのドゥリンと同じ道を辿れるかもしれないし、そうでないかもしれない)テイワットのドゥリン。
イベントストーリー内で「B」が「M」に告げた「お前がこの子にその名を与えれば、この子の「シムランカ」での運命は、多かれ少なかれ現実の「鏡像」となる」というセリフとこの世界任務の繋がりには、唸るしかできなかった。
本イベントのシナリオは放浪者の過去と共通するものがあり、キーワードとして『裏切り』『親』『名前』などが挙げられる。
一方で世界任務「不思議な本のミステリー」は、『記憶』『物語』など、スメールの魔神任務と共通しつつもイベントストーリーを振り返ることができるようなテーマだったように思う。
終盤のアルハイゼンのセリフ
「消せないインクで最初のページに丸をつけたのは、取り返しのつかないことだ」
「強いて言えば、そのマークは本そのものよりもずっと面白かった。」
「おめでとう。その本は大勢の人が共に「書き上げた」作品だ。今、その唯一無二の本は君のものとなった。」
これらに対して思う事がある。
どれも本イベントの、ひいてはスメール魔神任務や伽藍に落ちてのまとめのようなものではないだろうか。
「取り返しのつかないこと」というのは、犯してしまった罪であり、変えることのできない過去。
消せないインクで書かれたそれらは、線を引いても、たとえ書き換えることが出来たとしても、「なかったこと」にはできない。
けれどその選択の積み重ねは人生に唯一無二の価値を生み、そうして出来た現在には意味がある。
人の言動というのは少なからず、必ずしもいい方向にではないが自他に影響を与え、成長を促す。巡り巡って、それらの教訓は新たな発見を、新たな物語を作り上げる。
原神は本イベント、そしてこの世界任務を通して、『言葉』と、それに伴う『行動』の重要性を伝えたかったのだろうと感じた。
話を戻すと、同じく終盤。
パイモンがカーヴェに「次から消せないペンでメモするのはやめた方がいいと思うぞ」と助言をして、カーヴェもまたその言葉を受け入れるシーン。
それでもきっとカーヴェは誤植を見つけては正してしまうだろうし、今後も酔った勢いで掲示板など至る所に消えないペンで落書きをすると思う。それが彼に染み付いた『慣習』で、それを治すのは容易ではないだろう。
他人からどんなアドバイスを受けたところで、それを実践するのは、選択するのは当人なのだから。
むしろ、カーヴェが使用したのが「消せないペン」であったからこそ、人を繋ぎ、多くに影響を与え、そして物語が、価値が生み出されたと考える方がいい。ここについては先程記述したアルハイゼンのセリフが、それがどれだけのものであったかというのを顕著にあらわしている。
旅人もパイモンも「いらないな〜」と笑うのだが、これは噂を追いかけた第三者の視点だからこそ出てきた感想に思える。
カーヴェも同じように「別にいらないのに…」と肩を落としているが、彼は丁寧に手入れや日干しをする事だろう。一度愛着が湧くと捨てられないタイプの人だろうし。
「読む価値がない」と切り捨てられ酷い評価を受けてきた本が、人の手を渡って印をつけられたことで注目を浴び、誰かにとっての「唯一無二」になる。
やっぱりこれシムランカのドゥリンだよ………………
強いて言うならボイスつけて欲しかったです、これ結構重要な任務だったのでは。
物語において紙とペン、そしてイベントでアリスが言ったように「読者の存在」というのは必須である。
読者が、結末を見届ける者がいなければ、物語は始まりすらしない。
イベント内容とうまく絡めた、素晴らしい世界任務だった。というのを個人的な感想とする。
この美しい物語が、どこまでも続く事を願って。
[追記]2024.07.24
質問が来ていたので追記。
カーヴェとアルハイゼンの会話で、カーヴェが「鉛筆を切らしていた自分が悪い」と肩を落とすシーンがある。もしカーヴェが鉛筆で印をつけていたら、アルハイゼンがそれに気づいて消したあとに返却されるだろう。
酔った勢いということは筆圧もそれなりに強い(=紙にあとが残る)だろうし、どちらにせよアルハイゼンがなにか工作をする事には変わりがない。
印をつけたという事実(過去)は「なかったこと」にはできない、と私は考えている。
テイワットでの出来事がシムランカに影響をもたらすのなら、シムランカでの出来事もテイワットに影響をもたらすはずだ。鏡写しの世界で『一方的な干渉』などできるわけがないのだから。
シムランカで祝福を受けたドゥリンの話が、形こそ変われどテイワットで『現実』となってしまった。私はそれが非常に怖い。
[個人的最高ポイント]
ティナリ「木を隠すなら森の中」
セノ「砂を隠すなら砂漠の中」
雨林を守護するものと砂漠を守護するものの対比
最高 ありがとう