#カランコエの花 タグで関係者ばりに他人のツイートを漁る追っかけなのですが、たまに桜から月乃への想いを「思春期特有の一過性のもの」や「恋愛未満の淡い憧れ」とおっしゃってる方を見かけるとイーッとなるんですよ。続きは追記(ネタバレ有)→
まあそういったツイートの結論としては大抵「だから花絵(養護教諭)は一足飛びにLGBTの問題とせずただ傾聴してあげていればよかったのだ」に行き着くんですが、その結論自体はほぼ否定しません。
私がイーッとなるのはその前段階の部分。そしてポイントが2つあります。
1つ目:人の恋愛感情の軽重を勝手にジャッジして否定するのってどうなのよ?
まあ映画全体をフィクションとして俯瞰した"オトナ"のいち意見だから、というのは分かる。しかしながら、ぶっちゃけやってることが映画終盤の月乃が黒板消すシーンと大差ないのでは?と思うのです。
2つ目:この人たちは何をもって「桜の想いは本当の意味での恋愛じゃない」と思ったの?
これは個人的な体験談が背景にあります。
私はTwitter( https://twitter.com/konohana_dou/status/1049956809509748736?s=19 )やブログ( https://kinoko-konohanadou.hatenablog.com/entry/2018/11/04/235045 )で既に公表しているとおり、セクシャル・フルイディティです。好きになる人の性別が不定、というやつです。
成人後に「小6~中2ぐらいまでの間、好きな人が女の子だった」という話をとある人にした際に言われたことがまだちょっと刺さってて。
「その女の子とキスとかセックスとかしたいって思ってたの?そうじゃないなら恋愛じゃないでしょ。あなたはヘテロセクシャルだよ」
映画の月乃のように、「あなたはセクシャルマイノリティではないよ」という(ある意味見当違いな)フォローをしたくてそう言ったのか、純粋に本人が「キスやセックスをしたいと思わなければ(=性的欲求がなければ)恋愛ではない」と定義しているのかは分かりませんが、それって本当にそうなの?と。
たとえばオタク界隈ではよくある話ですが、「僕あの作品好きなんだ」と言ったライトなオタクに対しディープなオタクが「え、じゃあOVAの第3弾まで知ってるよね?円盤は全部買ってるよね?キャラソンCDも当然持ってるよね?そうじゃなかったら好きとか言えないでしょw」とジャッジする、みたいなやりとりに似ているのかな。
私がよく例に挙げるのはポケットモンスターシリーズなんですが、いわゆる努力値や個体値や種族値を熟知して本格的なバトル用のポケモンを作るのも、誰よりも早くポケモン図鑑を完成させるのも、色違いのポケモンを血眼で探すのも、コンテストやフォトクラブ、秘密基地といったサブ要素を楽しむのも、シナリオを最後までじっくり楽しむのも、そもそもゲームはやらないけどぬいぐるみやグッズを集めるというのも、どれも「好き」の形で、どれかが欠けてるから好きとは言えない、なんてことはないはず。
そしてそれは人と人どうしの恋愛も同じ。
色々な形があっていい、ではなく、既に色々な形の「好き」があるのだと思います。
今回の件(性的欲求がなければ恋愛とはいえないのか?)でいえば、アセクシャル、デミロマンティック、パンロマンティックなんかの単語でも調べてみてください。
桜ちゃんが何に該当するのかは分からないし、結論の出しようもないけど。
ちなみに、恋愛とセックスの紐付きについては上記の体験談から少し思うところがあり、過去のカランコエ二次創作SSでも若干触れてる部分があります。
映画の後日談としてみどりがお風呂で悩む話( https://privatter.net/p/3812817 )
では、彼女が「女同士だとブツがないけどどうすんの?」と一瞬想像して、そのあと自己嫌悪に陥るシーンを書きました。
大学生になった千里が桜と月乃の悩みを聞く話( https://privatter.net/p/3843023 )では、千里が去年初めてできた彼氏にセックスを迫られて戸惑い、結局別れてしまうというエピソードを盛り込みました。2作品ともこの描写は本筋ではないのですが、どうしても入れたくて。
ちなみにちなみに、同性間の恋愛感情について逆に「性別を超えた純愛」とか言うのも好きではないですね。生殖ありきなのがなんかンーとなる。
個人が個人を好いている、それだけのこと。
第三者が勝手に純愛だとか恋愛未満とか言っていいものじゃないよね。
という、なんやら上からっぽいお話でした…ブログに書けや…