spiさん主演映画『SINGULA』感想。
やっと書きおわった…。
前半は主にspiさんの演技や好きな展開について。
後半に「私はこのストーリー&結末をこう受け取った」の考察モドキを入れてます。
この作品、あらすじで言ってしまうと非常に単純です。
「15体のAIが、人類は滅亡するべきか、存続するべきかのディベートをする」(全編英語・日本語字幕上映)
以上。
ただ、異質かつ最大の特徴になっているのが(すでに散々言及されている話ではありますが)その「15体」の演じ分け!!
15体それぞれに搭載されたメモリーチップには、実際の人間の記憶が登録されているとのこと。そして彼らの言動・行動も、メモリー内の人物に大きく影響を受けています。
外見は全員全く同じビジュアルのまま、
「バイタリティある青年」
「穏やかで憂いを帯びた女性」
「粗野な殺人犯」
「はすっぱな不良少女(よりちょっと年齢は上っぽいですが…)」
「思慮深い老人」
を、spiさん一人が表情、発声、英語のアクセント、姿勢や仕草で全部演じ分ける訳ですよ。
これ、洋画好きの身には堪りませんでした!!本当にすごかった!!!
要するに全員に対して
「そういった役柄の俳優が行う典型的な身体表現を研究・トレースして演じてる×人数分」
という状態で、うわぁぁぁああこれ役作り途方もない作業だっただろうな………ってくらくらしました。
生真面目な役はきちんと重心を中央に置いているし、活発な役はツンと顎をを上げて間断なく軽い身振り手振りを続け、老人は背中を丸めて後ろがかりに座っている。
同じ俳優が演じてるのに、ちゃんと別人同士がそれぞれの思惑を持って駆け引きしたり、口論したり、好意を抱いたり不信感を持ったりっていうやりとりをしてるように見えてくるんです。
ちなみに見てる最中に「モーガン・フリーマンみたいだ……」と思って感想ポストした役は、さあネタバレ解禁だ!ってインタビュー見たら本当にモーガン・フリーマンを参考に演じてたそうで、ウワーーーーー!?ってビビり散らかしました。
ノーヒントでコピー元を連想させる演技力、おっそろしい方です…。
そしてその個性弁別の過程(ひらたく言ってしまうと自分が15体を見分けられるようになっていくこと)が、「本来デジタルなはずのAIという存在が複雑なグラデーションを持ち始める」という映画のコンセプトに強力な説得力を付与していました。
これ別々の俳優使ってた舞台版を踏襲してたら、もうまったく別の映画に感じられたでしょうね…。
あと、「1人15役」を日本語で作るのもさすがに無理だったと思います。
良くも悪くも「様々な地域・社会階層の話し方と振る舞い、及びそれに対して蓄積された演技パターンがある」英語作品であってこそだなあと。
(日本語の発音は、比較的社会階層間の落差が小さい。女子高生、自衛官、料亭の女将、ヤクザ、お笑い芸人…みたいに極端に振れば演じ分けも可能かもしれませんが、映画として成立しなくなりそう)
英語堪能、発声変更自由自在、かつ身体表現の言語化と分析にも長けたspiさんだからこそ成立した作品だったと思います。
本当にお見事でした。
以下、ネタバレ感想
↓↓↓
SINGULARITY(特異点)。
特にAIについて言う場合は、人工知能が人間の知能を超える技術的特異点。
“先生(プロフェッサー)”と呼ばれる人物によって造られ、いよいよその特異点を迎えようとしているAI達が、人類を存続させるべきか否かの議論を行う──
………という出発点から、えっそうなるの?
え、なんか思てたんと違う方向に着地する感じ?
え???
となってからが本番の映画だと思いました(笑
とりあえず、予告にあった『デスゲーム』要素は非常に限定的。
そして『ディベートバトル』の形もちょっと予想と違った。
これはあくまで私の読みとった話なのですが、あの議論を通して意見を変えた“AI”って多分いないと思うんです。
が、その話はちょっと長くなるので、後の考察モドキ項で……。
まずは思ったことの箇条書きから。
●最初に書かれたのが2018年ということで、『AIと人類』について交わされる議論自体にはそこまで目新しいものはありません。
けれども各人の”中身“が伏せられた状態での鑑賞になるので、「◯番に入ってるのはどんな人物で、次に何を言い出すんだ?」という”転がり“のスリルを味わう+それを叶えるお芝居にすっげーーーーーって圧倒されるのが本当に楽しかったです。
基本的に、仕掛けの豊富さよりは、語りののどごしを楽しむ比率の高い映画だと思いました。
●と言いつつ、序盤の展開のキレはすごく好き!!
