鬼滅の刃世間の人気とワニ先生の「ズレ」考察(長文なので伏せったー使いました)
ちょっとだけ妄想と予測で語らせていただきます。
アニメ化以降鬼滅人気は驚くほど出てテレビでもどこでも特集して世間一般にも浸透していきました。
その人気からまた興味もたれてその輪は広がっていきました。
まず「インフルエンサー」に広がってそこから漫画に興味のない人に広がったことは明らか。
そしてその入り口は勿論アニメです。美しい絵と動きとアクション。分かりやすい王道展開。
世間にとって「鬼滅の刃」といえば「○○の呼吸壱の型」です。
でもその人気となった部分はワニ先生が「連載」を続けていく為の「味付け」部分です。
もともとワニ先生の根本は一般受けするものではないです。(デビュー作「過狩り狩り」参考)
鬼滅の刃連載初期を見ている人たちも「なんでこれがジャンプで?雑誌あってなくない?大丈夫?」
と思ったことと思います。
でもジャンプのヒット作家っていうのは「ジャンプにあっていない作風の人」が「ジャンプを理解してジャンプに寄せる」ことで生まれるのです。
ジャンプみたいな漫画しか描けない人はジャンプのヒット作家にはならないのです。
これはもう今までの連載見ていて確信に変わりました。
だから「ジャンプもってこい」(お前が寄せる意味での「ジャンプ」のことだ)なのですよ。
ワニ先生は有名なジョジョはもちろん過去のジャンプのヒット作をものすごく「勉強」したのだと思います。
私が鬼滅の刃が「ジャンプ」になったと思ったのは善逸と伊之助が出た「鼓屋敷編」です。
あの展開と「頑張れ!炭治郎頑張れ!」で「ああこの作品は今ジャンプになった」と熱くなったものです。
(長年のジャンプ大好き人間なので)
鬼殺隊の隊服は風魔の小次郎や魁男塾やBLEACHの死神だし、必殺技はペガサス流星拳でキン肉ドライバーでカメハメ波だし、柱は護廷十三隊で黄金聖闘士です。
ここが「味付け」です。
子供達も大人達も大好きでしょう?そして今流行っている鬼滅の刃の入り口はここでしょう?
そこからさらに読むと分かりやすい王道展開に引き込まれます。
物語は「鬼の始祖である無惨を倒す」が一貫していて絶対にぶれません。
そして誰がみても説明出来るわかりやすさなのです。
このたった一言で鬼滅の刃という作品は説明出来るのです。
そこの奥底にワニ先生の描きたかった「人の儚さと無情と残酷」「家族の絆」があるのです。
それを表現するのは人間よりさらに堕ちた「鬼」たちでした。
だから毎回鬼の終焉が「回想」という形になったのです。これは水戸黄門の印籠みたくお決まりの展開でした。
みんな「回想来たからこの鬼はもうやっつけた」って思いましたよね。そこに裏切りやひねり展開は無かったから
すごく気持ちよく読めたのです。
※ここを「また回想かよ」ってなる人は振り落とされる。
そしてワニ先生、キャラメイクが本当に上手かった。上手いというか必ず第一印象からのギャップ萌えみたいなものを植え付けていってくれていた。柱の人たちなんて初登場全員サイコパスと思われていましたし、しのぶさんは暗黒微笑腹黒乙女でした。
しかし話が進むとそのイメージは必ず覆されていきます。
ギャップ萌えというか不良が雨の日に仔犬抱いてたとか帰りの掃除手伝ってくれた…という胸キュンです。
そしてそのキャラメイクが進めば進むほど夢中になっていきます。
鬼滅の刃が「キャラクターカタログ」として人気になるのも頷けます。
このキャラたちがキャラ同志でわちゃわちゃと絆深めていったらもっと腐女子人気は出たんじゃないかな?
