『鎌倉殿の13人』最終話感想、それが愛でなくてなんなのか
2024年10月16日に突如として『鎌倉殿の13人』を見ようと思い立ち、NHKオンデマンドに入会した。そして、最終回視聴翌日の11月1日現在、昼休みを使ってこの文章を書いている。1年かけて放映されたドラマ約34時間をおよそ2週間で視聴しおえてしまった。
初回から面白かったが、今振り返ると序盤より中盤、中盤より終盤と話が進むほどに面白さが加速していき、最終話で頂点に達した感じがある。考えてみれば、『ゴッドファーザー』が好きな人間に鎌倉殿が刺さらないはずはない。純粋だった若者が時代によって見出され運命を狂わされていく、人間性を擦り減らされて自らの意思で後戻りのできない地獄へと突き進んでいく話が嫌いなわけがない。マジで、嫌いなわけがないというか、一番好きなやつである。どうしてもっと早く観なかったのか、当時の熱気を思い見ればリアルタイムで追えた人が羨ましいなあという思いもあるが、「初視聴で全話を途切れることなく集中して観られた」のはそれはそれで本当によかったことだった。未視聴の人はここにいないと思うが、もしいたら参考にしてください。今からでも遅くない! NHKオンデマンドに入会するんだ!
しかし、 「しぬどんどん」「ダイダイエブリバディ」などと揶揄されていたのは知っていたが、ここまで人が死ぬとは……。振り返れば各話感想ツイートの「重要人物が死にました」がネタバレにならない有様であった。中でも、義時が修羅の道に身を投じていく最大のきっかけとなったであろう15話での上総介の謀殺は、すべての視聴者に大ダメージを与えたに相違ない。義高、哀しき戦クリーチャー義経、頼朝公、梶原、全成、比企、頼家、畠山、時政、和田、実朝など印象深い退場回は数えきれないほどだが、やはりボルテージが最高潮に達したのは最終回最終シーン、義時の退場である。
『鎌倉殿の13人』全48話を振り返り、今思うことは「家族の話で始まり、家族の話で終わったなあ」ということだ。兄と弟、夫と妻、義兄と義弟、父と子、姉と妹、そして姉と弟。兄から託されて始まった物語が、姉の手によって幕を引かれる最終回は非常に美しく、納得感のあるものだった。
「この世の怒りと呪いを全て抱えて、私は地獄へ持っていく」
義時の人生を総括する壮絶な一言だ。義時は権力によって、私欲のために変わっていったのではなく、運命に見出され、大切なものを守るために自ら変わることを選んだ男だ。鎌倉のために自分の首を差し出そうとしたことや(かっこいいままで終わらせてもらえなかった47話、最高だった)、数々の敵を葬ってきた彼が自分や、個人的な恨みのためにはけっして人を殺さなかった(善児のことも、義村のことも、のえのことも、運慶のことも……)ことからもそれがわかる。
義時は徹底して鎌倉のために、ただ一人で悪業を引き受ける覚悟を以て決断した、だから誰も義時のゆく孤独な地獄の道行を止めることができなかった。その義時を、最後の最後に政子が引き留めたのだ。自らの手を汚すことによって。それが愛でなくてなんなのか。
変わってしまった義時の中に、政子は「でもね、(太郎に)もっと似ている人がいます。あなたよ」と純粋だったころの小四郎の姿を認め、義時自身も最期にそれに気づく。死に瀕した義時の、優しい「姉上」の声がすべてを物語っている。最終回タイトルは『報いの時』。妻と親友に毒を盛られ、姉に薬を捨てられ、義時は悪事の報いを受けたのだが、あの瞬間献身への報いも確かに受けたのだろう。
もう二度とこんな作品には出会えないかもしれない。そういうわけでBlu-ray BOXを買ってしまったので、また初めから観てみるつもりだ。きっと新しい発見があるに違いないから……。さしあたっては、友人二人に包丁を突きつけたところ快くNHKオンデマンドに入会してくれたので、私は隣で二人に目薬をさしてやりながら、ゆっくり鎌倉を振り返ろうと思います。