特に痺れたのが、1番・15番の対話です。
わりあい平均的な男性らしく見える1番が主人公格、生真面目な話し方をする女性の15番がヒロイン格なのかな…?と仮定を置いた直後に1番が鬼気迫る表情を見せて攻撃的な存在になるの、テンプレートを前提にしたショックが映えてた!
こちらが物語を読み解こうと伸ばした手をとって巴投げされるようなスリル大好物なので…笑
すみませんこれは私のフェチです。
●2番のピアニストと5番の殺人犯っていう極端な人物像がチュートリアルみたいになってるのもよかったですね。
喋り方・経歴・アイテムで特に分かりやすく判別できる登場人物がいてくれることで、消去法で残りの面子も判別しやすくなるので助かりました。
●その演技がまた好きで…。
例えば2番のピアニストと15番の無名小説家、どちらも品の良い女性だけど
2番:
座る時の姿勢や仕草が曲線的、他者の話を聞くとき少し微笑んでいるような顔をしていて、眼差しがしっとり柔らかい
15番:
姿勢や発声がどこか緊張しているように直線的、他のメンバーに同調するときにも批判するときにも慎重さと知性が垣間見える 最初秘書か何かかと思った
脚本段階ではそこまで属性が遠いようには見えない女性同士を、あそこまで細密に演じ分けるspiさん本当にすごい。
●議論の俎上に上るのは
・人間の創造性と加害性について
・『あいまいさ』について
・生殖と絆について
・芸術と感情について
等々。
先述の通り論点自体に目立った新規性はないんですが、面白かったのは、発言者がAIであるがゆえに人間への論評が容赦ないところです(笑
例えば15番AIのメモリーチップに記憶されている女性は、生涯小説を書き続けたものの、日の目を見ないままに病を得て亡くなった小説家。
人間同士の対話であれば、よほど性格に難のある登場人物でもない限り彼女の生涯に僅かなりともリスペクトを示すところだと思うんですが、今作の登場人物はなにしろAIなので(笑)
それはもうあっさりと「それはstubbornness(頑固さ)とobsession(執着)では?」ですよ。
「人類の行いを他人事として客観視した上での開けっ広げな議論が進行する」という妙なドライブ感は、今作の妙味だと思いました。
これは真面目に、”人間的”倫理観や情緒性を排除した議論を行うためのフィルターとして「もしもAIがこの問題を論じたら」という条件を噛ませるのは、思考の方法論として面白いなあとも。
ちなみにポジティブな方向だと、12番の「演劇では、正反対のアプローチがどちらも正解になることもある(その白黒つけられなさがいいんだ)」が好きです。
演技という芸術に携わる方の血肉が通った台詞だと思いました。
●あと序盤に登場人物の個性を探っている段階で「ああ、日本語字幕では男言葉/女言葉で性別が強めにわかってしまうけど、英語の台詞ではspiさんの発声とHe/Sheの人称代名詞のみがヒントで、よりボーダーレスな会話に聞こえるんだろうな。ちょっとその状態で見てみたかったかも」って思ったんですけどね。
一方で、He/Sheっていうバイナリーな区分はこの状態になっても依然残るんだよな……言語的には仕方ないけども……って思っていたところへ、後半の家族についての話題で
「男女が結びついて家族になる」→「男と男、女と女、それ以外も」
という流れから"They"(複数代名詞だが、He/She以外の呼ばれ方を希望する人が使う単数代名詞でもある)が出てきたので、おお!って思いました。
偶然かもしれないですが、異性愛規範に対する打消しの速さを鑑みて、意図的なものだと思いたい。
●あとこれは内容に全然関係ない話なんですが、「日本語話者でもあるバイリンガルのspiさんが喋る英語」なので、日本人の私にとっては全編通してすごく聞き取りやすかったです。
イギリス発音に寄ってたり、南部訛りが入ってたり、ちょっとbitchyにw崩れていても全部聞きやすいっていう不思議な状態。
ヒアリングの教材になるんじゃないかってくらいの音声でなんかよく分からない方向にテンションが上がってました。楽しかった…!!
そしてここから先は、ストーリー&結末に対する考察的なもの。
↓↓↓
普段は自分の作品感想に対して”考察”という呼び方をしないのですが、今回に限っては自分が感じたことよりも描写の読解に重点をおいているためこの名目にしました。
……とはいえ明確な答えは用意されておらず、「たったひとつの正解」を当てに行く見方をするとつまらなくなってしまうタイプの映画だとも強く思うので!!
