#GOT 昨日つぶやいてて思い出したので改めて。最終シーズンの予告で、ネッドが口にしていたスターク家の教え『孤狼は死に、群れは生き残る』を朗読しているのがジョン・スノウではなくサンサだったのが意外だった
けれど、思えば彼女(血筋はスタークだが、現在の姓はボルトン)は、解体してしまったスターク家(長男は死亡、次男は七王国の王となるも世継ぎは望めず、次女はスターク姓のままだが西へ出奔、異母兄だったはずの男はスタークの血は継いでいるものの実はターガリエンの嫡流で懲罰のためナイツウォッチに)の代わりに『北部』を一つの家としてまとめ、来るべき冬に備えようとしているんだと気づいて胸の奥から何かがこみあげた。
ロブも、ブランも、ジョン・スノウも、アリアにさえできなかった『父の意志を継ぐ』生き方を、兄弟のなかで父から一番遠くにいたように見えた彼女が選びとったこの不思議。
実父に疎まれ弟に家督を継がせるためにナイツウォッチに追いやられたサム、母の命と引き換えにこの世に生を受けた異形の子として父と姉に憎まれてティリオン。ティリオンの姉サーセイは女であるという理由から父に政治を学ぶことを許されなかったがその野心と不屈の精神で女王の座を得た。デナーリスも、女であるというただそれだけで兄ヴァイサリスに政治の道具として使われていたけれど、ターガリエンに伝わる竜の力を継いでいたのは兄ではなく彼女の方だった。
サンサの弟ブランは『三つ目の鴉』として人類の記憶を継ぐものになったが、それは彼が望んでいた道ではない。
『ゲーム・オブ・スローンズ』は、思えば『望まれなかった/望まなかった者たちがあとを継ぐ物語』としての側面も持っている。
サンサの話に戻る。ドラマ開始当初の彼女は美しく従順で、故郷をでてハンサムな時期王と結ばれることを夢見る少女だった。
『私はレディになんかならない!』と、当時の風習に抗い歯を剥いていた妹アリアと違って、年長者たちの教える『女の幸せ』を素直に信じそのために自分を磨く、健気だけれどちょっと思慮の浅い(と現代を生きる我々には見える)美しい少女。
けれども、そんな彼女の歩む人生は過酷だった。
政略婚のために王都へ赴き、政争に敗れた父が反逆罪の汚名を着せられ処刑されると人質として過酷な日々を送ることになる。命からがら逃げ出した先でも待ち受けるのは陰謀と政争。彼女はその血筋と美しさゆえにあちらへこちらへと引きずりまわされ、退屈していた猫につかまった鼠のように面白半分いたぶられた。
最終シーズン、かつて彼女を王都から連れて逃げようとしたハウンドが彼女に向って『オレと一緒に逃げればリトル・フィンガーもラムジーも経験せずにすんだ』というシーンがある。それに対する彼女の答え『だからこそ今がある(ゆえに私はあの時の選択を悔いてはいない)』が、『レイプされたからこそ私は強くなった』という旧来の創作物で見られるステレオタイプの踏襲であり、いわばレイプの正当化にあたると一部から批判を受けた。
だが、あの台詞に込められた意味は違うと私は思う。たとえハウンドに連れられ地獄から逃げたとしても、その先にはまた別の地獄が待っていただけだと彼女は悟っているのだ。たとえハウンドが彼女を愛していたとしても、その愛は彼女を救わない。自分の意志で行動することができず、力を持つものの庇護に頼り、不満や不安があってもそれを顔色に出すことすら許されぬ生き方こそが地獄の入り口だと、既に彼女は理解しているのだ。
彼女は地獄を潜り抜け、生き延びた。その戦いのなか、彼女は己の意志で立ち、動く自由と力を得た。ならばそれでいい。大切なのは、今彼女が自分の足で立ち、歩む先を自分で決められるということだ。不幸な過去をやりなおす必要を、もはや彼女は感じていない。
既に述べたが、ドラマ開始当初の彼女は、父ネッドから一番遠い子供に見えた。故郷を愛する兄弟たちのなかで唯一王都への憧れをあけっぴろげに口にし、父が切々と語る大狼(スターク家のシンボル)の教えも、彼女の深いところには届いていないかのように我々視聴者には見えた。だが、結果として、兄弟のなかでもっとも愚直に父の教えを貫いたのは、彼女だ。
この話を、どうまとめれば良いだろう。
このドラマは多くの要素を合わせもつが、その一つに『望まれなかった/望まなかった者たちが跡を継ぐ物語』というものがある。人生においても、しばしばこうしたことが起こる。望んだ道を歩めなくても、人生は続く。だが絶望する必要はない。己の足で立ち、歩みを進めることができれば、道は拓ける。たとえ困難であろうとも。
ありきたりだが、そんな教訓を、今のサンサの姿を見ていると思いだす。