【ダウト】樋口円香についての話。
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タイムラインで【ダウト】についていろいろと感想が聞こえてきて内容が気になったので、大急ぎで見てきました。個人的には、Trueまでのコミュは、水着とは何かということを考えさせる内容だったように思います。もう少し突っ込んでいくと、露出の多い服について、あるいは女性の身体について。
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1つ目のコミュ「90%」は、円香に水着のグラビア撮影のオファーが来るところから始まります。プロデューサーは、この仕事を円香が受けられるかどうか心配しています。仕事のオファーが来ているということを円香に伝える方法にさえプロデューサーは心配をめぐらせています。肌の露出をあまりしたくないという人は当然いるはずで、水着グラビアの仕事を受けるかどうかは、当人の意志を確認することは絶対に必要なところです。
ただ、プロデューサーの心配の中にあるのは、円香に気を遣うということだけでなく、仕事のオファーを伝えるその仕方に関して円香に鋭く刺されるのではないか、ということでした。ここにはプロデューサーの保身が見られます。
円香はWING編から一貫して、プロデューサーの発言について、実態の伴わなさや、筋の通らなさを指摘し続けています。これは円香との相性の悪さもありつつも、やはりプロデューサーの責任でもあります。今回もこのあたりの面が出ていたのではないか、と思わされるところがあります。
2つ目のコミュの「シャワー」は、水着グラビアの撮影が終わった後、円香がシャワーを浴びているところの場面です。バスタオルをスタッフから渡されたプロデューサーが、シャワーのそばまでやってきます。
円香は撮影がどうだったかをプロデューサーに聞きます。プロデューサーは、カメラマンが褒めていたと言葉を引用して伝えます。プロデューサー自身の評価を避けています。円香はそこを追求しますが、プロデューサーは席を外していて撮影を見ていませんでした。「別の仕事で急な連絡があって」とのこと。円香もプロデューサーが撮影を見ていなかったことについて気づいていました。円香はさらに追及します。「あえて、見ないようにしたわけではない、ってことですね」と。プロデューサーは「本当はちゃんと立ち合いたかったよ」肯定的に答えます。
私はこのプロデューサーの言葉は、100%本心ではない、と考えます。電話がかかってきたのは本当に偶然かもしれませんが、その電話を都合よく利用して席を外した部分があったのではないかと考えています。まず「90%」のコミュをもとに考えてみます。「90%」では、水着の撮影の仕事について気を使っていました。そこから、水着の仕事は円香にとって恥ずかしいことなのではないかという可能性をプロデューサーが事前に考えていたことがわかります。
しかしそれだけではありません。水着の仕事について、プロデューサーが「下心」を抱いているのではないかと円香に指摘されるのではないかということも、プロデューサーは心配していました。このような心配をするというところから、プロデューサーの中に、水着の女性を見るというその視線はセクシャルな視線になってしまう可能性があるということを考えているということが分かります。ここがポイントで、このような思考があったので席を外したのではないかと考えたくなります。
そして何より、「シャワー」のコミュでバスタオルを届けにきたプロデューサーはずっと目を閉じていました。水着の円香を見ないようにするという意志がプロデューサーにはあったと考えることは不自然なことではないと考えられます。
プロデューサーはなぜ水着の仕事について気を使っているのか、水着の円香を見ないようにしているのか。プロデューサーの頭の中には、水着姿を見るその視線に「下心」が含まれてしまうのではないかという心配があり、その「下心」の含まれた視線によって円香を傷つけてしまうのではないかという考えがあったのかもしれません。しかしそれだけではなく、「90%」で描かれたように、そうした「下心」を視線に読み取られることで、円香に言葉で鋭く言われてしまうのではないかという心配もあったはずです。問題は後者です。
プロデューサーは、円香の水着姿を見ないことを選びました。それは円香を傷つけないためであり、円香に責められないためです。しかし円香は、プロデューサーに対し、水着姿の自分を見なかったことについて責めているようなのです。
この点について、水着の自分をちゃんと見てほしいという円香の欲望として読むことも不可能ではないのかもしれません。しかし今回は、そのようないわゆるPドル的な読み方ではなく、別の読み方を考えてみます。円香は、プロデューサーが自分の水着姿を見なかったことの、責任逃れを責めているのではないか、という読みです。
これはTLでフォロワーさんが指摘していたことなのですが(ツイートは消されるとのことなので匿名とさせていただきました)、プロデューサーは撮影に立ち会わなかったけれど、もし撮影で何か起きたらどうするのでしょうか。水着の撮影が気を遣うものであるならば、プロデューサーはプロデューサーとして責任をもって撮影に立ち会わなければならなかったのではないでしょうか?
