劇団チョコレートケーキ「帰還不能点」感想。
タイトルは航空機が燃料の残量的に出発地へ帰還できなくなるポイントのこと。転じて取り返しのつかなくなる場面を指している。太平洋戦争中、民間・官僚・軍人問わず能力の高い若手エリートを集めて、総力戦についての研究をさせていた総力戦研究所という組織が存在し、そこに集められた彼らは開戦前の時点で対米戦の敗北を予想していた。彼らが模擬内閣を行い対米戦は敗戦するという結論を出すところから舞台は始まる。しかし実際大日本帝国はアメリカと戦争を始め大敗。
終戦5年が過ぎたタイミングで、総力研同期の男たち9人が小さな居酒屋にやってくる。研究所に日銀から出向していた山崎という男が病死したため、彼の妻が営む居酒屋で追悼を兼ねた同窓会をしようという集まり。海軍、陸軍、内務省、外務省、文部省、大蔵省、民間企業といったさまざまな組織からやってきていた男たちは、戦後の境遇も様々で昔話に花を咲かせるうち、自分たちが予想できていた敗戦に突き進んだのはいったい誰が原因なのか?という話になっていく。そして劇中劇としてメンバー入れ替わりで歴史上人物を演じる形で、満州事変長期化→ドイツへの接近によるアメリカとの関係悪化→南インドシナ進駐→開戦という流れが描かれる。
このパートについては、重い題材ではあるけど、劇中劇という形をとっているのと、それぞれのメンバーのキャラクター性などもあって、難解になりすぎずに楽しんで観ることができる。また、日本史については受験で勉強した程度の知識なので、陸軍参謀は満州事変の長期化を避けようとして早期講和を主張したが、国民の支持率を優先した第一次近衛内閣が強行姿勢をとり長期化させたとか、ドイツでヒトラーに心酔した松岡外相が日独伊ソによるユーラシア大同盟を主張し対米関係を悪化させたというのは面白かった(これはあくまでひとつの見方なんだろうけど)。こういった文官による失策が繰り返された結果、米の経済制裁をうけてゴム不足が生じ、ゴムがないと武器が作れない!という軍の強い希望のもと南インドシナ進駐が行われたが、それが歴史上の帰還不能点であり、日米開戦に向かったというストーリー。
軍には自己保全意識があるという話が繰り返し出てきて興味深い。軍は組織としての安定した存続を重視するから、基本的に通常時は負ける戦はしたがらないけど、石油禁輸などで情勢的に追い詰められて軍という組織が存続できないかもしれないとなったら開戦を絶対に譲らない。
しかし劇中劇が終わって飲み会もおひらきという空気になったところで、岡田という今回の発起人の男が話し始める。自分は広島に原爆が落ちたとき出張でその場にいた。幸い無事だったが、多くの人が亡くなるのを見て、自分たちはこの敗戦を開戦前に予測できていたのに、止めるためにできたことはなかったのか?という自責の念に駆られ、官僚の仕事もやめた。山崎も同じで、戦後は日銀を退職し、定職につかず困っている人をひたすら助けていた。そう聞かされて他のメンバーは反発したり、過去に縛られるなと岡田を諭したりする。総力研は敗戦を予想していたが、上層部からの圧力や立場上の忖度もあり当時それを強く提言することはできなかった。それでも最後、彼らはもう一度模擬内閣を行い、今度は満場一致で対米戦避けるべきという結論を出す。このシーン、舞台序盤の模擬内閣と完全に反転した配置になっていて、それまででいちばん照明も明るくなっているのが、いわば総力研メンバーにとっての帰還不能点は模擬内閣で、彼ら自身の魂を救うためにそれを正しい形でもう一度やり直しているのだと感じて泣いてしまった。
キャストが全員演技が上手い。セリフを言わされているのではなく自分のものとして話している。特に山崎の妻役の黒沢あすかさんは、劇中劇で演じる近衛文麿の妻、松岡洋右の妻、山崎と出会った昔の姿、現在それぞれの変化が凄かった。それにしても劇中の女は全員私的な場面にしか存在していなくて、皆難しいことはわからないけど…というセリフを口にするので、戦前って本当に女が国の意志決定に不在だったんだなあと思わされる。あと陸軍出身の城を演じる粟野さんの男!って感じと、大蔵省の泉野を演じた西尾さんのエリートっぽい雰囲気もよかったな。そもそも今回観に行ったのはパラドックス定数の「ブロウクン・コンソート」で今里さんが演じてた抜海がめちゃくちゃ良かったからなんだけど、今回の今里さんも良かった!柔らかい雰囲気と必要なときにピリッとする感じ。次はまた他の劇団に5月に客演するらしいから観に行こう…。