(ストーリーが「筋」というより「枠」として用意されてて、その中でどんな言葉が生まれるかを味わうスタイルというか)
ああでもないこうでもないと様々な可能性を考えられる中での、一個人による読解ルートのうち一つがこれ、くらいの軽さで読んで頂けたら幸いです。
また、舞台版と映画版では登場人物の名称が一部変更されていること等から、たぶんストーリーについても映画版独自の組み直しがなされているのではないかな…という前提で書いています。
基本的に映画館出てすぐ書いたメモ+インタビュー等の情報をもとに書いてますが、どこかで記憶違いがあったらすみません!
さて。
この映画を語るにあたっては結末から逆算していく方が分かりやすいと思ったので、まずはラストシーンから。
●私は1番=I=先生=人間説を取っています。
かつらを脱ぎ、手袋を脱ぎ、生々しい笑顔を浮かべ…というラストの姿は「人間/生身」を強調する演出だと感じました。
(冒頭の電撃懲罰からのエネルギーチャージは頭部のデバイスを用いたフェイク?)
というのも、序盤で2番がピアノを弾くシーンが出たときに、白い手袋をつけたままの打鍵がアップになったことで「うわ、これピアニストは絶対やらない。違和感やばい。人間の外見だけどアンドロイドだ…」って強く感じたんですね。
そしてその逆、手袋を取って肌を晒す演出は、人間の身体性の表現であるように見えました。
また序盤、1番が詰襟の首元を窮屈そうに気にするのも、同じシーンで15番が「人間みたい」とコメントするのも、それを示唆していたように思います。
で。
結末の「1=先生では?」というほのめかしの決定打を見ることで、それまで見た内容に対して複数の疑問が一斉に沸き上がります。
①彼はなぜこんな『ディベート』を仕組んだのか
②人間であるはず?の彼が、なぜ人類滅亡サイドに立っていたのか
③にもかかわらず、なぜ最終的な結論は「人類存続」になったのか
ちなみに舞台版は確認できていないので、もしかしたらそちらは別の真相が示唆されているのかもしれませんが…。
あくまで「映画を見て考えた解釈」ということでご容赦ください。
①
Q.彼はなぜこんな『ディベート』を仕組んだのか
A.そもそもこのディベート全体が、彼=先生自身の内的葛藤を、AIを用いて代弁演算した場だったのでは。
言い方を変えれば、「先生が聞きたい議論」のため、ある程度指向性を持たせたディベートだった…と考えられるのではと思いました。
理由は主に3つ。
・メモリーチップに記憶されている人間の選択に大きな偏向がある
・1がBRAIN=頭脳であり、統括的存在であることが示唆されている
(舞台版では恐らくAIたちに番号は振られておらず(?)、ブレインに当たる人物はリブ=肋骨だった 参考: https://x.com/sustainer_c_f/status/1082261451174100994/photo/1 )
・「議論に勝てばシャットダウンされない」というルールだったはずなのに、ラストで1番以外の全員がシャットダウンされている
特に人選について。
映画鑑賞中、話が6割ほど進んだあたりで「これはツッコミ待ちか!?」と思うくらいものすごく気になった点でした(笑
「人類存続」という壮大な議題に対して登場するのが
存続派:ピアニスト、歌手、俳優、彫刻家、小説家…
滅亡派:殺人者、麻薬密売人、酒浸り、テロリスト…
…って 面子偏りすぎやろがい!!!!!!!
とw
せっかくのディベートならもっとこう、「平凡な会社員」「数学者」「児童福祉施設の職員」「軍人」「環境活動家」「夭折の人」みたいなばらけた属性集めて、多角的な視点から『人類とAI』を語らないと説得力がない。
滅亡派にもより身近で共感できる個体がほしいし、逆に存続派にも「それはちょっとどうなんだ!?」みたいな論理もってくる個体がほしい。
展開の経過も、ある段階では存続サイドだった個体が説得されて滅亡サイドにいってしまうとか、その逆とか、別の論点をぶつけることで引き戻そうとして云々とか、なんかこう……あるじゃん!!もっと!!!原作の一ノ瀬さんがアイディア元って仰ってた『十二人の怒れる男』はまさにそれが肝じゃん!!!みたいな。
この顔ぶれじゃ事実上、「芸術家 vs 犯罪者/アウトロー」みたいな状態になっちゃってて…………
あれ?
というかこれ、実際にツッコミ待ちだったのでは…?
