極兄者の「主の重宝」への個人的なあれそれというか感情の整理
三日目のお手紙のラストで「君のために使ってみよう」とあったのであ〜んやっぱりそういう変化に持っていくんだな…とはおもってたけど、刀剣乱舞の極システム自体が、その変化や分かりやすさの差はあれど「主(プレイヤー)の刀」としての自覚を得た状態で帰ってくるパターンが常だから、修行に出すっていう判断をした時点でそれなりに覚悟はしてたんですよね。心配してたのはその変化の仕方だったというか…。
たしかに審神者(プレイヤー)に対して「君の重宝」「主の重宝」っていう言い方をするようになったんだけど、別にこれって髭切にとって審神者が「特別な主」になったというわけじゃない感じなのが個人的にめっっっちゃよかったというか安心しました。源氏の重宝の名乗りはなくなっちゃったけど、他ボイスで源氏源氏いってるし、「源氏に勝利を!…あ〜、違うか。まぁ些細なことだよ☺️」あたりとかすごいわかりやすいけど、言葉の通り兄者にとってまあそのへん些細なことなわけです。力を貸す相手が、過去の時代は源氏、今は審神者になったっていう…。加護を与え力を貸す相手、持ち主として認めてくれたというのはいち審神者として本当に嬉しいし(マジで恐れ多いけども)。二日目のお手紙の頼朝に対する発言をみて、一人の持ち主に固執してない感じが兄者っぽくてめっちゃ好きだな〜っておもって、私(審神者)もそんな感じの関係になれたら個人的は嬉しいなっておもってたので……。
極前の兄者はおおらかでふわふわしてるんだけど、破壊セリフ(セリフ自体地雷の方いたらすいません)の「もう源氏の世じゃないからこうなるのも当然かな」にもあるように、どこか自分の存在価値が過去(源氏の世)のものだとおもっているところがあるのかなとおもってたので、存在価値や力を使う先を今現在にも見いだしてくれたのならすごく嬉しいし、極後のほうが言葉がしっかりしてる気がするし、声の出し方とかも、楽しそうっていうか……なんか前より地に足ついて生きてる感じする。前向きというか。
でも急にハキハキしだしたって感じじゃなくて、兄者のふわふわおおらかおっとり不思議感はしっかり保ちつつ…って感じの変化だったのですごーーーーく良かったな……。よい変化です…(しみじみ……)。兄者が兄者らしいままに、今を楽しく、刀剣男士として存在することに意義ややる気をもってくれてるのは嬉しい。
でもまあ「主の重宝」の名乗りに関しては、「やあやあ我こそは!源氏の重宝!〜」の名乗りが大好きだった身からするとびっくりしたし申し訳ないけど違和感と寂しさ?みたいなのは拭えないし、素直に前の方が好きだな〜〜〜〜〜。これは多分ずっと聴いてたら慣れるってもんでもなさそうなのでずっと「源氏の重宝」の名乗りのほうが好きっておもってると思う。
源氏の重宝!兼、今は審神者の重宝でもあるよ〜ぐらいのスタンスでいいんだけどな…。だって源氏の重宝なのは今も昔も変わらないでしょう。他の子にも言えるけど、審神者の刀になってもらえるのはすごく嬉しいことなんだけど、過去の主たちとの歴史や思い出や気持ちを消してほしいなんて全くおもってないし、むしろその過去の主たちとの歴史が、顕現したあなたちの性格やかたちをつくっているわけなので、むしろめいっぱい大事にしてほしいんだけどなあ…と、おもってしまいますね…。