ちなみに自分なりの宮沢賢治『やまなし』の捉え方(考察教室 特講②未読時)
▼青空文庫『やまなし』
https://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/46605_31178.html
話全体として人生観・死生観などを表しているんじゃないかと感じた
小学6年生の教科書に載ってるという事で、それで何を勉強するか、の取り組み方のを見せてもらったのでいくつかそれに関連して話していくとする。
★やまなしが「5月」「12月」の2つの季節で構成されてる上で、使われている言葉に着目して対比し、考えをまとめる
・対比
「5月」昼・初夏(明るい雰囲気)・怖い事(死)
「12月」夜・冬(暗い雰囲気)・良い事(楽しみ)
で、簡単に言えば「人生苦あれば楽あり」を表現してるかなあと思った
偏っている訳ではないからどちらもあって然りというか、いつ何があってもおかしくないというか
幸せに過ごしててもいきなり死の恐怖を感じもすれば、厳しい季節でも良い事もある
っていう結論を曲がりなりにも自分で出してから読むと、ただ見るよりはこの話がなんで作られたかの理由付けができた
(もちろんあくまで自分はこう思った、なので本来は違うと思うけど、仮にでも道筋が出来ると俄然読みやすく興味が持てた)
★なぜ12月しか出てこない「やまなし」を題名にしたのか
なんで題名に「蟹」とか付けなかったかって事だよね
12月っていう季節は正直考慮できてないけど、他と違う所を…と探した結果、
「唯一意思がないものだからかな」という結論しか出なかった
(他にもあるんじゃっていう見逃しはあると思う)
蟹とかカワセミとか魚とかは自分で動く事ができるけど、やまなしだけは流れに任せるしかないから
自分が出した人生観とかに当てはめると、
「人生には自分で変えられる部分とは別枠でどうしようもできない事がある」
という象徴としてやまなしを持ってきたのかなあと(うまく説明できてないのは分かってる)
◆その他、メモとか堺屋さんと話した事とかつらつら
・兄弟の会話どっちがどっちか分かりづらいっちゅーねーーん
・クラムボンis何(色々説があるのは知ってるけど)
・魚の動き(上流or下流)でクラムボンの表現が転換するの何かを表しているのか?
・情景の比喩が凄い、しっかり読むと情景がそれなりに浮かんでくる(イメージ貧困のためそれなり)
・何を「とってる」かが謎
・得体の知れないもの、恐怖を言語化出来てない感ある
・「青くてね、光るんだよ〜」の辺り、子供達は突然の出来事にフリーズしてたけどお父さんから話しかけられて安心して氷解して、
今の感情を吐き出したくて話してる内に興奮してきて息せき切ってまくし立てるように話してると感じたけど珍しい感想だったらしい(いやなんか子供ってそういう自分の感情が制御出来ない事あると思って)
・12月の川の描写、すんごい色々流れてくるしなんか幻想的な比喩
・全体的に擬音のクセが強い
・やまなしって実在してたの!?!?想像上とか仮の名前とかかと…
・「ぼかぼか流れていく」の感じが分からなくて、殴る擬音のイメージが強かったから
複数でお互いぶつかりながら、っていう風にも取れるなあと思ったらそれも珍しい感想だったらしい
・読み込むとちゃんと景色とか環境が説明できるらしくて、仕込み方が「気持ちわるっ」って感想になると聞きました(変態だー)(早く考察教室読んで確認したい)
・最後に出てくる「私」is 誰(冒頭時点ではまだ神目線とかにも取れるけどいきなり人格として出てきおったから)
忘れてる事もあるけどこんな感じの感想と話し合いしてた
よし!!とりあえずでも自分の事前感想まとめたからこれで本読めるぞ!!!