この読みは正しい読みであると思います。「正しい」というのは、倫理的に正しいという以上に、コミュで描かれていることに沿っているという点で、そう言えると私は考えます。というのも、「シャワー」で描かれる一場面がこの問題点を明らかにしているように思えるからです。
それはシャワーを浴びている最中に円香が悲鳴を上げた場面です。悲鳴を上げた後で円香はプロデューサーを責めています。「トラブルがあっても目を閉じ続けているなんて、さすが、紳士の鏡ですね」と。これは円香流の皮肉で、「あなたは私の水着姿を見ないように「紳士」であろうとしたわけですが、私のことを見ていないということはつまり私の身に何かが起きても気づけないってことですよね? それってプロデューサーとして無責任なんじゃないですか?」と言っているように聞こえてくるわけです。
ここで思い返したいのは、【ギンコ・ビローバ】で円香が言った「薄着」という言葉です。アイドルは薄着で、守られていない。アイドルはいろんな人から勝手に欲望されたり、あることないこと言われたり、査定されたり、消費されたりする。これはそのまま水着にも当てはまります。水着自体が薄着であるというだけでなく、水着姿の女性は、性的な視線の対象とされやすいし、性的な消費の対象とされやすい。いちおう当人の意志を確認した上でですが、アイドルをそういう場に送り込んだのはプロデューサーです。ならばプロデューサーは「薄着」のアイドルを守る責任がある。しかしプロデューサーは撮影現場に立ち会わず、自分の責任から逃げてしまったわけです。それもしかも、円香に鋭く追及されないようにという保身のために。このことは責められてしかるべきことなのではないでしょうか。
ここからもう少し突っ込んで、水着とは何かということも考えられる内容であると思います。そもそも水着姿の女性というのは、性的なものなのか? 女性の肌、女性の身体は、性的なものなのか? この【ダウト】で問われているのは、プロデューサーの側の考えです。プロデューサーには「下心」という発想があり、水着姿の女性と性的なものを結びつける思考があると考えられます。ですがしかし、その思考は自明なのでしょうか?
これは全く自明なことではありませんし、当然なことでもありません。ある特定の(女性という特定の)身体が「性的である」というのは、全く自明なことでも当然なことでもありません。ある特定の身体が「性的である」のは、その身体を「性的である」とまなざす視線においてだけです。ある特定の身体が自ずから性的なのではなく、ある特定の身体を「性的である」とみなす視線があるからこそそれが「性的である」ということになるのです。【ダウト】のコミュは、この点にまで連れてきてくれるものだと考えています。
女性にとって夏のファッションで薄着になったり、海やプールで水着を着たりするのは、そうすることによって男性の視線を求めるという人ももちろんいるはずですが、そうした意図やそうした意図を持った人で全てであるわけではありません。問題は、そういう意図や、そういう意図を持った人で、全てだとする認識です。男性に評価されるためではなく、まして誰に評価されるためでもなく、自分自身のために、自分自身が良いと思うために、薄着をしたりするという人たちがいることを忘れてはならないと思います。
ただTrueコミュを読むと、水着グラビアの仕事について円香自身も恥ずかしくないわけではないということも示唆されていました。おそらく「でも、隙を見せても、あなたは何もしないでしょ?」という言葉の方が(Pドル的なので)大きく取り上げられているのだと思いますが、個人的には「恥ずかしく思っているのだと知られたら終わり」という言葉の意味の方が気になっています。
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円香はよく、本当はプロデューサーのことが好きであるという風に語られるところが多いように思います。もしかしたら本当にそうなのかもしれませんが、私にはそうは見えません。これは私個人の好みであるとか、私個人のセンサーの問題であるとか、私個人の考え方によるのかもしれませんが、円香のPラブ的読解や、Pラブ的二次創作はあんまりピンとこないことが多いです。というのも単純に、私には円香がPラブに見えないからです。Pラブと考えないのなら、円香のノクチルメンバーとの百合ものが好きなのかと問われれば、そういうわけでもないです。
個人的に円香のコミュにおいて興味深く思っているのは、どちらかと言えばプロデュースシナリオの方です。でもそれはPドル的なもの、Pラブ的なものとしては読んでいません。円香自身が自分の心の内について言葉にすることについてどう考えているかとか、他のアイドルに対してどういう言葉を言えばいいか考えるところとか、プロデューサーの発した言葉をどのように聞き取るかとか、そういうあたりに注目しています。つまり言葉について。円香ほど言葉に対してシビアな人は、シャニマスにはいないように思います。私は円香のこの言葉に対するシビアさに興味を持っています。