『ゲゲゲの謎』の初見後の感想を残しておきます
(2回めを観に行く予定があるので)
(ネタバレ配慮はやっぱりfusetterがいい、読者が最初からそのつもりで閲覧するから)
以下、ネタバレを含む雑多な感想メモ、
ヒロイン役が最初に登場したとき、「ああ、この少女は死ぬんだろうな」と思った。思いますよね。
シーンを重ねるごとに死相が増していく(東京に連れて行ってください)。最後の場面で犠牲になるんだろうななどと(などと?)思いながら観ていると、3番めの殺人事件が起きて、真相がわかる。物語内で真相が明かされるのは少し先だけど、一定のリテラシーがあれば、3番めの殺人の犯人は明白だし、それなら当然そういうことになる。
ちょっと手前のシーンで「ヨリシロがいれば話は別」みたいなセリフがたしかあって、でもそこではなぜかヒロインは想起されなかったんだよな。
作品ジャンルの「お約束」として「このキャラクターは幸せにはなりません」という情報が暗示された上で、そこから捻った裏切りをしてくるところが憎いなと思う。
映画の本当の冒頭がどんなふうだったか記憶がなくて、わたしの記憶は浮かんだ金魚から始まる。なにあの表現!? かなりすごい作品だという噂は聞いていたし、わたしの記憶から落ちている冒頭シーンもすでにすごかったはずなのだけど、あの金魚と列車で完全に目が覚めた。これはとんでもないぞと。
列車内のタバコと咳。水木がタバコを吸いかけて止まるシーン。あれって、子どもの咳き込む声に反応して止めたわけでは、たぶんない。だってもっと前から子どもは咳き込んでいるし、にもかかわらずタバコに火をつけようとしてるんだから。でも、素直に見れば「子どもの咳を聞いて躊躇う主人公」に見える。でもたぶん違う。ほんとうのところはわからない。痺れる描写だと思った。
予告動画をあとから観たんですけど、たしかこのへんで「おかあさん……」ってセリフありましたよね。あれ誰の何なんだろう。ちょっと『葬送のフリーレン』の魔族みたいだなと連想したことしか記憶がなくて。2回目の宿題。
村に着いて、鼻緒の切れた少女に出会うまでのシーン。風景、風景、風景、下からアオリで主人公、みたいなシーン。めちゃ
「昭和の日本映画!」って感じでよかったですね。具体的にどの映画っぽいのかとかは特にないんですけど、角川映画でありそう〜!!と思いました。こういう演出自体はぜんぜん現代の作品にも受け継がれていると思うんだけど、なぜか「昭和の日本映画」っぽく見えてしまう不思議。そこにいたるまでの説得力がすごいから、さらに上乗せされていくんだろうな。
遺言状の開封シーンが完全に横溝正史。
だったからこそ、この映画のなかのリアリティは現実と同じなんだろうとミスリードされた。京極堂もたしかそうだと思うけど、「とても不思議なことが起こる」けど、すべて常識の範囲で説明がつくのだろうと。
禁忌の島に上陸すると変な高い音が聞こえるみたいなことも、放射性物質があって超音波が出ていてだから体調や心がおかしくなるのだろうと思いこんでいた。ほんとに妖怪はいるのか! そうかー。ぜんぜんアリでした。ある意味、近年のミステリ小説でよくある「特殊設定ミステリ」みたいですね。こういう脚本があるんだという驚き、面白さ。
でもそのおかげで、バトルシーンがめちゃくちゃアツく描かれるという嬉しさ。ゲゲ郎と鬼殺隊(ではない)が建物の屋上あたりで戦うシーン、よかったですね。輪郭線がブレてるみたいなタッチの表現。面白かった。
工場での狂骨との戦闘シーンがいちばんの見せ場なのだと思ったので、そのあとのラスボス狂骨はちょっとダレるなと一瞬思ったんですが、精神戦闘になったりしたので流石でした。
あとちょっと戻るけど、水木を殺そうとするときに素手で首を絞めるところ本当にとてもいいですね……(よくはない)(ほんとうに)。狂骨の力をつかえば簡単に殺せたはずなんですよ、水木はただの人間なんだから……。でも愛したかった男を殺さなくてはならないのであれば、呪いも道具もつかわずに手で絞め殺さないわけにはいかない……。そうだよな……。
そのあとあっさり物理で殺されてしまうのも切ない。強い重要なキャラクターが端役に不意に殺されてしまうシーンって、ときどきあるよね……。あれ不思議な味わいがあるよね。。。
ラスボスがずっとグロテスクでほんとうにすごかった。大丈夫なのか。惨殺の描写よりもよっぽどグロテスクに思える、醜悪な敵。すごいね。
どうやって現代編に戻ったんだっけ。本当の最後の戦いのところ、気づいたらボロボロに涙が流れていたので前後の記憶があまりなくてね……。
エンドロールは情緒がおかしくなっていたので絵だけで物語をちゃんと補完できなかったのが悔やまれる。スタッフロールもそれはそれで見たいし。
もう一回観てきます。