#映画ホリック 感想
公式記事で読んだ通り「四月一日君尋」のキャラクターが全然違って、でも話が進んでく中で四月一日自身が変わっていくまでの過程、ヒトとの出逢いや関わりがxxxHOLiCを踏まえた上での「映画ホリック」だった。好き。
⚠️とても ネタバレ満載です
まず冒頭、からのイントロ部分で原作四月一日たちのイラストが出てきて、実写版で珍しいなって思ったし(映画自体をすごく観るわけじゃないからそう思うだけかも)、原作へのリスペクトや原作ファンへの、なんて言えばいいのか分からないけどそれがすごくすごく嬉しかった。
原作侑子さんの台詞の中での「人がいなければ」と「ただ過ぎて行くだけの事柄」部分ないのが不思議だったんだけど、話の過程で少しずつどうしてないのか回収されていくっていうか、分かっていくのがめちゃくちゃ好き。
良くないものや危ないものとかが全部黒いもやに映る四月一日が初めて見たのが侑子さんの赤い蝶で、「不思議なもの」をその目に映す四月一日にとっては救いっていうか、それくらい心が動かされる綺麗なものだったのかなあってのがすごくこう、よかった。
あとお店の藤がすっっっごい綺麗でめちゃくちゃテンション上がった。狐のおでん喫茶もあったね。煙管屋さんもいるんだろうな~。
お店での問答、「この世に偶然はない。あるのは必然だけ」は侑子さんの名台詞だけど、後からそれが様々なシーンやキャラクターに絡んでくるのがほんと。
侑子さんの四月一日の名前のとき「君を尋ねる」であっもうここで言うんですね!?で、だんだんミセに来る人と関わって、さらっと座敷童ちゃんいるし関わってるじゃん!?でびっくりした。
ていうか四月一日、冒頭の、「死にたい理由は特にない。生きていたい理由はもっとない」はもちろん独自部分ではあるんだけど、同時に最初の方の「どうせ運命は変えられない」「自分が作ったものを食べるのが好きじゃない」に原作ひまわりちゃんとお料理教室の人の一部内包してる感じがあ~ってなって好き。
四月一日がミセと関わって初めてのお客さんの、薬指にはどんな意味があると思う?で、死ななかったのはよかったけどいやこれ良かったのかな!?で複雑すぎたし女郎蜘蛛めちゃくちゃ好きだ......。女郎蜘蛛、全シーン通して人外&上位種みがめちゃくちゃ好きだし侑子さんの願いの対価のときにもあった「大切なものがない」から今は食べない、にウワ~~~ッになるなった。
最初から百目鬼&ひまわりちゃんがセットなのとか四月一日がまじで一人で誰とも関わってなかったのつら。
アカグモは最初人間だけどそっち系、世界との関わりがあって知ってる側なのかなと思ったけど途中でいや女郎蜘蛛関係者じゃん!?になったし、ひまわりちゃんの祖父母と両親の幸福の対価がひまわりちゃんで、「相手を選ばず周囲を不幸にする」し「本人に幸せはない」ですごくシビアで本当に徹底して対価が必要な世界観......。ていうかひまわりちゃんが幸せじゃない、幸せになれない、にミセを継いでからの、定期的に連絡を取って幸せそうなひまわりちゃんを思い出してそんなことないよ;;;;
それはそれとして窓ガラス落下ないな?てなってたらまさかの。侑子さんの店で過ごすようになって(通いじゃなくまじの住み込みやばかったし毎回必ずベッドに潜り込んで横並びだったり四月一日囲んだりのマルとモロが寝てるのや、みんなで揃って朝食囲んだり三人で昼食取ったりが本当に可愛かった)、日めくりカレンダーが3月18日からわりとリズムよくだったのが27日(偶然かもだけど3月27日は桜の日)から動かなくて、夢と現実の境目が曖昧になって、かと思ったら30日て。
ひまわりちゃん(他者)を助けるのに自分傷ついてたら意味ないっていうか、それは別の一生消えない傷を新たに植え付けるだけなんだけど、四月一日の気持ちも分かるとこあるからうう~~~;;;になってしまう......。
映画ホリックの四月一日、ちょいちょい自分自身とリンクするところがあるから耳に痛いし上手いな......となる。女郎蜘蛛も言ってたけど、「簡単に自分自身を投げ出す」とか、そういう、「生きていたい理由はもっとない」みたいな、誰もがちょっとだけ抱えてる生きづらさや苦しさを持ってるというか。そういう上手さ。
し、4月1日ループに女郎蜘蛛!!!!