(腐って関係性に妄想して萌えるから)
でもワニ先生はキャラカタログ漫画描いているつもりはなかったのですよ。
ここが最大の「ズレ」だったのではないかと思います。
必殺技と戦闘も物語を見るための味付けで見て貰うように人を引きつける「餌」でした。
ワニ先生は戦闘描写むしろ苦手で剣を交えて「えい!やー!とう!」で終わらせたい人だと思います。
この技が物理的にこうなので強いっていうのは格闘漫画や戦闘漫画好きが求めるもので
可哀想にアニメの戦闘シーンがものすごかったので原作にも求められてしまったのではないかと。
(やめてあげてよう)
ワニ先生言葉のセンスがずば抜けていて文系脳の発達がすさまじいので
必殺技のネーミングや説明がまた凄くシビれてかっこいいのも誤解されてしまった原因。
だから戦闘(バトル)漫画だと思って入ってくる人が「え?これなんで売れてるの?どこが面白いの?」
って言うんですよ。
貴方が面白くないなら読まなければいいことなんです。
他人に面白さの説明を乞うな。
貴方がその作品の「読者対象」でなかっただけなんだから。
アニメの戦闘シーン動き素晴らしいしシビれますよね。わかるよ。でもね。
こういう些細な「ズレ」がいつしか積み重なってプレッシャーになっていったのではないかと思います。
キャラの人気もずば抜けて出てしまったから、出番増やしてもっとこのキャラのエピソード頂戴ってなりますよね。
すみません。私とてその一人です。もっと推しキャラ出してくれと願ってしまっていました。
そしてそのキャラがいなければ連載終わってもここまで脱力して悲しむことはなかったし考察もしませんでしたよ。
そうして描かれた最終回。
みんな戸惑ったしキャラについては嫌いになった人までいたかも知れない。
だいたいの考察はhttps://togetter.com/li/1517454にまとめたんですが
私が認めたくないし違うと思いたいし勘違いだといいな…という考察をこちらに残します。
よしポンで「編集王」という漫画の人気作家が自作品人気に絶えられなくなりサインを求められてもかけない場面を
冨樫先生が自分に当てはめてパロった漫画を描いています。
(編集王の「ブルセラムーン」の作者が料亭の女将にサイン求められる場面です。くしくもこのモデルは本当に冨樫先生だったらしいです。)
会席中に料亭の女将が色紙にサインを求めて来ます。
最初は名前だけすらすらと描くのですが
「絵も描いてくれ」と言われると
脂汗を流しながら冨樫先生はこういいます。
「幽遊白書は……もう勘弁してけろっ!!」
…………重い。
だから正反対のキャラを描こうとしたんですよね…。
もう勘弁してくれと。キャラへの恋なら覚めてくれと。
ワニ先生もそんな思いがあったのでしょうか?わからない。けど確実に「鬼滅の刃はもういいよ」ってなった人はいる。
それすらもワニの手のひらの上だったのか。と。
いやいやいや。
けれどもあの反転の最終回にはモノローグもナレーターもなく
「語り部」であったワニ先生自身も消滅していた。
優しい人なんだと思うワニ先生は。だから否定も肯定もしない。
キャラ萌えも戦闘も好きな人を受け入れる。そういう鬼滅の刃を託したんですよ。ジャンプと制作会社とプロデュース会社に。
発言も明言も放棄する。これがワニ先生の意思なんじゃないかなあ。
ベイベーポタアンズン。言いたいことも杏仁。
でもさ。冨樫先生の「キャラを壊して正反対にする」ネームは没にされたのに
時がたち
鬼滅の刃の担当編集はOKだして最終回にしたんですよ。
どうも編集さんはもう描いてくれればそれでいいです…になっていたみたいで。
だから原稿の間違いや誤植がそのまま掲載されていて。
電子カラー着色とかあるので他の作家より確実に完成原稿を見る時間あったのに気づかなかった担当さん。
私ね
ちょっとだけ
恨むと言うより脱力していますよ。
なにやってんだよおめーはよぉおおおおお。…なんてね。
……というところふくめて全部個人的推測と妄想ですけれどもね。
ここまで駄文を呆れずに読んでいただきありがとうござました。
※このあと紙のジャンプ本誌で本編の最終ページの裏に応募券つけて一番大事な写真シーン切り取らないと全員サービス応募出来ないことを思い出してまた
「おめー(担当)はよおおおお電子書籍で育った世代かよおおおお」
と脱力していました。(台割りは編集の仕事)(現在は切り取らず応募券コピーで対応済み)
私も電子だから事なきを得ましたけどね。紙も買いましたけどね。
まことこんな世の中じゃポタアンズン。