江水散花雪、時間遡行軍が最後に歌ってた歌の歌詞をリスニングしてみたらなかなかに闇が深かった。
聞き取りも漢字変換もフィーリングです。一部聞き取れてないところもあります。聞き間違ってるところも絶対あると思うのでふわっと見ていただければ…。
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始まりや いつなりし
終わりは いつなりや
朽ちもせぬ 果てもせぬ 生みもせぬ
揺蕩うこともあらず
流れ入るものもなく
流れ出づるものもなく
湧き出すものもあらず
されば我はここならむや
ここならむや それともあるまじや
不浄のものなりや
無情のものならむや
闇にもならぬ 夜にもあらず
ただ黒きばかりの天下に 天下に
忘れ去られし我を呼ぶ声が聞こえ 声 聞こえ来
不浄の我が身に魂(たま)吹き込むものは うち出で来
我〇〇〇〇〇〇
すべからぬ苦痛より逃がるべくは
栄光の下の石にこの身投げ入れることになんの迷いやあらん
いかなる〇〇〇〇〇〇
この天下に解き放しても 解き放しても
我が成すべきことを
我は成すばかりなり
これより先は打ち祓い〇〇
これより先は打ち壊し進む
我を恐るるものよ
我が名を呼びたまえ
我は時を遡るものなり
邪(よこしま)打ち祓うものなり
我を恐るるものよ
我が名を呼びたまえ
我こそは守護者なり
後の世の守り人なり
我は成すばかりなり
我の成すべきことを
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前半は恐らく放棄された世界のことです。江水の内容からしてそれはわかるんですが、途中から、それこそ徐々に聞き取りやすくなってくる辺りから、少し様相が違う。
2ヶ所聞き取れてないブロックは全体的にすごく聞き取りづらくて大変だったんだけど、「栄光の下の石に〜」のくだりが聞き取れた瞬間、心覚の豊前と太田道灌のこと思い出してしまって。
石垣の石がいつか礎となる、栄光の、天下統一の、平和のための。そのためならなんの迷いがあろうかって、時間遡行軍が歌っている。
そもそも時間遡行軍がどういう存在なのかゲームでも具体的な言及はないですが、私はやっぱり戦や動乱で散っていった名もなき武士、一般市民、人々の手にあった無名の刀剣達なのかなと思っていて。そういう歴史に残らなかった人々を主としていた刀剣達が、平和を望むのは当然だと思うんです。
ミュはパライソ、江水で顕著だけど、時間遡行軍は戦をなくそうとすることが多い気がする。
あまり歴史に詳しいわけじゃないですが、あつかしだって義経が生き延びることでなくなる戦があるかもしれない。天狼傳もあの3人が早くに死んでしまってたら新撰組に殺された人達は生き延びたのかもしれない、その後のいくつかの事件や戦もなかったかもしれない。みほとせとあおさくも、家康やその後継者がいなかったら、変わっていたら、全く違う世の中になってたでしょう。
そうすることで、彼らの元の主は生き延びるのかもしれない。歴史を変えてでも、戦をなくすことが時間遡行軍の成すべきことなのかもしれない。
打ち祓う「邪」が刀剣男士達のことなんだとすれば、せっかく戦のない平和な世にしようとしてるのにそれを邪魔しようとする奴ら、という時間遡行軍から見た我々の姿。
そうやって平和な世を作って後の世を守るんだという彼らの正義。でも歴史を変えたことによって新たに生じる事象には何も目を向けてない、自分本位の正義。
もちろん政府側、審神者や刀剣男士達、こちらが絶対正義だとも思いません。兼さんも言ってたし。間違ってることもあるかもしれないって。
でも、刀剣男士と時間遡行軍の境目は、自らの後悔や理不尽に向き合って前を向けるか、払拭したいと思ってしまうか、そのどちらかだけなんだと思います。歴史を、過去を変えたいのは後悔があるからでしかないから。
「我を恐るるものよ、我が名を呼びたまえ」って、後悔を恐れるものよ、囚われたくないならこっちに来い、我らがそれをなくしてやる、ってことなのかもしれない。
名前が、銘がない、江の刀達は、他の男士達より彼らの歌がよく聞こえるのかもしれないですね。人と人ならざるものの架け橋になれと三日月が言うなら、三日月は時間遡行軍すらも救えるなら救いたいのかな。
でも、歴史を守る、と言うなら、それは人を救うこととイコールにはならない。あるがままに置いておくってこと。それはどんなに悲惨な最期を迎えた命でもそのままにしておかないといけない、手を差し伸べてはいけないってこと。優しい刀剣男士達には本当に酷な任務。
正しい戦、なんてやっぱりどこにもなくて。戦わなければいけないなら、自分が信じるもののために戦うしかないんでしょうね、きっと。