シン・ウルトラマンのウルトラマンが人間を好きになった理由がわからないというタイプの感想についてウルトラマンも自身でわからんと言っとるしそれなのに助けてくれるのがいいんじゃんと単純に思っていたけど(以下長文)
そもそもその、「地球人のことがわからないウルトラマン」を描くことが結構この映画のやりたかったことなのかなあとふと思った。
というか「地球人のことわかるぜ!」ってなってるのがザラブやメフィラスなわけで、そういう対比として配置されてるんだな。
ウルトラマンってマジで神秘的な存在で、それこそ過去作品でも「神様仏様ウルトラマン様~!」とか言われたりしてたし(これどの話だっけ?)、『帰ってきた~』やってたときからオタクから「ウルトラマンの神秘性、薄れてない?」とか言われがちだったわけで。
でも例えば『メビウス』のときは黒部進引っ張り出してまで「我々ウルトラマンは神ではない」と言わせてるし、確か同作品内だったと思うけど(うろ覚えなんだ)「ウルトラマンはなぜ地球を助けてくれるのか?」という疑問に対して「ウルトラマンは地球や人間が大好きだから」という話をしていて、結構それに感銘を受けたんだよな。というかこれ当時は気づかなかったけど「そんなに人間が好きになったのか」からつながる話だったな十分。
で、それ以降私は単純だから「そうかー ウルトラマンは人間や地球が大好きだから助けてくれるんだな」と気持ちよく思っていたんだけど、『シン・ウルトラマン』ではその「ウルトラマンが人間を好きになっていく過程」を描いていて、でも「そこで好きポイントが溜まっていくか」ははっきりと描いていない。
強いて言えば「神永が子供を救うために自らの命を犠牲にした」という最初のきっかけくらいしかハッキリしたイベントは起きて無くて、あとはじんわりと進んでいく。だから「なんでウルトラマンが人間のことを好きになったのかわからない」という感想が出てくるのはわかるし、むしろ私も「足りないからほかのエピソードもスピンオフでやれ!」とか言い出す。
でも「わからない」でいいというのが『シン・ウルトラマン』なんだ。なぜならウルトラマンにもわかっていないから。
そして個が個を好きになるというのはおそらくそういうことに過ぎなくて、ちょっとしたことの積み重ねでしかないんだ。
今作のある意味で最大の敵であるメフィラスは「好きな言葉」を執拗に繰り返す。最初は単に「映画という限られた尺のなかで強烈にキャラクターを立てる手段」としか思ってなかったんだけど、むしろ「好き」とすぐに言葉にするようなやつを敵として置くことで、「好き」を言葉にできないウルトラマンの中にある原始的な感情、愛情、庇護欲などを引き立てようとしているのではないかという気がしてきた。……このことについて最初は「すぐ"好き"という言葉を使うやつは軽薄ということを描いている」と書こうとしたけどあまりにただの悪口なのでやめておいた。でも確かザラブも「私は地球が好きだ」とか言ってた気がする(うろ覚え)し、もしかしたらこの映画のなかで「私はこれが好き!」って言ったやつ、悪役だけか……? アッ! 『禁じられた言葉』ってコト!?(言いたかっただけ)
そしてそうしたウルトラマンが「好きという感情を言葉にできない」からこそ宇宙人ゾーフィは「そんなに人間のことが好きになったのか……」と思わされてしまい……「好きってことじゃん!」って言う役なんだよな。ゾーフィは。攻略対象のサブキャラの役割だわ。そしてゾーフィはそんなウルトラマンの心の機微に気付かされたからこそ「そんなにすごいんなら……やめとこっか」と絆されてしまうんだよ。そんな心の動きは光の国ではあり得ない。宇宙の知的生命体のなかではありえない。きっとメフィラスやザラブみたいなやつのほうがずっと多いはず。でもここでウルトラマンが「地球のことさ……好きやねん」とか言わなかったからこそゾーフィの心に届くんだよ。「あんたほどの人がそう言うなら……」なんだよ。メフィラスのように「好きだ好きだ」と言うのでは駄目なんだ。
