ゴジラ-1.0、追加的感想。ネタバレふせったーリンク先長文。「ゴジラにそれ撃っても無駄だろ」問題そのものが映画の骨子とか素晴らしい一方で思想的には左が足りないと思うぞい的な。あとまさかの五・一五事件再燃問題(!?)で怖くなった。
※一部、通常TLで呟き済みの内容重複を含む。
・冒頭の「20mmくらって無事な生き物がいるか!」云々が直球の骨子というか、「ゴジラには大抵の通常攻撃は無駄である」というある種の前提的な論が「神風特攻で死ぬこと」と結びつき、最後に「この戦いはやらなければいけない割には結構効果があって無駄にならないし、しかも生き延びる」という結論に辿り着く構成には唸らされた。結論そのものに対する異論はあるかもしれないけど(ストレートにハッピーすぎるといえばそう)、やはり行いが背景とリンクする様は上手いとしか言いようがない。劇としては基礎かもしれないが、基礎が強い奴は強いのだ。
・一方で、というには作品感想から9割ぐらい外れてしまい申し訳ないのだが、反戦メッセージが基本的に大日本帝国軍「自身だけの」人命軽視の話しかしていないのだけ個人的にはどうかと思った。われわれはまず先行して他国の人命を軽視した侵略者なのだから、「ゴジラが日本以外の国を攻撃する前に、われわれ日本人の手と血で、日本の領土内でゴジラを殲滅する」程度の左気味な綺麗事は是が非でも言うべきだったと思っている。その方が「待って旧軍の兵器で国際貢献だとか何だとか言い出すのか!?」的な面倒な議論も付け足せて面白かったろうし(右も左も苦しむような葛藤や議論は普通「面白い」ものである)。
・中盤の白眉たる機雷戦〜高雄戦はもう本当にどうしようもないぐらい素晴らしい。効かないと困るけど現実的には効かないだろそれ→いや効くのか?→効いてない!!の繰り返しエスカレーションが実に美事で、その〆としての熱線も最高。
・熱線がジェノザウラー式っぽいのもワクワクしましたね。既に方々でも言われておりますが、ゴジラの熱線や応用技は各作品・各監督ごとの大喜利大会になっていて楽しい。
・都内での「核攻撃」も、言われてみると今までありそうで無かった(いやFWとかは派手に吹き飛ばしてた気もしますが)、そして誰かがいつかやるべきだったのをついにやってくれた、という有り難みが凄い。
・四式中戦車と震電で無限に笑う(それはもう庵野的/あるいはハリウッド怪獣優勢思想組的な「狂ったオタク」じゃなくて「普通のオタク」だ!!!)
・いや俺だって震電は好きだけど!!!
・しかしというかもちろんというか、雪風と響というあまりにも最強の組み合わせでの最終決戦は完全に燃えてしまい、普通のオタク性に対して土下寝せざるをえない。
・浮かす!沈める!な当時でもなんとかできそうなワダツミ作戦も本当に素晴らしいアイデアだし、パンフにもあるようにちゃんと劇中で「これで本当にイケるんですか?」と執拗にネタにしているところも好き。
・作戦説明で突然目がイッちゃってるマッドサイエンティストの目になる吉岡秀隆が素敵過ぎた。なんかあの瞬間だけ「この人、マジでゴジラを殺るし殺れる気だ・・・!」ってフィルムの緊張感がおかしくなってましたよ!?(実際は全くそんなことなかったという流れで逆にビックリしました・・・)
・あとこれはもうゴジラ-1.0という映画ではなく日本という国家が本当に悪いんですが、なんせ戦後やたらサクサクと復興しておる(少なくとも作劇上そのように撮っている/撮るしかない)ので、大局的には「0からマイナスへ」というより「1から0.5へ」程度の見え方になっており、0担当が神木君個人だけになっているのもなかなか迷うところである。
・もちろんこの映画は「主役」神木君の個人ドラマ(の比率が極めて高い)映画なのであり、これは良い悪いを通り越して正しい。