侑子さんは「この世に偶然はない。あるのは必然だけ」とは言うけど「どうせ運命」だからって運命が変えられないとは言ってないし、「すべてのことに意味がある」は四月一日やひまわりちゃんにはつらいけどそれってつまり意味があって、意味のないことなんてないってことで。
女郎蜘蛛は「運命は決まってる」とかも、侑子さんとの類似性/対比やばい。
ていうかループで四月一日めちゃくちゃ百目鬼と仲良くしてるな!?四月一日がこの世、というか自分自身が大事じゃないし、自分の運命を諦めてるから良くないものたちの邪魔が入らず四月一日が百目鬼に喧嘩腰にならないのもあるのかな~。てか二回目ループでの百目鬼がチョコ?りんご飴?忘れちゃったけど、それを四月一日にあげたのあれ誕プレだったんだ!?にもびっくりしちゃった。百目鬼そういうとこある~!好き。
決戦で、最初の続々来る客の中で侑子さんが「綺麗な井戸水」依頼してたのこれか~!ってなりつつ、やっぱりひまわりちゃんと百目鬼対価支払ってたよねとか、待ってひまわりちゃん転々としてるの!?とか、すごい、情報量が、情報量が多い......。
でも本当に決戦やばかった。
四月一日が「自分が傷ついたら他の人が傷つく」ことに気づいたし、気づいた上で実感としてそれを受け入れたこととか、考えることを放棄した人との会話に~の侑子さんの発言の「人間は自分だけのものじゃない。誰もが他者と関わりあって生きている」がようやく、ちゃんと四月一日に届いたのが、もう本当に侑子さん良かったね~~~;;;;;の気持ちだった。
それと女郎蜘蛛の人外みもそうなんだけど、アカグモの「顔だけ」は好きって快楽に落としたいけど思考停止して楽な方に逃げるより後半四月一日みたく抗って抗ってどうしようもない絶望や人間のどうしようもなさ、愚かさが好きだからかな?って。
女郎蜘蛛の人間へのある種の執着も、ある種の"情"じゃないかな、と思うくらいすごかった。
途中で侑子さん召喚されてからもすごかったし、その間わりと長く不在の百目鬼に所々で今百目鬼どうなってるの?大丈夫?になってた。
ていうか侑子さんがまじやばかった。すごい。
侑子さんは選択肢を提示して、自分で決めなさいって言うんですよね。そこが一番女郎蜘蛛と違う。女郎蜘蛛は選択肢を一つしかないようにして、あるいはそれしかないと思わせて堕落させるけど、侑子さんはそれがどんな道であれ本人の意思や(考えた末での)心からの願いを尊重してその手助けをする。
「選択することで運命は変えられる」
侑子さんのこの台詞が本当にやばくて、偶然はない、だけど必然がある、そして運命はあるけどたくさんの選択肢の中からその運命を自ら選びとることで変えられるって言うの。ひまわりちゃんとのお別れシーンでの「出会わなければ......」に「過ごした記憶は私の傍にずっとあるから」思い出して、ひまわりちゃんも今まで、あるいは百目鬼や四月一日、侑子さんとの出逢いで選択して運命を変えていけるのかなって。変えていってほしい。
欲を言えば、また三人で、もあって欲しいよ......。
アカグモと女郎蜘蛛を例のとこに封じ?込めて、そこからさらに侑子さんが抱える光の玉?でちょっとひまわりちゃんの!?(卵)って思ったけどあれはツバサでサクラ姫が命懸けで取ってきたやつだよ確か。しっかりして。となりつつ。
侑子さん消えちゃって、でも百目鬼がいないときに四月一日を避けることにひまわりちゃんの「分かってるくせに」の通り、四月一日は本当は最初から、あるいは途中から侑子さんがすでにこの世の人じゃないことにも気づいてたのかなってなって、どんな気持ちで一緒に過ごして、どんなに強い気持ちで「何も起きない。誰も傷つかない」「変わらない(侑子さんが居なくならない)」幸せな世界のループを願ったのかなって、もう考えただけでつらい。
ミセを継ぐ四月一日、ひまわりちゃんの「過ごした記憶は私の傍にある」の影響もあるんだろうな。
侑子さんのミセは必要で、必要としてるヒトやヒトでないものがいて。だけどそれ以上に侑子さんや侑子さんと過ごした事実/記憶をいずれ忘れるものとしたくなくて、確かなものとしたくて、もうそれこそが出逢いの変化で、「壱原侑子」はもうすでに「四月一日君尋」の一部となってて。
冒頭四月一日からの「私の願いは、あなたがこの世にいてくれる。それだけでいいのよ」はめちゃくちゃ精神にクるんですよ。やめて。うそめちゃくちゃ良すぎました。
そんでそっか、映画ホリック四月一日だと自分からは侑子さんの願いはなんですか、は言わないよな~の気持ちと、侑子さんが自ら侑子さん自身の願いを口にしたことへの様々な気持ちとで。
「ヒトを変えられるのは出逢いだけだから」
原作侑子さんのこの台詞が、本当に、その通りの映画だった。ありがとうございます。
ちなみに入場者特典は言うまでもなく最高でした。材質?手触り?がすごく好み。もう一枚欲しいのでできるだけ早く行きたい。
ライブビューイング感想は、ちょっとまた改めて、気力があれば......。