と考えました。
(いやまあ「単に原作の一ノ瀬さんの好みです」ってだけの話かもしれませんが、さすがにここについて何も考えてないことはないはず、とは思うので…。)
包括的な議論をするにはあまりに人選が狭い。でも
「芸術的創造性や感情の交流への希望を捨てきれない vs 怠惰・利己主義・攻撃性などの人間の悪徳に失望と諦念を持っている」
という先生の思考にもとづいてそれらしいサンプルが集められた、と仮定するなら理屈が通るかもしれない。
そして『採決』を取り、役目を終えたアンドロイドは全てシャットダウンされた。(統合された?)
プロフェッサーは最終的に、人類存続を選択した。
ちょっとこれは自信がないので配信で確認しないとならないんですが、それぞれのAIのバックグラウンドと、選んだであろう選択肢を整理してみました。
1:赤→青・正体は先生?(Brain/脳 舞台版ではRib/肋骨)
2:青・ピアノ (Diaphragm/横隔膜)
3:青・彫刻家 (Organs/内臓)
6:青・詩人 (Pineal/松果体 舞台ではSpinal/脊椎)
7:青・歌手 (Lang/肺)
10:青・絵を描く少年(Colon/結腸 舞台ではVein/静脈)
12:青・俳優(Sense/感覚)
15:青・小説家(Heart/心臓)
4:赤・テロリスト (Sacrum/仙骨)
5:赤・殺人犯 (Blood)
8:赤?・この人だけ何言ってたか思い出せない… (Naval/臍 舞台ではCornea/角膜)
9:赤・酒浸り (Stomach/胃)
11:赤・ネグレクトされた能弁家(Forehead/額 舞台ではGullet/食道)
13:赤・麻薬密売人(Throat/喉 舞台ではKidney/腎臓)
14:赤・怠惰な女(Coccyx/尾骶骨 舞台ではPelvis/骨盤)
先述しましたが、AIたちは議論の中で大きく意見を変えていたようには見えない。
つまりAIたちは開始時点で7対7、あるいはそれに近い状態でセッティングされていて、”参加者の顔をした裁定者”である先生がどちらに転ぶかで結果が変わる、というしつらえだったのではないかと思いました。
(結果的に、先生自身が『人間のあいまいさ』を体現するような構図になってますね)
②
Q.人間であるはず?の先生が、なぜ人類滅亡サイドに立っていたのか
A.単純に個人の思想として人間は滅亡すべきと考えていた……だけに収めてもいいけれど、せっかくだからもうすこし突っ込んでみたい。
「11番=もう一人の先生」を解釈に加えると面白くなるかも?と思いました。
ここはちょっと攻めた仮説を立てたパートです。
そもそも1=Brain=先生説の一部として、デジタル表示される「1」が「I(私)」にも見えるなーって思ってまして(笑
それでいくと、”11”は「ふたつのI」になる。
つまり彼はある種の”先生”のコピー、先生のメモリーを持たされたAIじゃないか、って考えたんですね。
11番の語る生い立ちは先生の生い立ちであり、先生の人間不信の根源は、幼児期に親の愛情を受けられずに育って、後半で話題になっていた「絆」を信じられなかったこと…と読めるのではないかと仮定しました。
これだけだと突飛ですが、そのラインで読んでいくとハマる描写がいくつかあるんですよね。
1つ目。
エネルギーのチャージ方法が、なぜかアンドロイドに似つかわしくない「こめかみへのキス」であったこと。
「眠る子の額にキスをする」は、親の愛情の象徴的な姿だと思うんです。
15番が「先生はアンドロイドたちが協調性を発揮できるか試している」というような話をしていましたが、あそこが”情緒的繋がり”みたいなものの鍵になるシーンだったのではないかと。
もしアンドロイドたちが1番(=先生)を見捨てて議論の場に移っていたら、その時点で実験は終了だったのかも、とも。
2つ目。
15番が「感情がないはずの私たちにも、先生に対する思い入れがある」と語る場面。
先生がネグレクトを受けていたと仮定すると「親からの愛情を得られなくても、疑似的な”我が子”であるAI達への愛情のインストールに成功していた」とも読めます。
人間は愛されることを知らなくても、愛を与えることができる。
(0から1を生むことができる)
これ、人類滅亡→存続に方向を変えた意見の転換に一つ要素が載るのかなと。
3つ目。
アンドロイド達のメモリーチップにある人物が誰であるかは基本的に職業およびそれに類する社会的属性で語られますが、11番は他のアンドロイドを圧倒する理知的な弁舌を見せながら、なぜか「子供の頃ネグレクトされていた」としか語られません。
もしかして君、職業「科学者」だったりしない…?