だから……「なぜウルトラマンが人間のことを好きになったのかわからない」で、いいんだよ。ウルトラマンだってわかってないんだから。でも「わからないけど好き」だからいいんだ。
そして我々も実は……「なんで自分がウルトラマンのことが好きなのかわからない」と気づく。ウルトラマンを見た人間は必ずどこかのタイミングで「なんでこいつ、わざわざ苦労して地球のこと守ってくれるんだ?」と疑問に思う。そもそも全身銀色だし、冷静に見たらけっこう不気味な面構えをしている。やろうと思えば人間の街を破壊することだってできるはずだ。なんでこんな銀色の巨人に親しみすら感じ、アクションフィギュアとか買ってしまうのか? その理由は……もちろん「番組がおもしれーから」とか「バトルがかっけーから」とかひとつひとつは言える、言えるよ? でもある日ウルトラマンを見てないやつから「なんでウルトラマンが好きなの?」と聞かれる、それに答えようとすると……即答できます? 「ちょっと一言では言えん」ってならない? いまちょっと考えてみろ。どうしてウルトラマンのことが好きなのか……? 結構わかんねえ わかんねえわ。
でも「なんかわかんねーけど……好きだな……」なんですよ。それでいいの。それはウルトラマンが人間を好きな理由と同じなんだ。そしてそこが好きだからこそ、ウルトラマンと人間の関係は「神と擁護される者」ではなく「友」である。ウルトラマンと人間は対等なんです。だからこそウルトラマンではいつも「人間が侵略者を倒す」話が必要なんだな。多分単に「たまには働けや!」ということではなく、そういう声に対するエクスキューズでもなく、「ウルトラマンと人間は持ちつ持たれるである」というエピソードは『ウルトラマン』という作品群において絶対に必要なんだよな。っていうかハヤタが言ってたわ確か持ちつ持たれつって。なんだよ全部最初のウルトラマンにあるじゃねーか!
まあだからつまりウルトラマンはすごく人間のことが好き。だけどその理由は本人にもわからない。遥か空の星がひどく輝いて見えたとかその程度の理由でしかない。だから素敵だし、命をかける価値がある。それを描いてみせることでウルトラマンの神秘性を薄め、彼は我々の友人である、仲間であることを強調するための作品じゃないかと……そう思うんスよね。
最初は「空想と浪漫、そして友情」というキャッチコピーに「こいつ……何言ってんだ……?」と不安になってしまった。友情て。でも見る前は禍特対メンバーたちの絆、友情を描く作品なのか……?(別にそんな映画見たくねぇ~~)と思っていた。でも今ならそういうことではないと思えるな。「ウルトラマンと人類の友情」……そういうことなのではないでしょうか。そしてその友情はウルトラマンによって拓かれ……未来のウルトラマンへ紡がれていった。1966年からいまに至るまでよ。きっと『シン・ウルトラマン』の世界でもそうなんじゃないか……? ゾーフィが光の国に帰って「なんか地球……すごいっす」ってなるんじゃないか? 「そんなにすごいんなら見に行ってみるか」って恒点観測員340号とか来てくれるんじゃないッスか?
だからこのキャッチコピーは今見ると「これしかないな」って気がしてくるよ。うん。
だから満足です。『シン・ウルトラマン』についてウルトラマンの心の動きがよくわからないという点について満足です。というか初見時から「わからない」とは思っていたけど「それでいい」と思いながら見てたしね私。でもそれは上記に書いていたようなことまでは考えて無くて単純に「だってぜんぜん考え方の次元とか違う異星の生き物だしわかんなくて当然だよな(でもそれでも助けてくれるからうれしいんだ)」としか思えてなかったけど。なんか書いてたらそのへんの感情がより整理できたので書いてよかったです。
それはそれとしてウルトラマンが禍特対の連中と絆を深めるほかエピソードモチーフのスピンオフは見たいからウルトラサブスクとかでやってくれよ。『空の贈り物』とかやって!!!! 頼む!!!!!