・もちろん(二度目のもちろんでござる)首都が核攻撃されているのだから日本国だって実際はバキバキのマイナスなんですが、フィルム上ではそこ(核攻撃後)の描写に拘っていないよね、という話です。
・そういえばこれは重箱の隅へのスパイラルグレネードミサイルで申し訳ないのですが、国会議事堂まわりを核攻撃で吹き飛ばしている以上、国に対し最低でも内閣総辞職ビーム程度の打撃はあったはずであり、そこらへんになると「政府が信用できないから民間でなんとかしよう」ではなく「政府が消滅したので民間でなんとかしよう」になるのではないか。
・政治家はさっさと東京から逃げ出していた、という設定ならそれはそれで描写したりセリフにしたりしてよかったと思うのだが。(もっともこの場合「政治家はさておき行政云々は」という話にも繋がっていき、それはそれでスパイラルグレネードミサイルの発射数が増えてしまって難しいのはある。上では「政府」と書いてしまったが、実際にはもちろん国会与党野党内閣各官公庁と話はややこしく、比較的行政しか描かなかったうえで総辞職ビームの被害を適確にコントロールしていたシンゴジはやっぱり上手いという話にも戻ってしまう)
・パンフの話になってしまい=作品外の話になってしまいもうマジで本当に申し訳ないのですが、コロナ禍後で国の行動が信頼できなくなったので民間の話に、みたいな流れにはどうにも不安を感じてしまう。ここでいう民間とは具体的に何を指すのか(指し間違えればそれはすぐに国以下の性能と信頼性しかないわけで、要するに国の酷さは貴方の有能さを全く保証しないのだ。主権者はしょせん国民に過ぎないとも言う)。
・というところで出てきた集団と解決策自体は、しかし上述したようにむしろ素晴らしいものであり、この辺の塩梅が実は良く分からない。別に国より有能な民間が出てくるのは(あーだこーだ言ったくせにあれですが)無問題です。ワダツミ作戦自体はまさに怪獣特撮映画・空想特撮映画の伝統に連なるフィクショナル科学バトルの一種であり、大変下品な言い方になってしまうが、「反ワクチン運動的な方向性とは真逆の正解(あえてこう言い切る)」なのではある。それが民間から出てくるのも繰り返しになるが全く問題無い。問題なのは「作戦の統括・プロデュースを行っている、民間、とはなにか」「あの対策委員会は何処の誰が責任者/発起人/管理運営者だったのか」という話である。
・まぁ海軍周りの人たちg・・・えっ待って・・・シビリアンコントロールなにそれな軍人???・・・政府は期待できない軍人頑張れー???・・・ウッ頭が・・・!!(ここ気にしないのはマズい気がしないでも・・・ない!!!)(なんかこれは、これだけは絶対ヤバいよ!!!)
・最終決戦でゴジラのテーマが人間攻撃ターンに使われたのがあまりにも衝撃。確かに超燃えるけど・・・萌えるけどそれゴジラさんのテーマであって人間如きが「使っちゃ」いけないんじゃ・・・!?
・と思ったのですが、伊福部氏的には人類がゴジラに立ち向かう曲のつもりで作ったらしい、という衝撃の情報をTLで見かけてビックリしている。マジ?マジで???今までそんな使われ方したことあった?(初ゴジであのテーマが使える迎撃場面なかったような?的な意味も含めて信じがたいが・・・)
・比較的評判の悪い「演技のくどさ」「全部台詞で説明」自体は、実は個人的にはあまり気にならなかった。と思ったのですが、今思うと対ゴジラ戦の場面はさておき、日常場面の方は少し自分の好みと違ってたなというのはあった。台詞回し的にも感情的にも富野アニメぐらいお互いを傷つけ合ってもよかったように思う(何(話ぜんぜん違うだろそれは!!!
・最後のゴジラ感染(?)、あれはもちろん続編と言うよりは「オチ」なんでしょうけど、シンゴジからそこの要素引き継ぐんだ?みたいな意外性はあった。