4つ目。
11番が、舞台から役名を変更してまでForehead(額)、つまりBrainに非常に近い部位に位置付けられていること。
(舞台ではGullet/食道だった)
まあこれ言っちゃうと脳に一番近い…というか脳の一部なのは松果体の6番なんですが(笑
額のすぐ裏にある前頭葉は、情動や思考・判断をつかさどる部位。
終盤の15番との応酬を、思考(11番)vs心(15番)とみても面白いんじゃなかろうかと思いました。
(これは話の流れには関係ないけど、滅亡派の急先鋒である5番の殺人犯・Blood/血液が、Heart/心臓から送り出される関係も興味深いですよね。人を生かしたいと思うのも殺したいと思うのも”Heart”から)
という訳で、あくまで一つの可能性としてではあるんですが、先生の正体についてちょっと踏み込んで考えてみました。
これを頭の片隅に置きつつ、次。
③
Q.冒頭の先生は滅亡派だったにもかかわらず、なぜ最終的な結論は「人類存続」になったのか
A.色々理屈はつけられると思うけど、むしろ「最初は滅亡派だった人物が、最後には存続派になった」→「じゃあ何が彼をそうさせた?」という投げかけで、観客それぞれの中から理由付けを引き出すタイプのラストだったと考えるのが一番しっくりきました。
正直に言うと、「これだ!と決めつけると陳腐になってしまうので明言したくないです!!」が本音ではあるんですが(笑
思い出せる限りでは、はっきりと1番が意思を翻したシーンって無かった…?と思うんですよねたぶん。(ここはアーカイブで確認します)
作中要素の読解で明確な理屈を拾おうとすると、どうしてもこじつけ感が出てしまう。
そして脚本の一ノ瀬さんはこの映画について
>もともとこの脚本は、AIを通して、今一度人間の尊さを感じて欲しいと思って書いた
と語られています。
https://www.cinema-factory.jp/2024/05/13/48300/
…やばいここまであんまり人間の尊さについて書いてないな。やんちゃくれた鑑賞者で申し訳ない。
は冗談として(笑
あまたの否定要素が出たにも関わらず、人類存続を選ばせるほど先生を動かしたのは何だったのか。
「合理的ではないと知りつつも己の意思を貫く在り方」や
「デジタルな理屈では創れない創造性」かもしれないし、
「感情というものの得体のしれない眩しさ」、
「そこから生まれる他者との繋がり」かもしれない。
答えを探したときに鑑賞者の中でポップアップしてきたものが、その人にとって印象深く残った「AIには代えられない人間の尊さ」を映し出す鏡になっている、っていう見方もできるのかなと思いました。
ちなみに私が一番最初に想起した回答は「具体的にどれとは言いがたいけれど、作中の様々な要素が天秤に積まれた結果、先生にもはっきり何故とは分からないままに『存続』を選んだ」でした。
この感覚は私の人間観とも一致しているなと思いますし、いま私が感じている「色んな理屈がマーブルになった『なんとなく』」はまさにAIには生じない類の『心』なのだろうなと感じてます。面白い。
…ちなみにこれはまっっっっったく私の好みではない読み方なので補助的に書き添えるにとどめるんですが
「15番=芽の出ないまま亡くなった小説家は、実は先生の恋人だった。
科学者としての彼自身は人間を見限っているが、一方で恋人の語った芸術や創造性への希望を打ち消せなかった。
自分の中の”彼女”さえ同意してくれれば、躊躇いなく人類滅亡の方向へ駒を進められる……と頭では考えているのに、人類を信じたい心もある。
だから最初に『君に興味がある』とアプローチをかけたし、『自分に同意しろ』と迫った。
最終的には彼女を初めとする存続派に心動かされ、葛藤が止揚に至った」
という解釈もできるんじゃないかとは思います。一応。
ただこれについては「そうやってさあ!! テンプレートにはめようとしてさあ!! すぐ恋愛オチに持ってくのやめねぇ!!?」って私の中の陪審員たちが大ブーイングしてるので(笑
むしろ1番と15番については「頭が心を説得にかかったが、最後まで『心』を従わせることができなかった」っていうメタファとして読む方が断然好みです。
というわけで。
かなり好き放題に喋ってしまいましたが、私なりのSINGULA全体像の読み解きでした。
まだまだ色んな観点から掘れそうだし、もう一度見たら意見が変わったりするかもしれませんが、現時点の感想はひとまずこのあたりで…。
気づいたら1万字近くなってしまった。
表に掲げられたテーマは、人間の知能を超えたAIというSINGULALITY(技術的特異点)。
そして映画が至る結末は、AIたちの議論が1番という個に収束するSingularity(唯一、単独)。
さて、私という個は?を問い直して他の方と語り合いたくなるような、刺激的な映画でした。
ああ面白かった!!