二度と言わないチラ裏どころか便所紙です!うんこさせてください!
わたしのなかで出した結論として、羅小黒戦記はマイノリティに対する政策の肯定やマジョリティの正当化ではないというのが前提なのですが……。
ここから下は私個人の事情と羅小黒戦記のスタッフに対する信頼の話です。あなたに当てはまらないのは無理もありません。
まあこういう文化というかコンテンツを楽しもうとするときにバックが気になる気持ちはわかるんですよね。わたしは学部のとき全然勉強しませんでしたが、アフリカの開発経済や国際政治を勉強して今まで抱いていたヨーロッパとかへの憧れが全部瓦解したんですよね。なんか繁栄を象徴する美しい建物のレンガ一つ一つが血に濡れてる気がしたし、教えとかも全部虚構に見えてアレルギーひどくて全部距離置きました。安易でしょう。なんで今は緩和したかというと国家=わたし・あなたではないと思うようになったのが理由です。自分がヨーロッパ周辺国に向けていた目線を自分の国に向け、そこでもまた瓦解した経緯もあります(安易ですまん)。国家の体制・歴史=自分て思われると私自身も本当に嫌なんですよ。困ります。違うので。まあ重なり合うところはあるでしょうけど、これと同様に今は昔ではないし昔は今ではないと、現時点では折り合いをつけてます。現時点では。過労で鬱病になったときもイタリアで寛解しました。
以前別アカで「羅小黒戦記は制作者の願いが随所に散りばめられている」という話をしました。字幕版から吹替版のニュアンスの違いから出てくるモヤリハットや、いやいやweb版の方でもねとかは、ここでは割愛します。色んな方が仰ってますしそういうのが言いたいんじゃありません。
この作品が体制に少なくとも翼賛的ではないということは、舘への所属を拒否した风息、館ではなく、妖精の世界にも人間の世界にもどこにも居場所がない無限師匠と共にいることを選んだ小黒、大陸社会が多分あまり重視してないだろう名も無き登場人物(ホームレス、身体に障害があるもの)を救う描写、規制対象である同性愛のキャラクターがweb版にいること、監督の発言から見て取れるのではないかと思います。この作品に中共の影を感じるなら、鉄橋から落下する電車に何か連想する出来事はありませんでしたか?
出てくる人物が全員根本が善人なことに違和感を覚えるという声も耳にしました。それでは創作のあるべき形とは何なのでしょうか。別に一個に限られたことではないと思いますが、わたしはこういう現実と遥かに乖離してるかもしれないけど、翼賛し大衆を煽るものでなければ、こうあってほしいなという願いを込めるのは1つのあるべき創作の形だと思います。「この作品は真の悪人はいない」という褒め言葉はありふれて存在しているのに、それがどうして羅小黒戦記だと「警戒」されてしまうのでしょうか。善きものを描くということを否定してしまうと、世界中の創作に限らず、日本の殆どの創作は唾棄すべきものになってしまいます。
例えば「弱き人を助ける」とか女子供にやさしいとか、人権を踏みにじられないアイドルものとか全部嘘で、全部褒められたもんじゃない幻になってしまうのではありませんか。現在の現実と乖離していませんか。でも社会や個人が受け入れてるのはなぜですか。国策じゃないから?国策として行っている外国人研修生の実情は何ですか。それでもいやいや……てなるなら、なぜこれはだめでそれはオッケーと思ったのか、外と内の比較ではなく、今一度かえりみたり検討するべきなのは自分自身の認識にあるのだと思います。判断基準がないのなら、知るべきものは内にあるのではないでしょうか。何かよくわかんないけどあんたは全部だめ!ウチは別にそこまでじゃないからイージャン!?て結論になるなら、公に批判する必要はどこにもないのですよ。ここまで自問自答で自戒です。
今を生きているわたしたちにとって、どこまで好きなものと大切にしたい理念に整合性をもたせるかって難しいですよね。全部無視!で楽しむことも可能だと思いますし、答えを出せないまま葛藤しながらコンテンツに触れ続けるってあると思います。作品だけじゃいまいちわからんなら、制作者がどういう人柄なのか知っていくのも1つの手だと最近思いました。そしてこの作品に関しては色々触れた結果として体制を翼賛する物ではないと思えました。願いはあるし、明確な答えを持つものもあるが、このへんどうしたらいいのかはまだ……みたいなのかなと思いますので、この件に関して完全な答えを求めるのは無理でしょう(わたしたち、答えがわかりますか?)。先のディズニーの映画なぜ国際的な批判を浴びたのか、その違いを考えるのもいいのではないかと思います。忌避する前にまず調べてみようかな……ていうのは自戒ですが、個人的に大事にしていきたいですね。わたしはあの複雑な社会、そしてわたしたちにも地続きの社会の中で、わたし達に色々な問いかけをしつつ、子供を慈しむという確固たるメッセージを送ってきた作品が出てきたことは十分に意味があることだと考えています。フワッでしたことしか言えンのよね。もう二度と言いませんし触れません。